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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー 第59回 治水の原則 ー10cmでも1cmでも低くー

 
2019年10月12日,巨大台風19号が関東から東北南部を襲った。71河川で140カ所が決壊し,首都圏,東北では未曽有の災害となった。テレビ,ラジオそしてインターネットで多くの意見が飛び交い,この災害を理解しようと今でもさまざまな意見が交わされている。
 
治水とは何か?
治水の原則とは何か?
 
気候が狂暴になっていく将来に向け,この治水の原則を確認しておく必要がある。
 
 

治水の原則

洪水は自然現象である。自然現象は整然としていない。人間の予測を大きく超えて自由自在に暴れまくる。その自然に対峙するとき,人間はその自然の気ままさに振り回されてしまう。振り回されているうちに,自分たちの頼るべき根拠,原則を見失ってしまう。
 
この気ままで狂暴な洪水に対峙する際,不動の原則を持つことが重要である。そして,その原則は簡潔で,明瞭でなければならない。
 
堤防は信用できない。その堤防の下には旧河道の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が棲み着いている。どこから水が噴き出すかわからない。さらに,日本の堤防の99%は江戸時代に築造された。ダンプもない,締固め機械もない時代に人力で築造した。この堤防が21世紀の人々を守っている。この堤防に負荷をかけてはいけない。そのためには洪水の水位を下げることである。
 
つまり,「治水の原則」は「洪水の水位を下げる」この1点である。
 
洪水の水位を10cm,いや2cmでも1cmでも下げる。それが治水の原則である。
 
この治水の原則は,簡単で,ぶれがない。簡単でぶれないからこそ,この原則から多様な治水の手法が生まれていく。
 
ただし,多様な治水の手法には厄介な問題が内在している。
 
すべての治水の手法は,長所と短所を持っている。絶対的に正しい治水の手法などない。
 
それぞれの河川で,それぞれの時代で,治水の原則に立ち,より良い治水の手法を選ぶしかない。
 
 
 

洪水をある場所で溢れさせ,水位を下げる

最も原始的な手法は,ある場所で溢れさせることである。ある場所で洪水が溢れれば,そこから下流の洪水位は下がる。
 
この治水効果は絶大である。古い時代から,世界中で用いられていた。日本でもこの手法は多用された。
 
江戸時代,御三家の尾張徳川家は尾張地方を洪水から守るため,木曽川の左岸に大きな「お囲堤」を築造した。その結果,尾張地方は見事に守られた。ところが,対岸の低い右岸堤防の濃尾地方は,400年間,洪水で塗炭(とたん)の苦しみを受け続けた。村を守るため,輪中(わじゅう)で村を囲み自ら守った。(図-1)は江戸時代の濃尾地方の輪中を示す。
 
21世紀の今でも,中国の淮河(わいが)ではこの手法を使っている。2003年の洪水時,堤防を爆薬で爆破した。土地利用の低い地域を洪水で溢れさせ,土地利用の高い下流地域を守った(写真-1)。
 
この手法は簡単で,効果は絶大である。しかし,決定的な欠点を持っている。
 
社会的強者のために社会的弱者が犠牲になる点である。現代の日本社会で,この手法では合意を得られない。
 

【図-1 木曽三川下流域の明治改修以前の輪中分布図】
出典:長良川河口堰/木曽川下流河川事務所,水資源開発公団 長良川河口堰管理所

  • 荊山湖行洪区の稼働状況(堤防爆破の瞬間)

  • 堤防爆破後の荊山湖行洪区への導流状況
     
    【写真-1 中国・淮河の爆破】2003年7月 江原竜二撮影(左右とも)



 

洪水を他へ誘導して,水位 を下げる

河川の切り替えと呼ばれたり,放水路と呼ばれたりする手法もある。
 
河川を切り替えて,洪水を他へ誘導してしまう。そして,川の水位を下げて沿川(えんせん)の土地を守る。大都市の東京や大阪も川を切り替えて守られている。
 
400年前,江戸に幕府が開府された。そのとき,利根川は江戸湾に流れ込んでいた。家康は栗橋と関宿の台地を開削し,利根川を銚子方面の太平洋へ誘導する計画を立てた。その工事は三代将軍家光までかかり,その後も延々と利根川の拡幅と築堤が続けられた。
 
その結果,利根川の洪水の3分の2が太平洋へ導かれ,東京湾へ流れる江戸川の洪水の水位は低下し,首都圏が守られている。(写真-2)は利根川の洪水が銚子方面に向かっている写真である。
 
この手法の効果も絶大で,河川の水位は低くなり,安全性は一気に高まる。しかし,これも重大な欠点を持っている。
 
河川の流れを向けられた地域は,洪水の脅威に曝されてしまう。
 
利根川の切り替えで首都圏は守られたが,利根川下流の茨城,千葉は何度も繰り返し洪水被害を受けることとなった。
 
そのため400年経った21世紀の今も,利根川下流部では3カ所の国直轄の河川事務所が治水事業を営々と継続している。
 

【写真-2 利根川・江戸川の洪水】      出典:国土交通省(一部加筆 日本水フォーラム)


 

川幅を広げて,水位を下げる

川幅を広げれば,洪水の水位は下がる。
 
川幅の拡幅は,地先の水位を下げるだけではない。上流一帯の水はけを良くする効果がある。
 
平成16年,福井市内を流れる足羽川が氾濫した。しかし,この洪水被害を最小限にした治水事業があった。足羽川の下流の日野川の大規模な川幅拡張であった。
 
この日野川の拡幅は,日野川に合流する足羽川の水はけを良くした。それによって福井市内の氾濫水を速やかに排水した。
 
もし,この日野川の川幅拡幅の工事がなかったら,日野川の水位はさらに高くなっていた。日野川の水位が高ければ,合流する足羽川の水位も高いままで,福井市内は長時間にわたる浸水で苦しむこととなっただろう。(写真-3)は日野川の拡幅前と拡幅後の写真である。
 
しかし,この治水手法にも難題がある。川幅拡幅には,川沿いの土地を必要とする。日本各地のどの川沿いの土地も,何百年もかけて血と汗で開発してきた貴重な土地である。
 
川幅拡幅ではその貴重な土地を潰さざるを得ない。潰される土地の所有者の合意を得ることは至難の業となる。
 
この手法は,貴重な土地を守るために,その貴重な土地自身を潰すという自家撞着(じかどうちゃく)に陥ってしまう。
 

日野川 昭和41年 拡幅前
 

日野川 平成14年 拡幅後
【写真-3 日野川引提平面図】 出典:国土交通省近畿地方整備局


 

川を直線化して,水位を下げる

川が蛇行していると洪水は滞り,水位は高くなる。その蛇行部分を直線化すれば,洪水の流れは速くなり水位は下がる。
 
この手法は用地的な問題が少ない。直線化したことで,蛇行部の土地利用は高度化する。そのため,全国の河川において蛇行部を直線化し,洪水の水位を下げ,安全性を増していった。(写真-4)は,川を直線にしてコンクリートで固めた事例である。
 
しかし,この手法も欠点を持っている。水辺環境と風景という財産を消失させてしまうことだ。
 
蛇行する川は場所により水深と流速が異なり,多様な環境が形成されている。蛇行する川の周辺には森があり,林があり,草むらがあり,地域の原風景を形成していた。
 
明治の近代化以降,河川行政は限られた予算と急成長する社会に追われ,効率性を強く要求された。その結果が,川の直線化であった。
 
この河川の直線化は,日本各地の豊かな生態系と原風景を,人々の目前から消してしまった。
 

【写真-4 コンクリート張りで流速を早める】


 

川底を掘って,水位を下げる

この手法は説明する必要がないほど簡単だ。川底を掘れば水位は下がる。当たり前だ。
 
この川底を掘る工事は,川の中で行われる。放水路や川幅拡幅のように新たな用地を必要としない。近代の日本社会で,用地の心配がない公共事業はこの浚渫ぐらいだ。
 
浚渫は洪水の水位を確実に下げ,かつ,用地の心配はない。これはおいしい話だ。
 
しかし,おいしい話ほど,危ない落とし穴が待ち構えている。治水事業でも同じだ。
 
日本の河川行政は,この浚渫で重大な失敗を犯した。
 
昭和22年,カスリーン台風が関東を襲い,利根川が栗橋で決壊した。濁流は東京まで襲い,未曾有の大災害となった。国は利根川全域で大規模な治水事業を展開することとなった。
 
利根川の上流域で藤原ダム,相俣ダム,園原ダムの治水ダムを建設した。中流域で渡良瀬遊水地を築造した。そして,下流域で大規模な川底の浚渫を行った。
 
治水事業の全ての手法が,この利根川で勢ぞろいした。ところが,これら治水の手法の中で,川底を掘る浚渫という一番単純な手法に,大きな落とし穴が待っていた。
 
利根川下流部の大浚渫が完了した直後の昭和33年,利根川の上流奥深い50kmまで海の塩水が逆流した。利根川沿いの茨城,千葉一帯の農作物は壊滅的被害を受け,飲料水も使用不可能となった。流域の人々は「潮止め堰を造れ」と叫んだ。
 
国は後追いで,潮止め堰の利根川河口堰を建設することにした。この痛い失敗の末,下流部の大規模浚渫では必ず河口で塩水を止める,という教訓を得た。
 
長良川河口堰建設事業もその一環であった。長良川河口から15km地点の大きな砂州を浚渫し,洪水の水位を下げる。その浚渫に伴い発生する塩水の逆流を防止する潮止め堰が必要であった。(写真-5)(写真-6)は川の砂州と潮止めの河口堰である。
 
下流部の大規模浚渫は,潮止めの河口堰という河川横断工作物を必要とする宿命を持っている。
 

【写真-5】写真提供:国土交通省 中部地方整備局
 

【写真-6 長良川河口堰下流側から見たオーバーフロー操作時の状況】
出典:長良川河口堰/木曽川下流河川事務所,水資源開発公団 長良川河口堰管理所


 

ダム・遊水地で洪水を貯め,水位を下げる

ダムや遊水地は,洪水を一時的に貯め,川全体の水位を下げる。極めて効率的な手法である。(写真-7)は,台風19号でも大活躍した荒川の遊水池である。
 
しかし,この手法には克服すべき困難な課題が二つある。
 
この手法には広大な用地を必要とする。
 
用地を必要とするだけでない。用地を提供する地先にはなんらメリットがない。メリットを享受するのは,遠く離れた下流域都市である。ダムや遊水池の用地を提供する人々は,一方的な犠牲者となる。
 
特に,ダム事業においては,山間部の村落をそっくり水没させる。生まれた家,学校,森や小川,田植えや稲刈りのお祭りの思い出を根こそぎ消してしまう。
 
家や田畑はどうにか金銭で補償できる。しかし,人々の思い出は補償できない。ダム事業とは,そこに住む人々の思い出を犠牲にする厄介な事業なのだ。
 
「治水の原則」それは「洪水の水位を下げる」こと。
 
そのためのさまざまな手法がある。どの手法も水位を下げる。しかし,どの手法もそれぞれ欠点を抱えている。
 
それら手法の長所と短所を明確に示し,流域の人々の意見を聞き,流域の人々の思いに共感を示し,最後に国が責任を持って「ある手法」を選択しなければならない。
 
その選択で絶対的な正解などない。より良い選択でしかない。そのより良い選択のために,情報公開と選択のプロセスの公開が必要となる。
 

【写真-7 荒川の遊水池】  出典:国土交通省関東地方整備局


 
 
 

竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

非営利特定法人日本水フォーラム代表理事・事務局長,首都大学東京客員教授,東北大学客員教授 博士(工学)。神奈川県出身。1945年生まれ。東北大学工学部土木工学科1968年卒,1970年修士修了後,建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長,中部地方建設局河川部長,近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。02年に退官後,04年より現職。土砂災害・水害対策の推進への多大な貢献から2017年土木学会功績賞に選定された。著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年),「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著),「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年),「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社2016年)など。
 
 
 

特定非営利活動法人 日本水フォーラム         
代表理事・事務局長 
竹村 公太郎

 
 
【出典】


積算資料2020年3月号



 
 

最終更新日:2020-06-15

 

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