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建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 東日本大震災から8年 とりもどそう笑顔あふれる女川町

 

サンマの水揚げに沸きかえる

平成30年8月28日。この日は,早朝から町中が活気づいていた。待ちに待った今季初のサンマが水揚げされたからだ。
 
一昨年まで3年連続で全国的なサンマ水揚げの不振は,業界の大きな痛手となっていた。そのような中,震災後初となる8月中の水揚げは,宮城県船籍の第8千代丸(浅野正二漁労長)が北海道沖合で漁獲した58t。魚市場の買受人はもとより,町中が活気と笑顔であふれかえった。
 
震災前,平成21年のサンマの水揚げは数量で4万217t,金額は27億1,200万円。翌22年は数量で2万3,061t,金額は26億9,500万円で,本町地方卸売市場の主要魚種となっていた。
 
それが震災の年,平成23年には水産加工場の壊滅的な被災により受入体制が整わず,数量で7,802t,金額でも7億3,400万円に激減した。その後,業界の懸命な努力と水産加工場の段階的な再建などもあり,平成26年には数量で2万4,056t,金額で23億4,300万円まで回復。しかし,平成27年から29年までの3年間は,全国的なサンマの不漁が続き,一昨年,平成29年は数量で9,528t,金額は21億6,100万円と落ち込んでいた。
 
平成30年は,出足が好調だったことが奏功し,最終的に数量で1万5,550t,金額は27億820万円を記録した。
 

平成30年8月28日,この日初水揚げされたサンマは,120〜140gの中型サイズ。価格はkg当たり300〜450円で取引された




 

住環境の再建が完了

震災から丸7年が経過した平成30年3月末,本町での最後の災害公営住宅となる宮ケ崎第3期分28戸の引渡しが行われた。
 
本町の災害公営住宅は,全体計画としてRC集合住宅が561戸,木造戸建て住宅が298戸,合せて859 戸。総事業費は,235億9,500万円に上る。
 
町中心部は,561戸の集合住宅,187戸の戸建て住宅を整備し,離半島部14地区には,111戸の戸建て住宅を整備した。
 
宅地の整備は,防災集団移転事業での最終となる堀切山(ほりきりやま)地区,土地区画整理事業では清水(しみず)地区の一部,小乗浜(このりはま)地区の一部も平成30年度内にはすべての引渡しが完了する。
 
平成24年9月29日の「復興まちづくり事業着工式」から約7年,復興まちづくり事業の最優先課題の一つであった住環境の再建が計画どおりに完了する。
 
一方,町中心部のにぎわいの核となる商業施設は,駅周辺のテナント型や自立再建店舗は順調に本設再建が進んだものの,地域医療センターを挟み,駅前商業エリアの南側に位置する鷲神浜(わしのかみはま)地区商業エリアは,平成30年11月までの造成整備であったことなどから,自立再建商業店舗等の本格的な再建はこれからとなっている。今後順次,本設再建が進むものと期待するところである。
 

平成30年11月末に引渡され,本設再建が待たれる鷲神浜地区商業エリア。写真奥の建物は,左側から地域福祉センター,右側が地域医療センター。さらに,その先の女川駅,駅前商業エリアへと続く




 

水産加工場誘致,受入体制の強化が急務

基幹産業,水産業の核となる町地方卸売市場の平成29年4月の全施設再建完了(本誌2017年3月号掲載)に伴い,水揚数量では震災前には届かないものの,魚市場や買受人など関係者の一丸となった努力により,水揚金額では震災前の80億円前後の水準までに戻りつつあった。
 
しかし,水揚高のさらなる増高のためには,水産加工団地への加工場誘致,受入体制の強化が急務となっていた。
 
町では,中心部の北東に位置する石浜(いしはま),宮ケ崎(みやがさき)地区(以下「石宮地区」)を水産加工場の集積地とするべく,復興まちづくり事業での造成整備を進めてきた。
 
平成26年度から本格的に用地公募を開始した石宮地区の水産加工団地は,復興庁の復興交付金(水産業共同利用施設復興整備事業)や,経済産業省の中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業などを活用して,平成27 年度までに10 事業者,平成29年度に1事業者,計11事業者の再建が完了していた。
 
その後も既存の角浜(かどはま),小乗(このり)エリアや水産加工団地エリアの造成完了,引渡しによって,事業用地は全体的に26区画となっていた。用地の段階的な完成に伴い,町では引き続き,引渡しを受けた順に用地の使用者を決定するための公募を実施した。
 
まず,平成29年度では6区画。うち4区画に5事業者からの応募があったものの,女川町水産業共同利用施設復興整備事業選定委員会(委員長:西川正純公立大学法人宮城大学教授)での厳正なる審査の結果,4事業者が決定。さらに,平成30年10月末にも,2事業者が決定している。今後も引き続き,残る9区画の公募を進めていく予定である。
 

平成29年4月に全施設が完成した町地方卸売市場。背後は,再建が進む石宮地区水産加工団地。高台は,山を切り崩して造成した宮ケ崎地区住宅地。南側から望む(平成30年9月撮影)




 

産学官が連携。儲かる漁業に転換へ

平成30年12月7日,漁業権の優先順位撤廃や海区漁業調整委員の公選制廃止を含む水産改革関連法案「漁業法等の一部を改正する等の法律」が国会で可決成立された。70年ぶりの漁業制度の抜本改革といわれている。
 
国内では人口減少時代に突入し,さまざまな職種で人手不足となっている。漁業界においても同様だった。こうした状況に鑑み,水産資源を適切に管理し,日本の水産業がもつ大きな潜在力を伸ばすことで,成長産業化させることが法律改正の趣旨である。
 
県漁協女川町支所においても震災以前の平成22年4月には564人を数えていた正組合員・准組合員は,平成30年4月現在で337人,実に震災前の6割までに減少している。既存漁業者の子息を含めた後継者が参入したくなる収益性の高い儲かる漁業への転換が極めて重要となっている。
 
このように基幹産業の水産業を幅広い視点から,魅力ある漁業,漁場の活性化を高めていくためには,産学官の連携は不可欠だ。
 
本町には,今から遡ること86年前の昭和8年,東北帝国大学理学部化学教室 海洋水産化学研究所が設立された後, 昭和31年の東北大学農学部附属水産実験所などを経て,平成15年から現在の東北大学大学院農学研究科附属複合生態フィールド教育研究センター(以下「女川フィールドセンター」)となり,地域と連携しながら持続的な水産業の発展に向けた教育研究を行ってきていた。
 
しかし,平成23年3月に発生した東日本大震災の大地震と巨大津波により,女川フィールドセンターの施設,各種研究機器設備はもとより,それまで蓄積された数多くの研究成果なども流失の被害を負った。
 
さらに,多くの恵みをもたらしてくれる海の中は,町中に押し寄せた真っ黒な巨大津波が引きずり込んだ無数のがれきや汚泥などの堆積物,油タンクや大量の車両から流出した油などにより,被災当初には生態系や海洋環境に甚大な影響がでたであろうことは容易に想像ができる。また,地盤沈下した漁場など,沿岸の海況変動も大きかった。
 

調印した協定書を掲げる須田善明女川町長と牧野周東北大学大学院農学研究科長。今後,地域が抱える農林水産業や教育・研究等の諸課題の解決と地域の発展をめざす




漁業の復興と地域再生には,海洋生態系や海洋環境の継続的な調査,環境と共存した新たな漁業が必要となる。
 
こうした地域が抱える農林水産業や教育・研究等の諸課題の解決と地域の発展をめざして,震災直後,いち早く再建を果たした東北大学大学院農学研究科女川フィールドセンターで,平成30年10月1日,東北大学と女川町は,次の5項目の連携と協力に関する協定を締結した。
 
(1)震災復興に関すること
(2)産業振興に関すること
(3)共同研究等の企画・立案・実施
(4)教育・研究活動の発展に関すること
(5)その他両者が協議のうえ,必要と認めること
 
さらに,産業的重要種である「マナマコ」の増殖を図るため,マナマコ人工種苗の安定的生産技術の開発と生産されたマナマコ人工種苗の養殖場底部放流による増殖生産効果を明らかにし,町の新産業育成の基盤となる試験研究を共同で行うこととした。
 
また,マナマコとキタムラサキウニの陸上混合養殖をめざした試験研究を行い,将来の陸上完全養殖の実現に向けた技術開発を行う。
 
前述したとおり,地域が抱える農林水産業や教育・研究等の諸課題の解決と地域の発展をめざすため,互いに緊密な連携と協力を積極的に推進し,マナマコを女川ブランドへと育てていきたい。
 



 

遊びを考え,遊びを生み出す公園「マッシュパークおながわ」

復興まちづくり事業の最優先課題である宅地などの住環境の再建に加え,水産業や商工業などの産業再生も一定程度進捗し,復興後の新しいまちの姿が現れてきた。
 
残るエリアは,駅前商業エリアの東側,海に開ける「観光交流エリア」と清水地区の「清水公園エリア」である。
 
「観光交流エリア」は,北側に災害遺構(旧女川交番)を残したメモリアル広場と,南側には,スケードボードパークなどを配した観光交流エリアで構成されている。
 
そのメモリアル広場内にファッションや美容,デザインなど,多岐にわたる事業を展開する企業,(株)マッシュホールディングス(東京都千代田区/近藤広幸代表取締役社長)から,子どもたちの遊び場となる公園を寄贈していただけることとなった。
 
同社は,平成28年から復興支援事業として「マッシュパークプロジェクト」を立ち上げ,年1回開催する参加型チャリティーイベントの売上金を活用し,被災地に「子ども達の遊び場」となる「マッシュパーク」を寄贈することとしていた。
 
本町でも,当初から「観光交流エリア」内に公園的な空間整備を検討しており,今回のプロジェクトとの調整を重ねた結果,平成30年10月に同社の初めての寄贈先として,女川町が選定・決定された。
 
具体的なデザインは,マッシュグループのデザイン会社が検討中で,一般的な公園にある遊具の設置ではなく,子ども達が自分で遊びを考え,自由に遊びを生み出せるように,不規則な山や滑れる傾斜,休める木陰などの整備が計画されている。
 
来年の秋ごろには,「マッシュパークおながわ」で遊ぶ子どもたちの明るい笑顔があふれているに違いない。
 

子どもたちが自由な発想で楽しく遊びまわれるような公園に。海を眺めながら,親子で過ごせる公園が「マッシュパークおながわ」(パース:(株)マッシュホールディングス提供)




 

来年夏の開校へ向け,小中一貫校建設に着手

震災前,本町には本土,離島を含めて,小学校が3校,中学校が2校あった(本誌2018年4月号掲載)。
 
離島,出島(いずしま)にあった小学校・中学校は,震災により島民が島外避難したことなどを契機として本土の学校とともに再編し, 平成25年4月から小学校3校は女川小学校として1校に。中学校の2校も同様に再編し,女川中学校を開校した。
 
小学校・中学校は,震災後の人口流失に伴う児童・生徒数の減少や,それぞれが中心市街地から少し離れていた立地条件等を勘案し,新たなコミュニティの形成,地域との融和を図るため,町中心部の「へそ」部分にあたる高台に復興まちづくり事業で施設一体型の小中一貫校を整備することとしていた。
 
そのための資金は,国の復興交付金が認められたほか,震災後に女川魚市場買受人協同組合の冷凍冷蔵施設整備などに対しても支援をいただいているカタール国の「カタールフレンド基金」から10億円を支援していただくこととなっていた。
 

一貫校の北側には新役場庁舎,東側には,地域医療センターがあり,建設場所は,町のへそにあたる。一貫校完成後は,女川小学校の跡地に「女川消防署」や「町立保育所」の建設が計画されている(小中一貫校のイメージ図)


 



平成30年10月3日に東京都内で行われた「了解覚書」の締結式には,カタール国から,ムハンマド・アブドゥルラフマン・アルサーニ外務大臣,ユセフ・モハマド・ビラール駐日カタール国特命全権大使にご臨席いただき,本町への新規支援プロジェクトに調印していただいた。
 
須田町長は,「新しい一貫校は,社会を生き抜く力を身に付ける学校,安心・安全な学校,そして町の自慢の学校を目標に掲げている。町の中心に配置することで,公共動線を集約化し,人の流れを生み出すことができるコンパクトシティとして復興することの具現化を図りたい」と御礼を述べた。
 
駐日カタール国特命全権大使は,「子どもたちは未来。素晴らしい革新的なプロジェクトを手伝うことができて光栄。今後も両者の関係をより一層深め,教育や文化,スポーツの面でもさまざまな形で関係が続いていくことを願う」と述べられた。
 
小中一貫校は,町の中心部,女川地区の高台に新築。敷地面積は2万7,600㎡,建物は鉄筋コンクリート造地上4階建て,延べ床面積1万3,600㎡の校舎と体育館などを整備する。校舎・体育館は,1階部分がピロティ構造で駐車場として活用,体育館は大小二つに分けて建設し,小体育館の屋上にプールを配する。
 
また,隣接する地域医療センター,駅前商業施設等への土ぼこり拡散防止などを図るため,グラウンドには人工芝を採用した。
 
小中一貫校の開校は,来年の夏。折しも,国内で2度目となる「東京オリピック・パラリンピック」が開催される年。カタール国をはじめ,国内外からのたくさんの支援と協力に感謝しながら国際教育・国際交流を養い,明日の世界を担う子どもたちが,この地でしっかりと育まれていくことを心から願っている。
 
〈震災後のまちの姿〉

平成24年3月に撮影した中心市街地全景。震災により,地盤が1m程度沈下した。写真中央が宮ケ崎地区の女川町地方卸売市場(魚市場)周辺。写真左側上部が清水地区,左側中段にJR女川駅周辺の女川浜地区,写真左側手前が鷲神浜地区。写真は上部が北,手前が南,右側が東,左側が西の方位




〈復興イメージと現在のまちの姿〉

平成27年3月に描いた復興後の中心市街地のイメージ




平成30年9月に撮影した中心市街地。イメージどおりの町の姿が映し出されている。
「女川駅前レンガみち周辺地区」約6.6haは,良好な都市空間の形成などが認められ,平成30年度都市景観大賞の最高賞,国土交通大臣賞(都市空間部門)を受賞




 

「女川は流されたのではない」

今から7年ほど前の平成24年9月29日,「復興まちづくり事業着工式」を挙行したその日のため,着工式会場を望む南側の高台,地域医療センターのフェンスに,私は1枚の横断幕を掲げた。
 
『女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。』
 
この一節が,これから幾多の困難が待ち受ける我々を鼓舞するとともに,町民の疲弊した心を支えてくれると信じていたからだ。
 
この詩は,当時女川第二小学校の6年生だった佐藤柚希君が作ってくれたもの。佐藤君は震災当時,5年生。海のそばにあった自宅は津波で流失した。1年後,「友達の多くが落ち込んでいた。もっと,前向きでいなければ」と授業でこの詩を書いた。
 
あれから6年,平成30年4月2日。当時の小学生,佐藤柚希は高校を卒業後,まちの復興に関わりたいという強い決意を胸に地方公務員となり,須田町長から町職員の辞令を受け取った。
 
配属先は,産業振興課観光係。7年ほど前のあの日には,復興まちづくり事業の最終年度に,彼が私の担当課に配属されるとは夢にも思わなかった。
 
彼は今,本課の一員として東北各地のほか,首都圏まで町の観光PRに奔走している。時には,震災のバスツアーでの語り部として,当時自身が作った詩を披露しながら,その思いを語り継いでいる。

平成24年9月の「復興まちづくり事業着工式」以降,まちの復興を見届けてきた横断幕と詩作者の佐藤柚希




国内の未曾有の大災害は,後を絶たない。むしろ年を追って,規模や被害が拡大しているように思える。そのたびに幾多の尊い生命や財産が奪われてきた。我々は,強大な自然災害に対しては,なすすべがなく,ハード面での完全な防災には限界があることを思い知らなければならない。明日は我が身として,まずは自助。そして共助,公助を。「逃げる」という行動は決して恥ではない。避難は,自身の命を守ることができるはじめの一歩。何よりも優先されるべきだ。
 
震災直後,本町では,1日も早い復興を成し遂げるため,町民の皆さんをはじめ,国・県,関係機関等,多くの方々にご意見をいただきながら「復興計画」を策定した。ハード面での完全な防災には限界があり「逃げる」という減災の手法を取り入れた。
 
町民が一丸となって取り組んできた復興まちづくり事業は,ほぼ計画どおりに終えようとしている。残る一部の公共施設等の再建は,この先10年間の指針となる「女川町総合計画」へ引き継ぐ。
 
これまで本町をはじめ,東日本大震災で被災した数多くの自治体などに対して,ご指導,ご支援,ご協力をくださったすべての皆様に心から深く感謝するとともに,震災以降,長期にわたり女川町復興まちづくりの現状の一端を紹介する機会を与えていただいた本誌関係者の皆様に心からの御礼を申し上げ,本寄稿を完結とさせていただきたい。
 
結びに,佐藤柚希の詩を紹介し,ペンを置く。
 



 
これまでの女川町の復旧・復興に係る寄稿文は,“けんせつPlaza”(http://www.kensetsu-plaza.com/kiji/post/25619)にも掲載しております。あわせてご覧ください。
 
 
 

女川町産業振興課 課長  柳沼 利明

 
 
 
【出典】


積算資料2019年3月号



 

 

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