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建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー第35回 地形が解く日本文明の誕生と発展 −奈良盆地と広島災害(その2)−

 
前号(第34回)では,日本文明がなぜ奈良盆地で産声をあげることになったのか? その疑問を解き明かすカギが奈良盆地の地形と気象にあったことを明らかにした。今号では,その日本文明を膨張させ発展させるためのエンジンの存在も,実は奈良盆地の地形と深く結びついていることをお伝えしていきたいと思う。
 
 

2014年広島土石流災害

2014年8月20日,広島市は豪雨により大規模な土石流災害に見舞われた。広島市北部の住宅地で,死者74名,家屋全壊133戸の貴重な人命と財産が一瞬にして失われた。
 
翌朝は嘘のように晴れていて,全国の人々はテレビの生中継でその悲惨さを目の当たりにした。
テレビ映像は救助活動に向かう消防団や自衛隊から,ヘリコプターの中継に移っていった(写真− 1)。
 

【写真− 1 土石流に襲われた広島市北部の土砂災害(2014 年8 月)】


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
空中から見ると,山麓に並ぶ沢という沢から土石流が流れ出ていた。沢の出口では,土石流が住宅を無残に襲っていた。「なぜ,あのような場所に家を建てたのだろうか」とつぶやく家族の横で,私はもうひとつ別のことを考えていた。
 
日本文明を誕生させた奈良の謎が,また一つ解けていった。
 
 

奈良盆地へ

大昔,ユーラシア大陸から多くの人々が日本列島に向い,九州にたどり着いた。渡来した人々は,九州各地に広がっていった。しかし,九州はあまりにも大陸に近すぎた。九州には大陸の暴力の音が間近に響いてきた。戦いの煙も漂ってきた。
 
九州は大陸からの玄関にはなったが,落ち着いて日本文明を誕生させ,発展させていく土地ではなかった。渡来した人々は,大陸から逃げるように日本列島を東へ向って移動していった。
 
日本書紀(宇治谷孟「全現代語訳,日本書紀」)の中で,神武天皇が東へ向かう「東征」で,塩土老爺(しおつちのおじ)の逸話がある。塩土の老爺は,先発して敵陣を見てくる斥候隊(せっこうたい)であった。
 
その塩土の老爺が,神武天皇に向って「東に美き地あり。青山四周(せいざんよもめぐれ)」と報告している。つまり「大将,大将,東に良い土地がありましたよ。全周が山々で囲まれた緑豊かな素晴らしい土地です」。この情報を得た神武天皇はその奈良盆地に向った,という逸話である。
 
 

恵みの地,奈良盆地

神武一行が目指した奈良盆地は,まさに,塩土の爺さまが報告したように,青山が全周をとり囲んでいた。(図− 1)は,その奈良盆地の地形である。
 
この山々の森林は,潤沢な建設材と燃料エネルギーを与えてくれた。
 
その山々の沢という沢から,清らかな水が流れ出ていた。山々から流れ出た水は,盆地中央で大きな湿地湖を形成していた。西側の山地は海風を防ぎ,東北の山地は北風を防いでいた。奈良盆地の湖はまるで鏡のように穏やかであり,小舟を利用すれば奈良盆地のどこにでも簡単に行くことができた。奈良盆地は,自然の水運インフラに恵まれていた。
 
その特長を改めてまとめると
①安全であること
②木材資源というエネルギーが豊富なこと
③水資源が潤沢で稲作が可能なこと
④水運という交通インフラに恵まれたこと
この奈良盆地に人々が集まり,日本文明を誕生させていったのは必然であった。
 
ところが,この奈良盆地は,文明を誕生させただけではなかった。奈良盆地は文明を膨張させ,発展させるエンジンも持っていた。それも奈良盆地の地形に深く関係していた。
 
 

豪雨と土砂崩れ

文明が膨張し,発展していくには,人々の欲望の膨張が満たされなければならない。欲望が満たされない社会は停滞していく。奈良盆地はその欲望の膨張を満たした。
 
その欲望を満たした膨張のエンジンは,豪雨に伴う土砂崩れであった。そのことを,2014年の広島土砂災害の映像で気付かされた。
 
災害が少ない奈良盆地にも,何年かに一度,何十年かに一度,大規模な豪雨が襲ってきた。その豪雨は山々の斜面を削り,その土砂は一気に沢を下り,沢の出口は土砂で埋まった。
 
あの広島災害と同じ土砂崩れだ。21世紀の広島の土砂崩れは,住民にとっての大被害をもたらした。しかし,奈良盆地の土砂崩れは,古代の人々に天からの贈り物をした。
 
豪雨が去った晴天の下,人々は沢の出口に集まった。そして,堆積した土砂を見て,歓声を上げて喜んだ。彼らは力を合わせ,その土砂を湖に向かって押し出していった。土砂を押し出し,土砂を平らに均し,新しい土地を造成していったのだ。
 
奈良盆地の湖の周囲の全ての沢で,この作業が行われた。豪雨と土砂崩れという自然の力を利用した新規開田が,奈良盆地全体で展開されていった。
 
これが文明発展には欠かせない欲望を満たす膨張エンジンであった。
 
 

富の分かち合い

奈良盆地の川はどれも直線型をしている。(図−1)のような直線の川は,日本国内を見渡しても少ない。20世紀に入って干拓された秋田県八郎潟の川は直線になっている。この川の直線の形状こそが,奈良の土地と水路が人工的に形成されたことを示している。
 

【図− 1 関西地方】 出典:国土地理院の電子国土Web を元に作成


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
奈良盆地では土地が拡大されていった。土地が拡大する過程で,土地所有のルールを定める必要が出てきた。奈良盆地で日本最古の土地区画制度の条里制が誕生したのは偶然ではない。(写真− 2)は奈良盆地の農地の空中写真である。
 

【写真− 2 奈良盆地の水田。碁盤の目のように区画されている】


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
条里制は,人々の利害衝突を制御するための制度であった。新たに生まれた土地を巡って戦うのではなく,ルールに従って分かち合う。その分かち合いが最も合理的だという共通認識が醸成されていった。
 
日本初の憲法がこの奈良盆地で生まれた。聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条は,「和をもって貴しとなす」とある。これは聖徳太子による精神的規範,精神訓話であると言い伝えられている。しかし,これは単なる精神訓話ではない。
 
富を生む土地は,奈良盆地の地形と気象が与えてくれる。この拡大する土地を争うのではなく,話し合い,和して,分かち合っていく。「十七条の憲法」の第一条は,この現実的な生活の知恵から生まれた社会規範であったと考えると胸にもストンと落ちていく。
 
 

文明の誕生と発展

世界史の興亡をみると,暴力が他の富を奪う繰り返しである。誰かが勝ち,誰かが負けるゼロサムゲームであった。
 
文明が誕生する時には,必ず人々の協力と分かち合いが必要である。メソポタミア文明やエジプト文明でも,人々は協力して大河川の洪水を制御し,川から水を引き,協力して耕作地を増やしていった。そして話し合って,ルールに基づいて土地を分かち合っていったはずだ。そうでなければ,人々の協力が必要な文明の誕生は実現しない。
 
しかし,ユーラシア大陸やアフリカ大陸には,どこかで必ず強大な暴力が湧き上がっていた。それらの暴力は凄まじい勢いで移動し,分かち合う人々が創った社会を襲い,富を奪っていった。世界の各大陸の分かち合う文明は,21世紀まで生き残ることはできなかった。
 
ところが,日本列島はユーラシア大陸の極東に浮かんでいた。世界史の中で唯一,日本文明だけが,大陸の暴力に侵されず,21世紀まで存続することができた。奈良盆地に人々が集まり,分かち合いの条里制を生み,和の憲法を生み,律令で社会を制御する文明の記録と歴史を21世紀まで存続させたのは日本だけであった。
 
和によって分かち合う日本文明と,和に価値を置く日本人の精神を形成していったのは,日本列島の地理と奈良盆地の地形と気象であった。
 
 
 

竹村 公太郎

公益財団法人リバーフロント研究所技術参与、非営利特定法人・日本水フォーラム事務局長、首都大学東京客員教授、東北大学客員教授 博士(工学)。
出身:神奈川県出身。
1945年生まれ。
東北大学工学部土木工学科1968年卒、1970年修士修了後、建設省に入省。
宮ヶ瀬ダム工事事務所長、中部地方建設局河川部長、近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。
02年に退官後、04年より現職。
著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年)、「土地の文明」(PHP研究所2005年)、「幸運な文明」(PHP研究所2007年)、「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著)、「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年)など。
 
 
 
【出典】


積算資料2016年02月号

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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