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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > 多摩川改修から百年 〜これまでの100年を振り返って〜

 

1. はじめに

多摩川は,その源を山梨県甲州市の笠取山(かさとりやま)(標高1,953m)に発し,途中多くの支川を合わせながら東京都西部から南部を流下し,東京都と神奈川県の都県境を流れ東京湾に注ぐ,流域面積1,240㎢,流域内人口約380万人,幹川流路延長138kmの一級河川です。
 
多摩川上流部は,御岳(みたけ)渓谷や秋川渓谷に代表されるように山岳渓谷美に富んだ清流となっており,そのほとんどが秩父多摩甲斐国立公園に指定されています。山間部を抜けると,羽村(はむら)取水堰付近から武蔵野台地の南縁に沿って瀬や淵,中州などを形成し,河川敷には礫河原が広がり,河川特有の豊かな植物や野鳥が数多く見られます。また,密集市街地である下流部では,川は大きく蛇行し,ゆるやかな流れとなり,河川敷では,ヨシ原等の自然地,公園,グラウンド等が混在し,河口部は干潟が形成されている一方で埋め立てが行われ,羽田空港や京浜工業地帯が立地しています。
 
その風情は,山間渓谷部から河口部まで刻々とその姿を変えて,都市空間の一部を形成しているとともに,都市部に残された貴重な自然やレクリエーション等の場として,年間約2,000万人もの人々に利用される憩いと安らぎを与える首都圏を代表する河川となっています。
 
平成30(2018)年は,大正7(1918)年に国直轄として多摩川改修工事が着手されてから,ちょうど100年の節目の年であり,これまでの多摩川の歴史を振り返り,今までの治水の取り組みや現在の多摩川の事業等につい
てご紹介します。
 

【図-1 多摩川流域図】




 

2. アミガサ事件から多摩川改修事業へ

多摩川は,首都圏の川の中でも急流(図-2)であることから,古くから大規模な氾濫を起こし,沿川の住民を苦しめ続けてきました。明治以前の治水事業は,低地水防を主に,幕府推奨の用水路開削による新田開発と関係した,蛇行部のショートカットや水制などによる補強程度にすぎず,明治40(1907)年,明治43(1910)年と相次ぐ大水害に見舞われ,ますます深刻化しました。
 

【図-2 河川勾配】




  • 【図-3 多摩川の源流部の水干(みずひ)を望む】

  • 【図-4 富士山を背景に河口部のようす】



 


  • 【図-5 八幡大神(川崎市)】

  • 【図-6 現在の有吉堤】


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    特に,明治43年洪水は,多摩川のみならず関東一円が未曾有の大水害となりました。当時の内務省は,同年12月に第1次治水計画を策定し,流域面積が154㎢以上の65河川を直轄改修の施工対象として位置付け,そのうち20 河川は第1期河川,残りを第2期河川とし,第2期河川に位置付けられた多摩川は,直轄の改修施工までは従来どおり府県による改修を進めることが決定されました。
     
    当時の多摩川は自然堤防が多く,中でも,橘樹郡御幸(たちばなこおりみゆき)村から中原村(現:川崎市)にかけての一部が無堤部だったため,洪水のたびに多大の被害を被りました。村民達が治水対策を訴える陳情を行っても一向に進展しない状況において,もはや一刻の猶予もないという強い思いが結束を固め,大正3(1914)年9月15日,関係する地域の代表が討議し,八幡大神に約500余名の村民達が集結。翌日9月16日にアミガサを被って,神奈川県庁に押し寄せて早期築堤を訴える,いわゆる『アミガサ事件』が起こりました。その後,県は郡道改修工事を実施する際に道路を高く盛り上げて堤防を兼ねる『有吉堤』を完成させ,大正7(1918)年には国の直轄による多摩川改修の実現へと向かわせました。当時の住民にとって堤防整備は悲願だったのです。
     
     

    3. 多摩川改修工事の概要

    多摩川改修事業は,大正7(1918)年から本格的に行われ,河口から二子橋までの区間について,明治43(1910)年の洪水規模に基づき,築堤,掘削・しゅんせつが進められ,水衝部等には護岸を施工しました。さらに,舟運のために必要な六郷(ろくごう)水門や川崎河港(かわさきかこう)水門等を設置しました。
     
    また,昭和7(1932)年からは,二子橋から日野橋までの区間が着手され,旧堤防の増強を主とした築堤・掘削・護岸等の工事を実施,併せて支川である浅川の高幡橋地先から下流区間について同様の工事を実施しました。また,昭和34(1959)年の伊勢湾台風を契機に,伊勢湾級の台風が東京湾に来襲したときの備えとして,六郷橋から河口部までの高潮堤防工事を実施しました。
     

    【図-7 多摩川改修工事の堤防位置(内務省直轄工事概要 大正8年より転載(一部加筆)】




     

    【図-8 多摩川改修事業の変遷】




     

    4. 多摩川水系工事実施基本計画の策定

    昭和39年の新河川法制定に伴い, 昭和41(1966)年に多摩川が一級水系に指定。また,同年,多摩川水系工事実施基本計画が策定され,従来,工事は国直轄,管理は都県とされていましたが,直轄にて水系一貫の工事と管理を実施することになりました。
     
    また,昭和49(1974)年9月に計画高水流量に匹敵する大洪水に見舞われ,二ヶ領宿河原堰(にかりょうしゅくがわらぜき)の左岸において,洪水の迂回流によって堤防が決壊し,家屋等19棟が流される被害が生じました。この被害を受け,昭和50(1975)年に基本高水流量,計画高水流量を新たに設定し,高度成長に伴う流域内の開発の進捗も考慮した多摩川水系工事実施基本計画を改定しました。
     
    また,都市部にある多摩川が,万が一に破堤氾濫が発生した場合は,壊滅的な被害が予想され,経済社会活動に甚大な影響を与えることが懸念されるため,超過洪水対策として,昭和63(1988)年に高規格堤防の整備が位置付けられました。
     


    • 【図-9 昭和49年洪水の決壊時の航空写真】

    • 【図-10 現在の二ヶ領宿河原堰】



     
     

    5. 多摩川水系河川整備計画の策定

    平成9年の河川法改正を受け,これまでの工事実施基本計画に変わって,河川整備の基本となる多摩川水系河川整備基本方針を平成12年12月に定め,平成13(2001)年多摩川水系河川整備計画を策定しました。
     
    多摩川における治水上の課題は,上流部にダム等洪水調節施設が設置されていないことに加えて,二ヶ領宿河原堰をはじめとした横断工作物が数多く存在していることであり,洪水を安全に流下させるためには早急に対処することが必要です。また,堰上流における土砂堆積等に起因する河道断面の不足や河床勾配が急なことによる高速流の発生などにより,昭和49年洪水級をいかに安全に流下させるかが重要です。
     
    また,河川法の改正を受けて,従来の計画は,治水・利水のみでしたが,新たに環境について計画に位置付けて反映させることにしました。
     
    多摩川の水質については,昭和30年代後半から,戦後の復興と高度成長期により,流域の工場や宅地化の進展に伴う都市排水の増加により悪化の一途をたどり,昭和40年代以降は,環境基準値をクリアできない状況でした。しかし,流域の下水処理施設や下水道の普及,砂礫による水質浄化施設等により,今では環境基準値を満たし,平成26(2014)年には過去最多の推定520万匹を超えるアユが遡上するなど,多摩川はかつての美しさを取り戻しつつあります。
     
    また,都市部の貴重なオープンスペースである河川敷は,従来からの自然環境と野球グラウンド等の人工的な利用とのバランスが重要な課題となりました。自然環境の保全について自然地減少への懸念から,自然を守る市民活動が活発化したことを踏まえて,昭和55(1980)年に全国に先駆けて住民と直接対話しながら策定した多摩川河川環境管理計画のゾーニングをもとに,地域の方々と行政との意見交換の場として平成10(1998)年に設立された流域懇談会等を通して十分な議論を行い河川整備計画に反映しました。これからも治水・利水・環境と調和のとれた多摩川を整備していきます。
     

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