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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料公表価格版 > 特集 景観と文化の保全 > まちを豊かにする景観とは~文化と活力~

1. 景観を保全すること

文化的景観という考え方が普及して久しい。
文化財保護法によれば,それは「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」と定義されている。
つまり,どうしても見た目・うわべの議論になりがちな景観保全の取組みに対して,景観とは,実は一つの結果的な現象であるので,さまざまな生業や生活が成り立っているコトをこそ大切にしなければならないとする。
だから,これを保全するとなると,コトを成り立たせているしくみのまるごとを理解して,それを持続させなくてはいけない。
 
都市の景観であれば,その持続性はそこに蓄積されたモノの重層性で知ることができる。
それ故に,伝統的な構築方法や様式の保存が議論されることになる。
例えば土木遺産は,そもそもこれが社会や産業のあるべき姿を長期的に支え得る基盤として建設されているが故に,たとえその使命を終えて遺物となっても,そのまちや地域を長期的に支えてきたビジョンやライフスタイルを物語る。
それが現代のコミュニティの存在価値を高めるのであれば,その保存が積極的な意義をもつ。
そういった性質の景観は,まとまって保存されることで現在の営みも含む時間の経過が蓄積され,特色のある場所としての迫力をもつ。

長良川中流域における岐阜の文化的景観


図-1 長良川中流域における岐阜の文化的景観:
長良川とともに生活し生業を営んできた姿として評価されている。
(撮影:筆者)

土木学会選奨土木遺産に認定された黒部ダム


図-2 土木学会選奨土木遺産に認定された黒部ダム:
この建設を可能にした技術的な努力とともに,
これに支えられるライフスタイルの大きな時間的蓄積を,
圧倒的な迫力ある風景の中に読み取ることができる。
(撮影:筆者)


遊子水荷浦の段畑


図-3 遊子水荷浦の段畑:
生産の回復とともに維持される文化的景観。
(撮影:舩田颯太)



 

2. 遺産の活用という思想

しかし,単なるレトロスペクティブな趣味のみで,保存が目的化すると,却ってまちの現在の価値を損なう場合もあるだろう。
ひとときまちはまるごと博物館であるとするエコミュージアム構想が注目されたが,この興味深いキャッチフレーズの含意である生きている文化の体験も,保存展示を主とする伝統的方法で展開されてしまうと,現代の生活者にとっては,息苦しく,持続に苦労する負担となってしまう。
重要伝統的建造物群保存地区における同様の苦しみを経て,近年保存だけでなく柔軟に「活用」を促進するようになった文化庁の対応も,こうした問題に対応しているものと考えられる。
 
ただし,活用するという動詞は,当然ながら遺産を保存することが前提にされた表現である。
異文化や非日常を体験する観光事業に活用する,という文脈は理解しやすいが,その他の文脈において,保存を前提にした活用という枠組みはなかなか難しい。
文化的景観を成立させている形成のしくみが,そのまま現在のライフスタイルや産業のプロセスとして選択されるのでなければ,つまり日常そのものを運営するしくみと一致していなければ,持続は常に困難である。

遊子水荷浦の段畑


図-4 沼津の循環ワークス:
鯖節工場が人々の手によってリノベーションされ,
「活用」という次元を超えて,モノやヒトを循環させるライフスタイル
そのものを支える起点となっている。
(提供:循環ワークス)

遊子水荷浦の段畑


図-5 19世紀半ばのパンチ風刺画:
伝染病が水を含む悪環境から生じることが問題視されている。
直後にはルイ・パスツールによって病原菌が発見された。
(所蔵:The British Museum)



 

3. 都市計画的保全の倫理

他方,地方において中心性を辛うじて保ってきた小さな都市の市街地はいま,存続を賭けた岐路に立たされているといっても大袈裟には聞こえなくなった。
なかなか収まらない新型コロナウィルスの脅威に晒され,人と人の接触を忌避するさなかにあって,中心市街地は危険な場所にさえ見える。
この状況は,歴史を振り返れば,19世紀に猛威を振るった伝染病コレラの蔓延とよく似ている。
コレラ禍は,公衆衛生に対する人々の認識を劇的に変え,人々は試行錯誤の後に,過密を避けて郊外へ人口を分散させて整理する都市計画という手立てを生みだした。
 
このような経緯で20世紀を通して都市政策の主流となった都市計画の手法は,本質的には鎮めの技であると捉えた方が分かりやすい。
戦後に生まれた市街地再開発という都市計画の劇的な手法も,結局のところ多数の者がわがものにしようと殺到する土地を整理して,上空へ積み上げた床を分配することで,その熱気をできるだけ冷まさないようにしながら綺麗に整頓するものであると捉えられる。
 
実は,これらの根底にある倫理は,遺産を保存する倫理と同種のものではないか。
時代の激動の中で,ある瞬間を凍結しようとする方法は,すなわち,混沌を排除する方法であり,制御不能な熱気と予想のつかない偶発性を恐れ,悪弊のまん延を防止する策と根を同じとする鎮めの方法である。
思春期の猛る若者に「落ち着け」と諫める大人の道徳である。
これらは,いわば統治の倫理に従っている。

市街地再開発のイメージ図


図-6 市街地再開発のイメージ図:
地方都市にも高層ビル建設を可能にしてしまうこの手法は,
実施すればまちが活性化するように錯覚してしまうが,
実際はそれ自体にはコトを活性させる力は備わっていない。
(図:国土交通省)



 

4. 賑わいではなく活力

しかし,20世紀末にはこうした道徳により,都市のもつ活力が削がれてしまった。
落ち着きすぎたともいえる。
この反省から,21世紀初頭には,中心市街地を活性化することが都市の課題になった。
市街地が魅力的であれば,人々が集まり,商いが成り立ち,そのエリアの価値が上がる。
価値の高い場所で高まる経済力は,地方自治体の財源で大きなシェアを占める固定資産税収入を増加させ,都市自体の経営力を向上させる。
国土交通省が推進する歩いて暮らせる(ウォーカブルな)まちづくりは,地方自治の持続の問題と密接な関係にあると考えられるようになった。
 
我々が20世紀に自覚したように,コロナの有無に関わらず,都市には活力が必要である。
留意すべきは,賑わいと活力は別のものであることだ。
活力があれば賑わうが,賑わいは必ずしも活力を高めない。
その違いを確認するため,コトを生む力,創業する力のことを,活力と定義しよう。
中心市街地活性化という聞きなれたフレーズに含まれている活性という概念も同様に,生み出す性質であると受け止めると理解がしやすくなる。
 
活力は次の時代を創るエンジンである。
これに対して,賑わいは,その結果として興る現象である。
鎮めの策を極めた後に,賑わいで味付けをするレシピは,因果の逆流に挑む魔法である。
20世紀には大衆の大量消費と賑わいはセットで認識されてきたが,これは歴史的には一時的な流行にすぎない。
賑わったのは,その時代に活力がみなぎっていたためである。
資源に付加価値を付けるクリエイティブな作業を持続させること,すなわち活力が備わっていることが,都市を都市とする。
 
閉塞感に包まれた社会の中で,活きのよいイベントを興し,少しでも心理的開放を得ようとするのは,健全な精神を保つために我々が伝統的な処方箋として持っている「祭り」の本質であると考えられる。
しかしながら,その道は持続的なまちの発展へ直接通じてはいない。
危機に及び,多くの補助金をつかって一時的な賑わいをいくら実現しても,活力を得ることにはならず,それどころか,自ら創り出す力を発揮できない依存体質を固着しかねない危険を孕んでいる。
消費するだけでは,付加価値を生みだせず,その集積である国庫も枯れる。

社会実験YANAGASE PARK LINE


図-7 
2019年,2020年と実施された岐阜市の
社会実験YANAGASE PARK LINE。
車中心から人中心に切り替えることで,
まちで人が偶発的に出会い,世代が交わり,
コトが起こる可能性が体感された。
ウォーカブルとして描かれる都市の経営力の実態は,
このような場の力である。
(撮影:筆者)

1960年代の柳ヶ瀬の雑踏


図-8 
1960年代の柳ヶ瀬の雑踏


柳ヶ瀬の空地を会場にして実施した岐阜大学特別講義


図-9 
西村浩氏(ワークビジョンズ)を招いて
柳ヶ瀬の空地を会場にして実施した岐阜大学特別講義。
まちへ消費のために集まるだけではなく,
集まった人々がコトの生産を同時に担う。
(撮影:筆者)



 

5. 同時に存在する2 つの道徳

活力を尊ぶのは,先に述べた統治の倫理とは別次元にある道徳律に基づく判断であるといえる。
それをジェイン・ジェイコブズは市場の倫理(the moral foundation of commerce)と表現した。
先述の統治の倫理(the moral foundation of politics)もジェイコブズの言葉である。
どちらも同じ事象に登場しうる信憑性をもった道徳であるが,互いに明らかな対立関係を見せる(表-1)(※1)。
そのため,これらの道徳律を混合し,統一をしようとすると,矛盾が生じて必ず失敗に終わるという。
ただし互いの道徳律が存在することを認めたうえで共生すれば,補完的関係を築くことはできる。
 
市場の倫理,統治の倫理の対立する特徴を,少し構成しなおすと,表-2のような構図が見える。
活力は,明らかに市場の倫理(左側)に属する。
その一方で都市計画や景観保全,さらには行政組織的振る舞いの美徳は全て統治の倫理(右側)に属する。
そのいずれもその倫理体系の中では矛盾なく構成されている。
 
ちょうど車の運転におけるアクセルとブレーキの関係にも例えられそうだ。
活力を重視し,創造する力を尊ぶ市場の倫理がアクセル,計画して整理し安心を保証する統治の論理がブレーキにあたる。
当然ながら快適なドライブには,適切なブレーキングが欠かせない。
アクセルのみが機能して,制動が利かなければ,目も当てられない大惨事が待っていることは明らかであり,両者の補完関係が可能なことを想像することは経験的に難しくない。
しかし,失速していまにも止まってしまいそうな折に必要であるのは,都市そのものの生命力を高めるアクセルの方だろう。

同時に存在する2 つの道徳

表-1

同時に存在する2 つの道徳

表-2



 

6. 地方都市のソーシャルキャピタル

私は,地方都市の生命力,すなわち価値を創造する活力は,そこに特徴的な人のつながりの中に蓄えられる,とみている。
コミュニケーションが人を単位に分解できないように,そうした価値創造は人のつながりの中で創発的に生起する。
とすると私たちは,まちの中の豊かな近隣性にもっと目を向けなければならない。
大都市の匿名性は魅力的な側面もあるが,地方都市の顔の見える人的つながりの豊かさに敵わない。
 
ロバート・パットナムは,人的つながりが互酬性や信頼の規範の源泉になるとし,ソーシャルキャピタルと定義した(※2)。
そのような安定した社会の営みのための基盤としての側面も重要であるが,私はここにこそ活力の秘訣があるものとみている。
コロナ禍の直前に,それまで10年間の岐阜の中心市街地・柳ヶ瀬におけるソーシャルキャピタルの動向を調査した(※3)。
前世紀には賑わう人で覆いつくされていたこのまちは,21世紀になると衰退の一途を辿ったが,10年程前から小さくとも興味を惹く価値創造が興っている。
その状況を記述したかった。
 
その結果,取組みが連鎖的に発生するしくみについて,刮目すべき現象が見出された。
集団と集団の間に関係の橋をかけて,周囲にいる人たちを次の取組みでつなぐ役割を担う立場が,コトの興る前に必ず生じており,この性質の強さを計算すると,コトが進展するに従って,その強さは逓減していた。
しかし,注目すべきは,それと同時に新たにその性質を強く帯びる立場が浮上し,その動きが連鎖的に展開されていた点である。
こうして10年間に面白い価値創造が連続的に起こっていた。
活力は動的関係の中に潜在していた。
 
このような連鎖的に取組みが展開される状況をこそ「活性化」と呼ぶべきであり,その焦点に新たな関係を結んで視野を拡げる立場の人がいる。
ソーシャルキャピタルの豊かでクリエイティブなまちは,一般に閉鎖性も強くなる傾向がある。
しかし同時にまちというシステムが,限界はあっても外界に対して開放的に多様な個人を受け入れる動きをする時,そこで柔軟に組織が動き,新たに価値ある行動が興る動的な場となる。
人の連携を留まることなく展開させ続けることが,まちの生命の根源であると考えられないか。

ロバート・パットナム『孤独なボウリング』(2000 年)

図-10 ロバート・パットナム『孤独なボウリング』(2000 年)


1960年代の柳ヶ瀬の雑踏


図-11 
柳ヶ瀬において毎月開催される
サンデービルヂングマー ケット:
一過性のイベントに終わることはなく,
この場所に常に期待 感のあるマーケットを
存在させることに成功している。
(撮影:筆者)

株式会社によってリプロデュースされたロイヤル劇場ビル


図-12 
現在のソーシャルキャピタルの一つの
核となっている柳ヶ瀬を楽しいまちにする
株式会社によってリプロデュースされたロイヤル劇場ビル。
(撮影:筆者)



 

7. 景観とは生きる姿

さて,以上のことを前提に考えると,表題の問い,都市を豊かにする景観とは何かということは,単純に如何に美しく設えるか,如何に豊かさをデザインするか,ということと全く別次元の問題となる。
まちを消費したり保存したりする対象と捉えることは,その持続が前提にあればこそ成り立つ。
コロナ禍を経ても変わらず価値をもつものは,上記のソーシャルキャピタルである。
これを資本としてコトを創造するマインドを育て,まちを面白くしよう。
自覚の有無に関わらず,これまでも自身を含むコミュニティの幸福を求めて経営された場合に都市が持続してきた。
そしてその1人1人がローカルの生活空間の中に身を置くために,回帰的に顕される生きる姿が景観であり,その連続性が文化なのだ。
 
 

(※1) J. ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』ちくま学芸文庫,
(※2)R.パットナム『孤独なボウリング‐米国コミュニティの崩壊と再生』柏書房,2006
(※3)堀口拓治・出村嘉史「商店街活動の連鎖的展開をもたらす人と組織のネットワークの構造的特徴」都市計画論文集55巻3号,2020

 
 
 

岐阜大学 社会システム経営学環 教授
出村 嘉史

 
 
【出典】


積算資料公表価格版2022年5月号
積算資料公表価格版

最終更新日:2023-06-23

 

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