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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー 第39回 第一級の国際人・土木技術者 ー在京大使館員を招待した水防演習ー

利根川水防演習

今年の5月21日,利根川の取手市において水防演習が行われた。
 
私が所属する日本水フォーラムでは,各国の在京大使館員の方々をこの水防演習に案内する役目を引き受けている。
 
各国の在日大使館は東京の中心部にあり,そこに勤務する外交官たちも東京に住んでいる。彼らは大使館と外務省との間を行き来する生活に追われていて,日本の伝統文化や歴史に触れることは意外と少ない。
 
首都圏では,毎年,利根川水系で大規模な水防演習が行われている。10年前から,日本水フォーラムは,その外交官たちをこの利根川水防演習に招待している。水防演習は,都心から離れた利根川で行われる。外交官にとって,この見学は首都圏周辺の風景に触れる良い機会となる。
 
この水防演習は,その地域の民間の水防団が中心となっている。各国の外交官たちは,この水防演習を見ることで,世界最先端の近代国家の日本が,21世紀の今でも,地域住民と行政が一緒になって洪水の防止に立ち向かっている姿を知ることとなる。
 
外交官の招待は,今年でちょうど10回目に当たり,これまでに延べ26カ国,200名を超える外交官たちがこの水防演習を見学している。この水防演習の見学は,在京の大使館員の間では静かな評判となっている。
 
 

流域に封じられた人々

日本の堤防のほとんどは江戸時代に造られた。その地域の人々が力を合わせて造った堤防は,今でもその地域の人々によって守られている。そのことは,2016年4月号でも述べた。そのポイントを簡単に再掲する。
 
1600年,関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利した。征夷大将軍となった家康は,江戸に幕府を開いた。約100年間にわたる戦国の世の幕を閉じた家康は,200以上の戦国大名たちを制御するのに,日本列島の地形を利用した。日本列島の地形は,河川の流域で分割されている。家康は,この河川流域の中に大名たちを封じたのだ。
 
戦国時代は流域の尾根を越えた領土の奪い合いであった。しかし,江戸時代,尾根を越えて領地を拡張することは許されなかった。河川流域に封じられた大名たちとそこに住む人々は,外に向かって膨張するエネルギーを,内なる流域開発に向けていった。
 
戦国時代までは,全国各地の河川は制御されることなく自由に暴れていた。特に,河川の下流部では,流れは何条にも枝分かれて大きな扇状地を形成していた。河口に接する一帯では,海水の逆流と相まって巨大な湿地の沖積平野を形成していた。
 
人々はこの扇状地と湿地帯の沖積平野に堤防を築いていった。堤防を築き,自由に暴れまくる何条もの川を,一本の堤防の中に押し込めていった。
 
 

ヤマタノオロチの封じ込め

何条にも枝分かれしている川を,一本の堤防に押し込める目的ははっきりしている。アシヨシが茂る不毛な扇状地と湿地帯の沖積平野を,耕作地にすることであった。川を堤防に押し込めば,耕作地が生れ,富の拡大が可能となった。
 
(図- 1)は,徳島県の一級河川,那賀川の平面図である。中央の2本の太い線が現在の那賀川の堤防を表わしている。その周辺に見える幾条もの線は,かつて川が乱流していた旧河道である。
 

【図- 1 那賀川の堤防と隠れた旧河道】 提供:国土交通省四国地方整備局




 
この図面は那賀川だけの特別なものではない。全国の流域でこのように堤防が築かれ,何条にも暴れる川,ヤマタノオロチを一本の堤防の中に押し込んでいった。
 
この江戸時代の流域開発によって,日本の耕地は一気に増加していった。各地の米の生産高は上昇し,それに伴って日本の人口は1千万人から3千万人になった。
 
しかし,この行為には代償があった。ヤマタノオロチを堤防に押し込むには無理があったのだ。
 
江戸時代に重機などない。人力で造った堤防は洪水に対しては脆い。そのため堤防は洪水のたびに破堤し,人命を奪い,田畑を侵していった。
 
隣国から敵が襲ってこなかった江戸時代,流域に住む人々の敵は,洪水となった。その闘いが「水防」であった。
 
流域に住む人々は,洪水のたびに洪水と闘った。その中で,地域の歴史が積み重ねられた。多くの物語が生まれ,その地域独特の文化が育まれていった。
 
今でも,全国全ての河川で水防は行われている。洪水が襲ってきた時だけではない。水防工法を次世代に伝えるため,台風が来る以前の5月,全国各地の河川で水防演習が行われている。
 
大使館員たちを水防演習に案内することは,日本の流域共同体の原点を知ってもらうことにもなる。この水防演習への見学ツアーは,地味だが大切なイベントとなっている。
 
 

水防演習の当日

今回の水防演習の見学ツアーは,早朝7時に茅場町の日本水フォーラムに集合という厳しいスケジュールの中で行われた。しかし,シリア全権大使をはじめ13カ国20名という多くの大使館の方々の参加があった。
 
昨年2015年の9月,利根川水系の鬼怒川で堤防が破堤した。多くの家々が洪水に襲われ,それは全国にテレビで報道された。そのため,外交官たちもこの水防演習に関心があったのだろう。
 

【 2015年9月10日,首都圏の鬼怒川での決壊】




 
今年の水防演習の会場は,破堤した鬼怒川に近い。東京からバスで水防演習会場に着くと,水防団,国の出先機関,自治体,自衛隊,民間企業,そして見学する住民たちの緊張感で溢れていた。
 
演習は国旗掲揚で開始された。専門の水防団だけではなく,周辺企業の社員たち,大学生の集団も参加していた。地域が一体となった水防演習を,大使館員たちは真剣に見学していた。演習の後半には,外交官たち自ら土嚢作りやロープの結び方の演習にも参加した。
 

【 水防演習会場で土嚢作りの演習に参加した外交官たち】 提供:日本水フォーラム




 
 

稲戸井調整池への視察

午前11時過ぎごろに水防演習が終了し,日本水フォーラムは,外交官たちを連れて,利根川の稲戸井(いなどい)調整池に向かった。せっかく利根川に来たので治水事業の見学を企画したのだ。
 
国土交通省関東地方整備局の利根川上流河川事務所の副所長がバスに同乗し,現場案内をしてくれることになった。
 
調整池とは大洪水の際,河川の水位が上昇したとき,河川に隣接する大きな空間に洪水を導入し,河川の水位を低く抑える役目である。
 
利根川の稲戸井調整池は,利根川と鬼怒川の合流点に位置している。利根川の水位を下げるのはもちろん,利根川の水位を下げて鬼怒川の洪水を速やかに流下させる効果も持っている。鬼怒川にとっても大切な役目を担っている調整池である。
 
しかし,この稲戸井調整池の技術的な説明は意外と難しい。洪水流は時間とともに変化する大きな波である。つまり,洪水流は大きなピークを持っている。この洪水のピーク流量を河川の横の調整池に導入して,洪水のピークを下げる役割がある。
 
現場の技術副所長が素人の外交官たちに治水技術を説明できるか,内心は不安であった。
 
その副所長がバスに持ち込んだ説明資料は,2枚のパネルだけであった。そのパネルには説明文や数字はなく,調整池に洪水が一杯に入っている空中写真であった。そのパネルの写真は,調整池の役目を一目瞭然に示していた。
 
バスの中での副所長の説明は,簡潔で,ストレートで見事なものであった。
 
 

自然豊かな調整池の越流堤

調整池に着くと,洪水を調節池に導入する越流堤に登った。目の前には豊かな緑が広がり,調整池周辺には鳥の鳴き声が溢れていた。広大な緑に包まれて,外交官たちは都心では経験できない日本の豊かな自然を味わっていた。
 
外交官たちは調整池の越流堤の上で副所長の説明を受け,質疑応答の時間になった。通訳を通しての副所長の説明は自信に満ちており,専門用語を使用せずに,誰にでも分かる簡潔なものだった。
 
外交官からは多くの質問が出された。それに対して副所長は
● 400年前,首都の江戸を守るため徳川家康が利根川の流れを東へ変えたこと
● 稲戸井調整池事業だけでも50年近くの歳月を要したこと
● 調整池の容量を増やすため,これから調整池内の地盤を掘削すること
● その掘削は,池の植生や鳥や昆虫の生態系を守りながら行うこと
などを分かりやすく説明していた。アフリカの外交官からは「自分の国でも洪水で国民の生命と財産が失われている。このような調整池事業は大変に有効だ」という感嘆のコメントが出ていた。
 
 

第一級の国際人

帰りのバスの中でも,副所長に質問が相次いだ。
 
その質問の中で「あなた方,国土交通省は,洪水に勝ったのか?」という質問が投げかけられた。
 
そばで聞いていた私も,このような質問は想像していなかった。副所長は何と答えるだろうかとハラハラして彼を見ていると,副所長は躊躇なく答え始めた。
 
「今のところ,私たちは勝っている。しかし,洪水は自分たちの予想を超えてしまう。最終的には,われわれは自然には勝てない。だから,自然とは共生するしかない。私たちは自然から恩恵も受けているのだから」
 
通訳を通して副所長の回答を聞くと,自然と外交官たちの間から拍手が湧き起こった。洪水と毅然として闘っている現場責任者の言葉は,自然に対して傲慢ではなく,限りなく謙虚であった。
 
現場の技術者たちは,洪水と闘い,河川の環境を守っている。彼らは英語を上手に話すことはできない。しかし,世界各国の外交官たちを魅了する言葉と心を持っていた。国際人とは,英語をうまく話す人ではない。
 
国際人とは,世界の人々に向って語りかける内容を持っている人なのだ。
 
この日,水防演習に参加した外交官たちは,日本の地域の一角で治水事業を行っている,現場の土木技術者の自信に満ちた姿と,自然に対する謙虚な心構えに感動していた。
 
長い治水の歴史を継いで治水事業を行っている現場の技術者は,第一級の国際人でもあった。
 

竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

公益財団法人リバーフロント研究所技術参与,非営利特定法人・日本水フォーラム事務局長,首都大学東京客員教授,東北大学客員教授 博士(工学)。出身:神奈川県出身。1945年生まれ。東北大学工学部土木工
学科1968年卒,1970年修士修了後,建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長,中部地方建設局河川部長,近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。02年に退官後,04年より現職。著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年),「土地の文明」(PHP研究所2005年),「幸運な文明」(PHP研究所2007年),「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著),「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年)。2016年8月に最新刊「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社)が上梓された。
 
 

公益財団法人                  
リバーフロント研究所 技術参与 
竹村 公太郎

 
 
 
【出典】


積算資料2016年10月号



 

最終更新日:2017-02-06

 

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