建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー 第63回 海の反逆 ─ 文明の撤退と再構築 ─

 

2019年9月台風15号(令和元年房総半島台風)

2019年9月9日,観測史上最大クラスの台風15号が,三浦半島から東京湾を抜け房総半島に上陸した。中心気圧960hPa,最大風速40m/sの強風が房総半島各地を襲い,それに伴う大規模停電が長期化し,社会問題として大きく報道された。この台風は,気象庁によって,42年ぶりに「令和元年房総半島台風」と命名された。
 
しかし,この台風では,房総半島の大規模停電に目を奪われ,極めて重大な災害が報道されなかった。
 
それは,東京湾の高潮が横浜市の臨海堤防を襲い,防潮堤防が粉々に破壊されたことであった(写真−1)。その後の報道によると,工場団地約300社が海水の浸水被害を受け,その被害額は約250億円になるという。前年2018年9月の台風21号の関西国際空港の浸水被害は約90億円であったので,横浜の被害はその3倍近くに達した。
 
高潮から都市部を守る高潮堤防は張子の虎であった。考えてみれば当たり前だろう。365日塩風にさらされている薄いコンクリートの壁が,腐食しないで何十年も持つわけがない。
 
この東京湾の臨海護岸の壊滅的被害は,未来の首都圏に,いや,日本列島にとって極めて重大な警告となる。
 
海をいたぶって発展してきた近代文明に対して,海の反逆が開始された。
 

【写真−1 護岸の被災状況】 出所:横浜市港湾局




 

海をつぶした近代

日本の明治近代の号砲は,蒸気機関車であった。1872(明治5)年に新橋,横浜間に鉄道が開通した。その鉄道ルートは東海道に沿っていた。今の港区付近の旧大名たちは,「臭い煙を吐く蒸気機関車の通過など許さない」と気勢を上げた。
 
この打開のために,鉄道技術陣たちは路線を海に追いやる案を持ち出した。旧東海道(現在の第一京浜国道)から50m離れた海の上に土堤を築造した。その上に線路を敷設し,蒸気機関車は海の上を走ることとなった。(図−1)は,近代最初の鉄道が,高輪から品川の間で海の上を走っている様子である。
 
日本最初の近代公共事業で,海岸を埋めることとなった。その後,日本の都市は,限りなく海岸に近づき,海岸を埋め立てていった。日本の近代化とは,海岸を消すプロセスであった。
 
未来社会において海面は上昇し,防災の最前線は海岸となる。2019年9月の台風15号は,海岸に接近した日本の都市の脆弱性をむき出しにした。
 

【図−1 東京品川海辺蒸気車鉄道之真景 広重(三代)】




 

海水面の上昇

温暖化の原因の特定は難しいが,原因はどうであれ地球規模の温暖化は進んでいる。
 
20年前,温暖化に関して衝撃を受けた写真がある。あるシンポジウムで登山家であり医師の今井通子さんの講演を聞いた。今井さんが若い頃,ヨーロッパ・アルプスへ行った時の氷河と,約40年後に再訪問した時に撮った写真が紹介された。
 
その写真によると,半世紀も経たないうちに,約400mもの厚さの氷河が溶けてなくなっている。何万年の間に徐々に滑り落ち,氷河がなくなった後には,固い岩に氷河が付けた削り跡も見えた。
 
この氷河の融解はいったん始まったら止まらない。今まで氷河の白色が太陽光をはね返していた。ところが,少しでも氷河が溶け,その下の黒色の岩が出てくれば,岩は太陽の熱を吸収していく。温度を持った岩盤が,今度は下から氷河を温めてしまう。
 
融解が止まらない氷河は水となり,海面上昇の原因となっていく。
 
 
 

100年後の予測

図−2,3)は,気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の研究成果を基に気象庁がまとめた2100年の推定図である。
 

【図−2 気温変化】 出所:気象庁



【図−3 海面水位上昇】 出所:気象庁



図−2)は気温の上昇曲線であり,2100年にはその曲線はほとんど上に凸となっている。
 
ところが,(図−3)の海面の上昇曲線はほとんど下に凸の曲線となっている。
 
これらから分かることは,2100年ごろ気温の上昇は収まっていく。しかし,海面の上昇は2100年ごろから本格的に開始されていく。
 
大気温度の上昇は化石エネルギー使用量に支配されている。(表−1)で示したように,エネルギーとしての石油,天然ガスは,50年先には人類の目の前から消えていく。石炭はわずかに残っている。しかし,その石炭は手が出ないほど高価になり燃料としては期待できない。
 

【表−1 エネルギー可採年数】



人類は森林を燃やしていくことになるが,それも限度がある。つまり,2100年ごろ大気温度の上昇は頭打ちになる。それに反して,海面は2100年以降もとめどもなく上昇し続けていく。
 
 
 

未来の海面上昇

IPCCの報告によると,2100年までに気温は平均で4℃上昇し,海面の上昇は2100年の中等値で50cmになると予測されている。
 
海面上昇に関する予測には幅がある。しかし,専門家の意見の相違による予測値の幅など問題ではない。問題は「海面上昇のほとんどの予測線が下に凸であり,2100年以降から上昇傾向になる」ところにある。
 
この地球は2100年で終わる命ではない。地球はその先,何千年,何万年,何千万年と続いていく。2100年などはすぐそこであり,それ以降も海面は上昇し続けていくこととなる。
 
三村信男茨城大学教授の解説によると,5.5℃の温暖化が一千年間継続すると,グリーンランドの氷床の融解で3mの海面上昇をもたらす。さらに南極西部の氷床の融解も発生し,海面上昇の3mの量に寄与することとなる(全国海岸協会発行「海岸」Vol. 41-2001)。
 
海洋が平均4℃上昇するとして,海洋水の体積膨張を単純に試算してみた。私の試算による海面上昇は,約4mとなった。
 
これらを合計すると,一千年後で海面が約10m近く上昇することになる。
 
 
 

生き残る日本列島

このような試算を繰り返していると,何千年後の日本列島は一体どうなるのかが心配になってくる。
 
コンピューターで日本列島周辺の海水面を上昇させてみた。(図−4)は現在の日本列島である。(図−5)では海面を10m上昇させた。
 

【図−4 日本列島陰影段彩図(現在)】 出所:国土地理院



【図−5 日本列島陰影段彩図(海面10m上昇)】 出所:国土地理院




5mの海面上昇で国土の10%の沖積(ちゅうせき)平野は水没するが,日本列島の90%は水没しない。海面上昇の量に差をつけても,生き残る日本列島の地形の形状にそれほど差が出ない。驚くことに日本列島の姿は残っている。
 
日本列島は生き残る。ただし,沖積平野を失うことになる。沖積平野を失うことは,現在の文明を失うことである。一千年オーダーの未来において,日本人は何百年間かをかけて,縄文時代に生きた丘陵地帯へ帰っていくことになりそうだ。
 
丘陵地帯での新たな文明の再構築の時間は十分ある。ただし,丘陵地帯で文明を再構築していく間は,狂暴化する高潮から沖積平野を防潮ゲートなどで守りながら高台へ撤退していく必要がある。
 
戦国時代の戦いでは,敗退し,撤退していく時が,最も重要な瞬間となる。殿(しんがり)隊は,逃げる本体を守りながら,後ろを向いて迫りくる敵と戦っていかなければならない。
 
未来の文明の再構築の時代,戦国の戦いと同様に,沖積平野を守りながらの殿隊の困難な戦いが繰り広げられることとなる。
 
「文明の撤退と再構築」─これが未来の日本の姿となる。
 
筆者はこのことを15年前から言い続けてきた。
 
ところが,最近「天気の子」という映画を見て驚いた。最後の場面で,関東平野は水の下に沈んでいた。そして,人々はそれを見下ろす高台で穏やかに生活している場面で終わっていた。
 
 
 



 
 

竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

特定非営利活動法人日本水フォーラム(認定NPO法人)代表理事・事務局長,首都大学東京客員教授,東北大学客員教授 博士(工学)。神奈川県出身。1945年生まれ。東北大学工学部土木工学科1968年卒,1970年修士修了後,建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長,中部地方建設局河川部長,近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。02年に退官後,04年より現職。土砂災害・水害対策の推進への多大な貢献から2017年土木学会功績賞に選定された。著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年),「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年),「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著),「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年),「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社2016年)など。
 
 
 

特定非営利活動法人 日本水フォーラム(認定NPO法人)         
代表理事・事務局長 
竹村 公太郎

 
 
【出典】


積算資料2020年11月号



 
 

 

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