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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー 第68回 言語から見る国土─孤独な日本語─

遺伝子は決めない

21世紀は,遺伝子工学の時代である。
生命の仕組みが次々と明かされ,毎日のように新しい遺伝子に関する情報が飛び込んでくる。
 
このように遺伝子の話題が多いと,人間の存在は全て遺伝子によって決定されている,という錯覚に陥ってしまう。
確かに人の生命は,ヒトゲノム(人間の遺伝子情報の総体)によっている。
しかし,それは身体の構造に関してである。
 
ヒトが人らしくあるのは,人間の脳の働きつまり脳の機能にある。
 
この人間の脳の働き「機能」は,遺伝子情報によっているのか?
 
脳の「構造」は,遺伝子情報によっている。しかし,脳の働きつまり「機能」は,育った環境によっている。

 
 

脳ネットワークの形成

だいぶ前,新幹線で月刊誌『Wedge』(ウェッジ)を読んでいると(図-1)が載っていた。
面白いので大切にとっておいた。
脳科学者である北海道大学の澤口俊之教授(当時)の研究データである。
 
人間は生まれた瞬間,脳にはすでに数百億個の脳細胞ができている。
このニューロン数は,誕生してから3歳頃までに劇的に減少していく。
ニューロン数の減少は,(図-1)の赤線で表されている。
 
それに対し,脳細胞のネットワークであるシナプス数は,3歳頃までに急激に増加していく。
図-1)の青線がシナプス数の変化を表す。
 
これを見ると,シナプスは,7歳頃まで活発に形成される。
それ以降,シナプス数は緩やかに減少していく。
 
人間にとって3歳頃がいかに大切か,この図は見事に表現している。
 
特に,会話の土台となる聴覚のシナプスは,3歳までに出来上がってしまうという。
つまり,英語でいえば「L」と「R」の違いは,乳幼児の時に備わってしまう。
 
この3歳頃のシナプスの形成は,遺伝子情報の命令によるものなのか,生まれ育った環境によるものなのか。
 
その結論はすでに出ている。人生を左右する脳のシナプスのネットワークは,生まれたその環境によって形成される。

脳ネットワークの形成

出典:月刊誌『Wedge』(ウェッジ,平成12年12月号)
【図-1】



 

西欧人と日本人の左脳

今から約50年前の昭和48年,当時の東京医科歯科大学の角田忠信教授が「日本語の特徴」という研究発表を行った。
その後,角田教授は,日本人と西欧人の脳を比較して,著しい相違があることを次々と実証していった。それらの集大成が,『日本人の脳』(大修館書店,1978年)である。
 
私にとって,この本は日本を理解するうえで大切な一冊となった。角田教授の膨大な研究成果のポイントは,次のようになる。
 
「西欧の言語は『子音』が優勢であるのに対し,日本の言語は『母音』が優勢する。
 
さらに西欧人は,自然界の虫の音を『雑音』として右脳で処理している。
ギャーギャー泣いたり,ワーワー叫んだり怒鳴ったりする人の感情音声も,『雑音』として右脳で処理されている。
つまり西欧人は,子音を中心とした言語と計算を左脳で扱っている。
 
ところが日本人は異なる。虫の音や人の感情音声を,普通の言語と同じ左脳で処理している」。
 
西欧人も日本人も,論理は全て左脳が司(つかさど)っている。
そうすると,西欧人と日本人で論理や考え方は,どのように異なっていくのか。
西欧人の左脳には,言語と計算しか入っていない。
そのため西欧人の論理は,言語と計算で構築されていく。
 
一方,日本人は言語だけでなく虫の音も人の感情音声も左脳が司っている。
そのため日本人は,自然情緒や人間感情も組み込んで論理を構築していく。
図-2)は日本人と西欧人の左右の脳の機能を示している。

日本人と西欧人の左右の脳の機能

出典:角田忠信著『日本人の脳』(大修館書店,1978年)
【図-2 日本人と西欧人の左右の脳の機能】



 

左脳の働きの差

西欧人は論理的で,日本人は情緒的であるといわれる。
論理を司る左脳に,虫の音,鳥の声,人の感情音声が収納されているならば,日本人の論理が情緒的だという理由が胸にすとんと落ちてくる。
 
なおこれは遺伝子の問題ではない。生まれ育った環境によると,角田教授は実証した。
 
「アメリカで生まれ育った日本人の脳は,西欧人と同じ脳の機能であった。つまり虫の音や人の感情音声は,雑音として右脳で処理されていた。
 
逆に,日本で生まれ育ったアメリカ人は,日本人と同じ脳の機能であった。つまり虫の音も人の感情音声も,言語と同じ左脳で処理されていた」。
 
このためアメリカで育った日本人は,言語によって論理を構成し,日本で育ったアメリカ人の論理には,情緒と感情が入り込み日本的になっていた。
 
論理を司る脳の機能は,人種の違いではない。
遺伝子の違いでもない。人が生まれた環境によって決定されている。
それも人生の極めて早い時期の3~7歳までで決まってしまう。

 
 

孤独な日本語

角田教授はその後,日本人と同じ左右の脳の機能分担をする民族を探し回っていった。
つまり,母音優勢の言語を話し,左脳で虫の音や人の感情音声を処理している民族を探したのである。
 
その結果,隣の中国も,台湾も,朝鮮半島の人々も,東南アジアの人々も全て西欧人と同じパターンであった。
文法が日本語と似ている民族も,やはり虫の音,人の感情音声は雑音として右脳で処理されていた。
 
いつ頃日本語が,形作られたのかは定かではない。
石器時代か,縄文時代か,弥生時代か。
いずれにしても数千年間,地球上で日本語は孤独な存在であった。
 
しかし,ついに角田教授は,同じ母音が優勢で,虫の音や人の感情を左脳で処理している人々を見つけた。
 
南海に浮かぶポリネシアの「トンガ」と「サモア」であった。
 
日本語はやっと孤立をまぬがれた。
 
角田教授の研究は,ここで終わっている。
しかし,この角田教授の研究をもとに推論を重ねていく価値はある。
その先は,日本人のアイデンティティーにつながっていく。

 
 

言語の源流・母音

何千年,何万年の人類の歴史で,母音,子音の発声差に関する化石の証拠など残されていない。
そのため推定するしかない。
逆に考えると,自由に仮説を立てて議論できる場となる。
私も自由に仮説を展開していく。
 
人類が言語を使用した初期,大自然の中で危険を知らせたり,獲物を追い詰める連絡を取り合う時は,大声で叫んだであろう。
また猛獣に気が付かれないよう,暗闇の中で合図を交わす時に,虫や動物の音を聞きながら,その音に紛れてそっと合図を交わしたであろう。
 
初期人類にとって虫の音,動物の鳴き声は,極めて重要な音情報であった。
そのため,人が話す言語と自然界の音は,密接不可分な関係を持ち,それらは全て同じ左脳で処理されていたと仮定する。
 
生物の進化は,全て単純なシステムから次第に複雑化していく。
この類推から,言語も単純な母音から,複雑な子音言語に変化していくと考えられる。
 
この推定から,日本人とトンガ人,サモア人は,人類の発声の進化の源流に位置していると仮定できる。

 
 

文明の自然排除

紀元前,人類は文明を創り出した。文明とは,人間が集まり,インフラを造り,さまざまな活動を行う社会である。
そして,文明は必ず都市を誕生させた。
 
メソポタミア文明,エジプト文明,インダス文明,中国文明など全ての古代文明で都市が誕生した。
都市では自然は排除された。何しろ自然は制御できない。
 
「人間は予測し,計画し,制御するのが大好きだ」─養老孟司著『唯脳論』(青土社,1989年/ちくま学芸文庫,1998年)。
 
だから予測できないものが大嫌いだ。計画できないものが大嫌いだ。
制御できないものが大嫌いだ。予測できず,計画できず,制御できないもの。
それは「自然」である。
人間は自然が嫌いなのだ。
 
人間がつくる都市は,予測され,計画され,制御された空間でなくてはならない。
ゴキブリやネズミは自然の生物である。
しかし,レストランでゴキブリやネズミが走り回るのは許されない。
レストランでは自然を排除し,完全に制御されていなければならない。
それが都市である。
 
人間は都市から自然を排除していった。
都市の中で自然の木や生物があっても,それは制御された疑似自然である。
都市では,自然界の音は情報として価値を失っていった。
自然の中で生きていた時に重要だった虫の音,鳥のさえずり,動物の鳴き声などは,計画し,制御する論理の左脳からいつか追い出される運命にあった。

 
 

文明の交流

文明は交流を始めた。異なる文明同士の交流だけではない。
移動する民族との交流があった。
最も劇的な交流は,征服と被征服である。
ユーラシア大陸では何度も大帝国と移動する民族が出現し,地球規模で征服と被征服が繰り返し行われた。
 
紀元前,ユーラシア大陸の西でローマ帝国,東で秦帝国が誕生した。
紀元になり,ローマ帝国は東西に膨張し,中国では漢王朝と南北朝時代になった。
その後,西にビザンティン帝国,中央でウマイヤ王朝,東では唐が勢力を張った。
7世紀になるとイスラム帝国が急成長していった。
11世紀には十字軍が東に向かい,13世紀には神聖ローマ帝国が生まれ,モンゴル帝国が大陸を席巻した。
16世紀にはオスマン帝国,18世紀には清帝国,19世紀になるとロシア帝国がユーラシア大陸で拡大していった。
 
この征服と被征服の繰り返しで,人々の言語は重なり合い,多様になり,複雑さを増した。
その言語の増大は母音でなく子音で行われた。
変化の幅が大きい子音は,曖昧さがあり,微妙な表現も可能である。
敵か味方か分からない人の出会いでは,相手の様子をうかがう必要があった。
そのような場面では,微妙な音声の子音が便利であった。
 
文明の交流と民族の征服と被征服で,子音は爆発的に増大していった。

 
 

交流による言語の子音化,複雑化

子音が増大するにつれ,左脳は右脳に比べ余裕がなくなった。
さらに,都市で住む人々にとって,自然の虫の音,動物の鳴き声,人間の感情音声などは不必要になった。
自然の音は論理と関係のない無意味な雑音と見なされた。
論理と関係のない雑音は右脳で収納される。
自然の音は,子音でいっぱいになった左脳から右脳へ押し出されていった。
 
世界中で子音が進化し,左右の脳の機能分担も変化していった。
しかし,日本人とトンガ人,サモア人だけは取り残された。
取り残されたというより,21世紀の現在も,人類初期の言語形態を保ったままである。
 
なぜ日本とトンガ,サモアだけに,このような言語が保存されたのか?
 
日本とトンガ,サモアの共通点は何か?

 
 

地理が脳を支配した

日本とトンガ,サモアの共通点は,はっきりしている。
3カ国とも他民族に侵略されず,固有の文字と言語は抹殺されず,侵略されず,そのまま存続した。
 
日本の場合,日本列島とユーラシア大陸の間には,流れの強い100km以上の対馬海流の壁が立ちはだかっていた。
13世紀にモンゴル軍が襲ってきたが,どうにか撃退できた。
 
トンガ,サモアはポリネシアに属している。
ここはオーストラリア大陸から最も離れた南海の孤島郡である。
図-3)で太平洋に係る海流を示した。
 
海流はアメリカ大陸から来る南赤道海流で,その海流は再びこの孤島郡からアメリカ大陸へ戻っていく。
蒸気船ができる以前は,東からの海流は漂流してくる冒険家を運んできたが,ヨーロッパの暴力的な近代帝国を運んではこなかった。
 
トンガは1900年代に英国連邦の領有となった。
しかし,この時代の英国帝国はこの諸島の文化を抹殺する暴力的な征服を避けた。
 
同じ南太平洋に浮かぶミクロネシアとメラネシアは,オーストラリア大陸に近い。
400年前の1600年代から植民地時代の主役であるスペイン,オランダ,英国そしてドイツが入り乱れ,これらの諸島を暴力的に奪い合っていた。
 
日本とトンガ,サモアだけが他民族に侵略されず,それらの言語文化は抹殺されず,侵略もされなかった。
そのため日本とトンガ,サモアは,複雑で厄介な子音を発達させる必要がなかった。
左脳には自然界の虫,鳥,動物そして人間の感情音声を収納したまま,母音中心の言語で会話している。
 
以上が世界史と世界地理から見た仮説である。

日本人と西欧人の左右の脳の機能

作図:竹村
【図-3 太平洋の海流】



 

国土の宿命

その国を知るには,地球上のどの位置にあり,どのような地形で,どのような気象なのかを理解することが必要である。
 
地理,地形そして気象は,人々の意志で覆せない。
その国の歴史と文化は地理,地形そして気象に依存し,それらは人々の言語と思考方法も支配してしまう。
 
日本人の言語を司る脳の機能は,日本列島によって規定されている。
 
日本列島に生きる私たちは,日本列島という宿命から逃げることができない。
 
世界で最も短い文学は俳句である。
俳句は左脳に自然音や感情音声を収納している日本列島に住む人々が生み出していった。
 
 閑さや 岩にしみいる 蝉の声
 古池や かわず飛び込む 水の音

 
 
 

竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

特定非営利活動法人日本水フォーラム(認定NPO法人)代表理事・事務局長,首都大学東京客員教授,東北大学客員教授 博士(工学)。神奈川県出身。1945年生まれ。東北大学工学部土木工学科1968年卒,1970年修士修了後,建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長,中部地方建設局河川部長,近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。02年に退官後,04年より現職。土砂災害・水害対策の推進への多大な貢献から2017年土木学会功績賞に選定された。著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年),「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年),「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著),「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年),「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社2016年)など。
 
 
 

特定非営利活動法人 日本水フォーラム(認定NPO法人)         
代表理事・事務局長 
竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

 
 
【出典】


積算資料2022年1月号


最終更新日:2022-08-29

 

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