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建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー第25回 未来の循環社会 21世紀の食糧危機にあたって

 

公益財団法人 リバーフロント研究所 技術参与
竹村 公太郎

 

地球規模の食糧問題

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の交渉が大詰めを迎えている。
将来の日本の農業の進む道が大きく左右される重要な局面となった。
 
20世紀後半から、世界の食糧は地球を駆け巡っている。
環太平洋だけではなく、全地球規模で食糧は駆け巡り、先進国の大量消費をまかなってきた。
 
21世紀、その地球を駆け巡る食糧が、世界人類の存続を脅かしていく。
 
21世紀の食糧問題は、地球温暖化に伴う気候変動、世界の社会経済動向、
資源・エネルギーひっ迫という地球規模の課題が複雑に絡み合っている。
そのなかで、特に問題になるのがリン鉱石の枯渇である。
 
そのリン鉱石の枯渇を救う鍵が、日本文明の歴史に存在していた。
 
 

広重が描いた新宿

図-1 広重(四ツ谷内藤新宿)

図-1 広重(四ツ谷内藤新宿)


図-1)は広重の描いた当時の新宿通りである。
 
この突拍子もない構図の絵は、江戸の人々を驚かせた。
 
しかし、この絵の構図は、どう見てもおかしい。
単に馬の尻を見ているだけでなく、異常に低い目線からの構図である。
人馬の行き来の激しい新宿通りで、しゃがみこんで馬の尻を見ている。
大の大人が人通りの多い通りで、
馬の後ろに座り込み馬の尻を眺めるだろうか。
 
そう、これは大人ではない。
子供が座り込んでいる視線なのだ。
では馬の後ろでしゃがんでいる子供は何をしているのか。
その子供はある物を狙っている。
その狙っている物も、この絵に描かれている。
馬がポトポト落としていく馬糞である。
 
馬糞は麦わらと混ぜると良い肥料となった。
乾燥させると燃料にもなった。
馬糞拾いは子供たちの小遣い稼ぎであった。
馬が糞をすると、それが温かいうちに子供たちが拾ってしまった。
江戸の町では、屎尿(しにょう)と生ゴミは廃棄されなかった。
金銭に換えられる貴重品であった。
 
江戸は循環都市だったといわれている。
その象徴が、人々の屎尿を肥料とする「下肥(しもごえ)」であった。
江戸では川に投げ捨てる物などなかった。
これが循環都市・江戸の秘密であった。
 
広重は、この江戸の秘密をこの絵で表現していた。
 
 

江戸の循環文明

当時、100万以上の人が住む江戸は、世界最大の都市であった。
しかし、疫病がまん延していたヨーロッパの都市と比べ、江戸は衛生的な都市であった。
 
江戸にはヨーロッパ式の下水道はなかった。
それでも江戸が衛生的であった理由は、ゴミが発生しない徹底した物質循環社会が構築されていたのだ。
 
江戸の人々の屎尿は農家に引き取られていた。
単に引き取られたのではない。農家は野菜やコメと交換して、下肥を引き取っていた。
化学肥料がない時代に、チッソ、リン、カリを含む屎尿は農作に欠かせない肥料であった。
 
江戸周辺において、下肥は常に不足気味で貴重品であった。
下肥運送業はもちろん、下肥問屋や小売商まで存在していた。
長屋に住む店子の下肥の所有権は大家に所属していた。
大家は店子の下肥を売って利益を得ていた。
 
各家からの生活排水もわずかで、道や路地のゴミは燃料になった。
江戸に下水道がなかったにも関わらず、
どの川もきれいで、江戸湾には適度な栄養塩が供給され、プランクトン豊かな漁場となっていた。
 
世界の歴史上多くの文明が登場したが、物質循環の文明が日本で初めて生まれていたのであった。
 
 

人口膨張と下水道の登場

1853年(嘉永6年)、黒船が来航し、激動の時代を経て江戸は東京となった。
封建幕藩体制が崩壊し中央集権の国民国家となると、日本の人口は一気に流動化した。
全国各地から人々が東京へ流入してきた。
 
明治近代化が緒についた明治17年、東京の神田で下水道事業が着手された。
この下水道事業は、単にヨーロッパを模倣して開始されたのではなかった。
 
下水道を建設せざるを得ないところまで、東京は追い込まれていた。
 
それは疫病のまん延であった。
コレラ、ペスト、赤痢などによって、何万人もの命が奪われていった。
特にコレラは猛威をふるい、4〜5年単位で大流行した。
コレラによって明治12年に11万人、明治15年に3万人、明治19年に11万人、
明治23年に4万人、明治28年に4万人という死者数が記録されている。
(「〈清潔〉の近代」小野芳朗・著、講談社選書メチエ)
 
その疫病まん延の原因は、はっきりしていた。
それは日本、特に東京が不潔な都市に陥ったからであった。
その不潔になった原因は、人口の急増による物質循環都市の崩壊であった。
 
 

都市周辺の田畑の崩壊

東京の周辺部の田畑は次々と潰され、市街地は東京の外周へ増殖していった。
 
とどまるところを知らない人口膨張と乱開発が始まった。
関東平野は広大であり、その広大さが東京圏の異常な膨張を許してしまった。
 

図-2 東京圏の市街地の拡大(江戸時代〜現代)

図-2 東京圏の市街地の拡大(江戸時代〜現代)(出典:「アトラス東京」平凡社、1986)


 
図-2)は江戸が東京圏へ拡大膨張していった地図である。
現在からみると江戸の町は想像以上に小さく、山手線より一回り大きい程度であった。
 
それが明治、大正、昭和で一気に膨張していく。
今では関東一円が市街地となってしまった。
 
図-3 東京都の宅地及び田畑面積の推移(明治37年〜平成9年)

図-3 東京都の宅地及び田畑面積の推移(明治37年〜平成9年)


 
図-3)はそれを数字で表したものである。
過去100年間の東京都の田畑と宅地の変遷である。
100年前の明治34年、東京の宅地1万haの周辺には、6万haの田畑が取り囲んでいた。
東京の人々が排泄する屎尿の受け皿として充分な農地が控えていたのだ。
 
これが江戸の物質循環都市を成立させていた秘密であった。
都心の周辺の農地が、江戸の衛生を守り、江戸市民の穀物や野菜を支え、江戸湾は清潔に保たれ魚介類の宝庫となっていた。
 
都市化が進み、田畑は潰され、宅地が増殖していった。
昭和30年代、遂に宅地面積は田畑面積を超え、現在の宅地と田畑の関係は100年前と正反対になってしまった。
 
この(図-3)は、物質循環都市・江戸が成立していた秘密と、その循環都市が崩壊していくプロセスを鮮やかに表現している。
 
現在、東京都の下水道普及率は97%となっている。
ビルはもちろん家庭でも水洗トイレ化はほぼ完成した。
 
かつての人々の大切な下肥は、今では暗い下水道の中で水に押し流され、
人々の目が届かない処理場で処理され油をかけ燃やされている。
 
 

リン鉱石の枯渇

世界の穀物価格の高騰は、原油の高騰、エタノール燃料の穀物参入が指摘されているが、
大きな理由がリン鉱石のひっ迫と高騰である。
 
リン鉱石は化学肥料の原料である。
その化学肥料の原料・リン鉱石が枯渇しつつある。
リン鉱石は鳥の糞の化石であり、地球上に存在する量には限界がある。
 

図-4 リン鉱石の寿命予測

図-4 リン鉱石の寿命予測


 
CEEP(ヨーロッパ化学工学評議会)の報告では、1990年代をピークにリン鉱石は減少し続け、21世紀中にはその姿を消していく。
図-4)はCEEPの推計の図である。
 
実際、リン鉱石を日本に輸出していた米国は、1997年にリン鉱石の輸出を止めてしまった。
 
2008年4月、大地震が中国の四川省を襲った。
四川省は世界最大のリン鉱石産出国である中国の主要な産地であった。
5月以降、中国政府はリン鉱石に高い関税をかけ、実質上の輸出規制に入ってしまった。
 
原油価格の高騰とリン鉱石の枯渇で化学肥料は消え、世界の穀物ひっ迫はかつて経験したことのない厳しい局面を迎えていく。
 
リン鉱石が枯渇する21世紀、日本の穀物自給のため、下肥の復権が必至となってくる。
数年前の化学肥料原料の大高騰は記憶に新しい。
 
 

都市と地方の連携

リン鉱石が枯渇していくのなら、人々の屎尿に含まれるリン、カリを利用すればよい。
都市の人々の屎尿は、有機肥料として農地に提供され、生産された穀物や野菜は都市の人々に提供される。
江戸時代の都市と農地が支えあった物質循環社会を再び構築していくのだ。
 
江戸時代のように人々の屎尿を一軒一軒回って集め、街中を運搬する必要はない。
今ある下水道システムを有機肥料工場へ変身させればよい。
 
下水道処理場の汚泥は決して廃棄物ではない。
油をかけて燃やしてしまう現在のシステムは変更されなければならない。
汚泥の肥料化技術はすでに開発されている。
循環物質社会の構築に向って歩んでいく社会的合意がありさえすれば可能である。
 
多くの世界各地の人々は、人間の排泄物は疫病を運ぶ悪魔と忌み嫌っている。
しかし、日本人はつい最近の昭和の時代まで、糞尿を肥料としていた。
 
日本人は、排泄物が肥料になることを今でも記憶している。
この日本人のメモリーと技術が、世界規模の肥料枯渇に伴う食糧危機を救っていく。
 
 
 

竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

公益財団法人リバーフロント研究所技術参与、非営利特定法人・日本水フォーラム事務局長、首都大学東京客員教授、
東北大学客員教授 博士(工学)。
出身:神奈川県出身。
1945年生まれ。
東北大学工学部土木工学科1968年卒、1970年修士修了後、建設省に入省。
宮ヶ瀬ダム工事事務所長、中部地方建設局河川部長、近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。
02年に退官後、04年より現職。
著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年)、「土地の文明」(PHP研究所2005年)、「幸運な文明」(PHP研究所2007年)、
「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著)、
「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年)など。
 
 
 
【出典】


月刊積算資料2014年7月号
月刊積算資料2014年7月号
 
 

 

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