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ホーム > 建設情報クリップ > 建築施工単価 > 建築から眺める世界の都市 No.5 中欧 ウィーン(オーストリア)中編
中欧 ウィーン(オーストリア)


さまざまな様式

1857年,オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世は,ウィーンの街を取り囲んでいた市壁を取り払い,そこに道路を敷設することを命じた。
1860年代から1880年代にかけて,整備された環状の大通り「リングシュトラーセ」に沿って,劇場や国会議事堂,市庁舎などの公共施設が次々に完成した。
いずれも当代一流の建築家の設計によるものだ。
幅の広いリングシュトラーセや,併せて整備された公園を従えて,今も堂々たる姿を目にすることができる。
 
特徴的なのは,そのデザインが一種,バラバラであること。
あるものは古代ギリシアの様式を持ち,またあるものは中世の雰囲気を醸し出している。
想起されるのは「博物館」である。
さまざまな時代や地域の文化を象徴する一級品が,ひとところに集約され,併置されている。
「様式の博物館」としてのウィーンの様子を,前回に続いて捉えていこう。

 
 

エリートのルネサンス

「ウィーン大学本館」(1884年)は,前回に取り上げた「国会議事堂」と「ウィーン市庁舎」,それに後で述べる「ブルク劇場」と一緒になって,広々とした市庁舎公園の四方を画している。
様式でいえば,フランス・ルネサンスが相応するだろう。
外壁は下に行くほどに荒々しい石積みで仕立てられている。
壁には付け柱があり,それは下からドリス式,イオニア式,コリント式と,やはり堅牢なものの上に繊細なデザインが重ねられている。
古代ローマの円形劇場(コロッセオ)で用いられた手法に学んで,イタリアのルネサンス期の邸宅(パラッツォ)の外壁がこうした構成を持ち,それを取り入れた上で,外面の華やかさを増大させたフランスの宮殿建築に範を取っているのだ。
 
要所には優美な彫刻が飾られている。
インテリアの優雅さが,内側からあふれ出ているようだ。
通りを行き交う人は,自由で文化的なサロンが中にあると想像するに違いない。
それと同時に,リングシュトラーセに向いた顔である正面玄関は,三角形の形で引き締められている。
古代ギリシアに由来した荘厳なペディメントを置くことで,ここが大学であり,勝手気ままに流れることのない理性的なものの中心であると釘を刺しているのだ。
 
大学とは,オーソドックスには,エリートを養成する機関であり,エリートとは自由と規律を本人が扱えると見なされているために,社会的に定型外の行動が許された存在である。
当時の建築史においてフランス・ルネサンスは,感性と理性を均衡させた様式とされていた。
この施設に求められるものと,様式の性格とが重ねられているのである。
 
大学が持つインターナショナルな性格も,形に託されているかもしれない。
フランス・ルネサンスは,ウィーンだけでなく,国際的な様式としてヨーロッパやアメリカで広く用いられた。
 
中央のマンサード屋根も,この様式を特徴づける要素だ。
ただし,ここに見られるモザイク柄は,通常のフランス・ルネサンス様式では使用されない。
中世のフランス・ブルゴーニュ地方やハンガリーなどで発達した技法である。
この屋根についていうと,ウィーンを代表するシュテファン大聖堂の参照であることは明白だ。
 
マンサード屋根は,フランス・ルネサンス様式の要素の中でも,とりわけフランスという地域の固有性を想起させる。
だからこそ,1365年に創立されたドイツ語圏で最古のウィーン大学においては,同じくらいに古い起源を持つシュテファン大聖堂のモチーフを採って,いくぶん民族的に補正されたのだろう。

ウィーン大学本館の正面玄関とマンサード屋根

ウィーン大学本館の正面玄関とマンサード屋根

石積みと付け柱,優美な彫刻が目立つ外壁

石積みと付け柱,優美な彫刻が目立つ外壁



 

つくりものによる本質

ウィーン大学本館については,市庁舎公園の反対側にもオープンスペースがあって,全貌を眺めることができる。
美観だけでなくて,この大学で学んだ世界的な心理学者の名をとって
「ジークムント・フロイト公園」
と称されている公園は,学生たちの憩いの場になっている。
 
芝生の向こうに
「奉納教会」
(1879年)がある。
ウィーン大学本館と同じハインリッヒ・フォン・フェルステルが設計を手掛けた。
彼はリングシュトラーセの建設が始まる以前の1854年に実施されたコンペで設計者に選ばれ,その完成までには20年以上を要したが,26歳で勝ち得た栄冠は多くの仕事をもたらし,19世紀後半のウィーンを代表する建築家の一人となった。
リングシュトラーセ沿いの
「応用美術博物館」
(1871年)など,他にも多くの作品が残されている。
 
奉納教会に,日本の最初期の建築史家であり,本願寺伝道院や築地本願寺といった独特の設計作品で知られる伊東忠太も訪れた。
1902年から1905年にかけて行った世界を一周する留学の最中,1904年4月末から5月初めにウィーンに滞在したのだ。
その際のフィールドノートには,シュテファン大聖堂のリブの形が描かれている。
ただし全般的には,それ以前に訪れた中国やインドなどで見せた観察の熱心さはウィーンで影を潜めている。
それに匹敵するほどの熱量を注いだ対象が唯一,奉納教会だった。
平面やリブの形をスケッチし,薔薇窓やフライング・バットレスも詳細に描きとった。
 
「Wien第一の美しき寺院なり」というのが伊東忠太の評価だったが,ただし,これは通常の教会や寺院ではない。
1853年2月,オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は散歩中に襲撃され,刃物で首から胸にかけて突き刺された。
ハンガリー愛国主義者による単独犯行であり,しばらく後遺症は残ったものの命は助かった。
事件は新聞で大きく報じられ,同情心からウィーン市民の皇帝に対する親しみが高まるという余波もあった。
皇帝の弟であるマクシミリアン大公は,皇帝の命が救われたことを神に感謝するために新しい教会を建立しようと呼び掛けた。
約30万人の市民から集まった寄付金により,奉納教会は建設されたのである。
 
市民施設としての人工的な成り立ちにもかかわらず,奉納教会は真に迫る姿をしている。
正面にそびえる2本の塔は太さを逓減させながら,それぞれ高さ99mの1点へと集約する。
裏手に回ると,構造体であるフライング・バットレスが複雑なシルエットを形づくり,無数の小尖塔(ピナクル)が載っている。
入り口では尖頭アーチが連続し,その間にどれも形の異なった,敬虔そうな彫刻が配されている。
 
内部に足を踏み入れよう。
空間は一転して,床から伸びるリブが上部に集まり,一定のリズムでヴォールト天井が構成されている。
大きなステンドグラスが光を変化させ,彫刻とともに空間を物語で彩る。
いずれも精密に個別につくられた細部が,全体を織り成している。
このように建築物が存在している事実が,敬虔さというものが世の中に実在している証しとなる。
ここにあるものは確かに,ゴシック様式が持つ資質である。
 
つくりものであることによって,奉納教会は純粋に,ゴシック様式の美質を示している。
現実の大聖堂では同時期につくれなかった左右の塔の形が異なる例が少なくないが,ここではそのようなことはない。
双塔が遠くからも印象的なのは,これが都市の中で成長した宗教施設ではなく,芝生の向こうに計画的に据えられたからだ。
公園の木立は複雑なフライング・バットレスなどの形と呼応して,ゴシック様式が森の中の光景の中から生まれたという連想に誘う。
 
奉納教会は,ウィーンのシュテファン大聖堂などとは無関係であって,13世紀のフランスの大聖堂に見られる盛期ゴシック様式を採用している。
ゴシックの本質を最も含有しているとされるものが建築家によって選ばれ,切り開かれた敷地に舞い降り,役割を果たしている。

ジークムント・フロイト公園

ジークムント・フロイト公園


双塔が印象的な奉納教会

双塔が印象的な奉納教会

教会背面のフライング・バットレス

教会背面のフライング・バットレス


奉納教会の入り口

奉納教会の入り口

内部のヴォールト天井

内部のヴォールト天井

大きなステンドグラス

大きなステンドグラス


木立と呼応しているようにも見える

木立と呼応しているようにも見える

応用美術博物館

応用美術博物館


帝国的,市民的,博物館的

その役割とはなんだろうか。

「ブルク劇場」
(1888年)は,宮廷劇場として1741年に宮廷の隣に完成した同名の劇場に代わって建設された。
これはバロック様式である。
大オーダーが複数の階を貫いて建物全体の骨格を確かなものにし,リズミカルな各階のオーダーや彫刻が壮麗さを高める。
特徴的なのは大きく湾曲した中央部で,建築に一層ダイナミックな印象を与えている。
劇場内の観客席のカーブを反映させた形状でもある。
劇場というスペクタクルの形を,太いリングシュトラーセに対峙させ,バロック様式の都市性を本質的に展開しているのだ。
 
同じゴットフリート・ゼンパーとカール・フォン・ハーゼナウアーの協働で「自然史博物館」(1889年)と「美術史美術館」(1891年)がリングシュトラーセの王宮に近い敷地に完成した。
ルネサンス様式にバロック的な壮大さを加え,左右対称に居並んで,宮廷が文化の守護者でもあることを誇示している。
 
ウィーンに見られる様式の選択と並列は,一つには,オーストリア帝国がこれら後継者としての権利を保持していることの表現といえるだろう。
古代ギリシアも中世もルネサンスもバロックも,すべて自らの歴史と無縁ではない。
実際,
「宮廷図書館」
(国立図書館)(1735年)のように,ウィーンは今回取り上げたリングシュトラーセ以前の名建築にも事欠かない。
したがって,このように様式を正しく取り扱うことができるのだと,「様式の博物館」は博物館もそうであり得るように,「公平さ」の裏に帝国的な役割も兼ね備えているのだ。
 
二つ目に,当時の建築における様式は,未来へのメッセージだった。
竣工以来,形から放たれるイメージを通じて,その建築がどのように認識され,使われるべきかという理想像を人々に示し続ける。
過去の様式の使用は単なる懐古ではない。
市民的な役割があったことが,ウィーンの建築から分かる。
 
三つ目には,今の私たちが歩いて楽しいということである。まさに博物的な役割だ。
 
ウィーンの建築の歴史はこれにとどまらない。
「様式の博物館」は,そこに収まらない流れも孵化させた。次回で見るべきはそれである。

湾曲した中央部が特徴的なブルク劇場

湾曲した中央部が特徴的なブルク劇場

リングシュトラーセから眺める

リングシュトラーセから眺める


左右対称に建つ美術史美術館

左右対称に建つ美術史美術館

自然史博物館

自然史博物館


外壁の彫刻

外壁の彫刻


宮廷図書館内部

宮廷図書館内部

宮廷図書館内部

宮廷図書館内部


 
 
 

倉方 俊輔(くらかた しゅんすけ)

1971年東京都生まれ。建築史家。大阪公立大学教授。早稲田大学理工学部建築学科卒業,同大学院修了。博士(工学)。近現代の建築の研究,執筆のほか,日本最大の建築公開イベント「イケフェス大阪」実行委員会委員を務めるなど,建築の魅力的な価値を社会に発信する活動を展開している。
著書に,『京都 近現代建築ものがたり』(平凡社,2021),『別冊太陽 日本の住宅100年』(共著,平凡社,2021),『東京モダン建築さんぽ』(エクスナレッジ,2017),『伊東忠太建築資料集』(監修・解説,ゆまに書房,2013-14),『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社,2005)など多数。日本建築学会賞(業績),日本建築学会教育賞(教育貢献),グッドデザイン・ベスト100ほか受賞。
 
 
 

建築史家・大阪公立大学 教授 倉方 俊輔(くらかた しゅんすけ)

 
 
建築から眺める世界の都市

【出典】


建築施工単価2022年秋号
建築施工単価2022年秋号


 

最終更新日:2023-02-20

 

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