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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料公表価格版 > 特集 公園・緑化・体育施設 > ランドスケープアーキテクトが提唱する「ランドスケープ技術領域の社会展開」

 

1.はじめに

振り返れば大凡半世紀造園という言葉の中で人生を送ってきた。
その大半は如何に造園技術が優れた技術であり、
社会的要請に応える技術であるのかを身をもって提示してきた半生であったと自負している。
 
故五島昇氏を筆頭に多くの方々の支援を得て、僅か27歳にして東急グループの造園会社を設立。
以来30年その職にありつつも、ひたすら造園界に新風を吹き込みたいとその領域拡大を志してきた。
何故ならば、会社設立の原因が開発主体の多摩田園都市に対する激しい批判に始まり、
それに対するある程度の理解があった故という原点を考えれば、
事業者としての会社の成功はもとより、その期待に応えるためにそうした原点を忘れるわけにはいかなかったからである。
 
論者自身の原点の展開の詳細は後述するとして、
我々は自らの技術領域を社会化してこそ価値があるという観点をあまりにも置き忘れてはいないだろうか。
顧客の注文を待つにとどまり、潜在的需要を掘り起こすことが自らの作品を世に出す絶好の機会であって、
同時にクライアントにとっても意味のあるという視点から、
作品の提案力ではなく、我々がこうありたいと構想する空間を、マーケットをにらんだ発想から提案を試み、
賛同を得て作品化する姿勢を堅持しているのかを問いたい。
 
それは事業領域を含めた私的空間のみならず、都市公園等公共空間に於いては、尚更の事である。
例えば建築界では、実に多くの発言が社会に向けて発信されている。
菊竹清訓が大阪万博前にメタボリズムを主張するに際し、如何にメディアを味方につけるかに腐心し、
婦人雑誌にまで投稿を重ねてきたという労苦を想えば、
まさに我々の領域は、自らの満足に閉じこもりマーケットインという今や当然の技術の社会化への姿勢を失って、
いやそうした手立てに無関心でありすぎる危機感を持つ。
 
私的空間や公共空間の造園領域の業務がシュリンクをしているのは、社会の領域に対する需要が縮退をしているのではなく、
自らの発信の努力が不足しているところに原因があることを銘記すべきであろう。
 
 

2.創注事始め

手始めが、屋上緑化であった。
会社設立当時から受注産業を否定し、創注産業を標榜してきたところから、着目したのがターミナル駅の西口開発であった。
1970年代当時、山手線と私鉄が交差するターミナル駅の西口は、
概ねバスターミナルであり、かつ周囲には戦後以来の乱雑な街並みが残されていた。
各々の私鉄はそうした土地に再開発の手を入れ、多くの場合百貨店の建設を試みていた。
池袋東武百貨店、渋谷東急百貨店本店、相鉄ジョイナス、あるいは吉祥寺東急百貨店、そして宇都宮東武百貨店等々である。
 
何を創注したのかと言えば、それまでミニ遊園地でしかなかった百貨店屋上に、
買物に疲れたり買物から置いていかれたりするストレスを解消するオアシスを提供するというコンセプトであった。
その集大成が横浜相鉄ジョイナスにある「ジョイナスの森」である(写真-1)。
 

写真-1 横浜相鉄ジョイナスの屋上緑化 「ジョイナスの森」

写真-1 横浜相鉄ジョイナスの屋上緑化 「ジョイナスの森」


 
しかし同時に百貨店側からは、屋上面でもある種のビジネスチャンスが欲しいという声も強かった。
そこで池袋東武百貨店では、今はその後の増築もあって撤去されたが、
立体トラスを活用して組み上げた人工樹木、子供向けの新遊具「ターザンの樹」、
そしてエンターテイメントに対応する照明とシャワー噴水の組み合わせによる「スコールの樹」。
さらには東急本店や宇都宮東武では、ビヤガーデンなどのアウトドアの飲食に対応できる空間の提案を行い整備にあたった。
 
次の波が、ホテル建設ブームであった。
1971年に新宿淀橋浄水場跡地を再開発用地とし、
超高層の街区整備が始まったが、いの一番に建設されたのが京王プラザホテルであった。
以来1964年の東京オリンピック対応のためを含め、次々とホテルが建設された。
そうした状況を予見し、強い提案を以て豊かなランドスケープ空間の実現を試みた。
もっとも斬新な提案は、米国のアトランタから始まったJ・ポーツマン設計のハイアットリージェンシー以来流行した
巨大なアトリウム空間へのインドアガーデン化の提案であり、
プールサイドガーデン等ホテルの品格とサービスの質を差別化する提案であった。
 
その結果、民間による日本最初の法定大規模再開発、
赤坂溜池のアークヒルズ内の東京全日空ホテル(当時)などを手始めに(写真-2)、多くのホテルに参与することができた。
 
写真-2 面的再開発第一号であるアークヒルズプロジェクト並びにその周辺プロジェクト

写真-2 面的再開発第一号であるアークヒルズプロジェクト並びにその周辺プロジェクト


 
その経過でさらに学んだことは、我々にとって新業態へのアプローチには、
その業態の特性を事前の知見として十分備えておかねばならないという事である。
例えばホテル業界にはそこでしか通用しない言語の体系がある。
こうした新知識を得ることは実に楽しかった。
であればこそ、建築家やホテルオペレーターと対等な論議を展開できたからである。
 
やがてこうしたホテルは、
プラザ合意に始まった米国の圧力に原因した内需拡大策から始まったリゾート法が引き金となって、地方に拡大する。
既にホテル建設に伴う種々のノウハウを得ていた故に、ホテルを中核にしたリゾート事業への提案参画は比較的容易であった。
 
沖縄から北海道に至るまで、ゴルフ場建設をも伴う、総合リゾートの計画・建設事業への参画である。
さらに国内にとどまらず、海外とりわけハワイ州からシンガポール・グアム・パラオへと業容の範囲が拡大を見せた。
 
その頂点が、1983年に開業した「長崎オランダ村」(写真-3)を基礎とし、
1992年3月に開業した「ハウステンボス」であった(写真-4)。
 
写真-3 長崎オランダ村 跡地

写真-3 長崎オランダ村 跡地


 
写真-4 ハウステンボス全景(提供:ハウステンボス/J-16578)

写真-4 ハウステンボス全景(提供:ハウステンボス/J-16578)


 
建築設計は池田武邦日本設計社長であり、ランドスケープは筆者が、ともに長崎オランダ村を含めて担当した。
ここでの学びは、テーマパークという業態の特殊性であり、セールスプロモーションに果たす広告会社の役割の大きさであった。
またオランダから得た、運河等の土木技術領域の環境配慮型工法であった。
いずれにもせよ、このハウステンボスでオランダ王室の居城パレスに纏わる庭園の歴史的経緯を調査し、
オランダでは実現されなかったル・ノートルの弟子ダニエル・マロー設計の幻と言われていた庭園の一部を実現できたことは
最大の喜びとなった。
 
こうした経験から得た市場の強い支持が新たな需要を創造するという教訓は、
業から大学へ転身し、公共に対し意見具申をする機会が増えるにつけ、なお意味ある教訓となり、
得たリアリズムな知見は大いに参考となっている。
 
ランドスケープ空間にはいうまでもなく「利用効用」ばかりではなく多様な社会的価値、例えば防災・減災、生物多様性の保持、
クールアイランドや二酸化炭素の固定等の「存在効用」をしっかり守ることこそが最大価値である。
しかし、その利用効用や存在効用の両面ともに市場、公共の場合は国民・市民の理解と支持なくしては
社会資本としての存立さえ危ぶまれる。
ある意味では、公共空間もまた創注産業的発想が求められると言えよう。
 
その典型が、筆者が会場演出総合プロデューサーを務めた2005年の「愛・地球博」である。
万国博覧会という国際的催事は、まさに夢と希望そしてビジネスをハイブリッドにした世界である。
主催協会組織の中で一定の信頼を得るにつれ、
環境にランドスケープ技術が不可分であるという観点の敷衍化だけではなく、この機会に将来の市場を創造しようとの思いを、
国土交通省から協会に派遣された担当官と共有し、その実現に取り組んだ。
それが「バイオラング」である(写真-5)。
 
写真-5 2005年開催「 愛・地球博」に出展された「バイオラング」

写真-5 2005年開催「 愛・地球博」に出展された「バイオラング」


 
バブルの崩壊以来、体系的計画的公園整備の進捗は望めなくなった。
また地価が低落したとはいえ、広大な用地を買収し公園緑地化することも不可能に近い。
そうした中で緑化量を拡大するためには、用地コストの負担が少ないことを必須条件とし、
民間の積極的参入を図るには、壁面緑化しかないと考えたのである。
もし壁面緑化技術開発が高度化すれば、都市再開発の進展が予見される未来に於いて、
多様な人工地盤に対応できる特殊緑化技術が進化するに違いないという確信であった。
 
その仕上げとして、社会資本縦割りを排除し、民間資本も導入しながら機能の複合化を試みることにより、
より効果的な公共投資となり得るのかを模索した成果が、
立体公園制度を活用した首都高速の「大橋ジャンクション」であり(写真-6、図-1)、
立体道路制度を援用した森ビルの「虎ノ門ヒルズ」である。
 
写真-6 首都高速・大橋グリーンジャンクション・目黒天空庭園(提供:目黒区)

写真-6 首都高速・大橋グリーンジャンクション・目黒天空庭園(提供:目黒区)


 
図-1 同 エリアマップ (目黒区みどりと公園課資料より)

図-1 同 エリアマップ (目黒区みどりと公園課資料より)


 
前者は首都高速道路の委員会座長として、後者は森ビルの顧問としての参与であった。
まさに複合的な制度を基盤として実現された、特殊な条件下での緑化であった。
 
 

3.オリンピックとレガシー

2020年東京オリンピックの招致が成功したというニュースは、大いに国民を沸かせた。
と同時に、我々の技術領域にとって次のしかもあるべき姿を
広く市民に訴求する義務を伴ったそれともいえる絶好の機会が到来したと言って良い。
 
激化する国際的都市間競争の中で果たす東京の都市像。
あわせて東京の国際競争力強化の結果生じる、
東京への過度な一極集中の犠牲にならない地方のありようを一体的課題として扱った、
我が国のあるべき社会像と国土ビジョンを深化検討し、それに基づいた開催年2020年のみならず、
その前後に亘る開催計画を描き直す必要性があるからである。
これこそがまさにマーケットインの発想であり、ある意味で我々ランドスケープ領域に携わる者の義務であるとも言えよう。
 
そこで、IOCが2003年に定めた「オリンピックレガシー」という概念が着目される。
そのレガシーの概念の延長線上に、東京の都市像ばかりではなく、
開催により一層拍車が掛かりかねない一極集中の問題に目を留め、
オリンピック・パラリンピックを契機に、歪みが加速する可能性が高まる地方・地域の未来像を予測し、
オリンピック・パラリンピック開催をポジティブな方向に転換する哲学に裏打ちされた政策と施策が極めて重要と言えよう。
 
オリンピックレガシーが着目された背景には、
ロスアンゼルス・オリンピックが、テレビ媒体を核としたビジネスマインドを導入し、一種の革命的大成功を遂げた反面、
その大成功を契機として、オリンピック誘致がある種の権益と化し、誘致にまつわる不祥事が囁かれる様相を呈するに至る。
2001年新たにIOC会長に就任したジャック・ロゲは、そうしたIOCオリンピックレガシーという概念を掲げ、
2003年には、IOC憲章に
「オリンピック競技大会のよい遺産(レガシー)を、開催都市ならびに開催国に残すことを推進する
 (開催都市・開催国によるオリンピックレガシーを積極的なレガシーとして促進すること)」
が明記され、以後オリンピック開催立候補都市は、オリンピックレガシーを組み込んだ提案を求められるようになった。
 
IOCではオリンピックレガシーを次の5つのカテゴリーで区分し推進することを求めている。
スポーツ(Sporting legacy)、社会(Social legacy)、環境(Environmental legacy)、
都市(Urban legacy)、経済(Economic legacy)である。
 
このオリンピックレガシーの定義と概念を活用し、見事な政策として仕上げたのが2012年開催のロンドン・オリンピックであった。
その下敷きとなり、大会開催計画のバックボーンとなったのが
「グレーター・ロンドンの空間開発戦略」というサブタイトルが付けられた「ロンドンプラン」である。
 
1980年代、サッチャー政権の反動。
例えば、格差が拡大し、一部のロンドンは「黄昏のロンドン」と呼ばれるような斜陽のまちとなり、
加えて、移民を中心とした人口急増や、市街地における住宅・オフィスの不足、公共交通の老朽化等、
様々な問題を解決するために打ち出されたのが「ロンドンプラン」であった。
 
時のブレア政権下、基本的にはロンドンオリンピック・パラリンピック組織委員会(LOCOG)が
そのレガシープランを策定・推進する役割を担ってきたものの、政権も積極的に支援し、
ロンドンだけが1人勝ちにならぬように、地方への効果波及にも知恵を絞った。
 
LOCOGは、詳細な実現のための方策を計画した。
ロンドンが抱える課題、ロンドン東部の貧困や環境質に現れた社会的な歪みを是正するため、
オリンピックの主会場「オリンピック・パーク」をその地区に置くことで解決の一助とする政策決定がなされた。
 
ブレア政権もまた、2007年7月にオリンピック開催に向け「5つの約束」を発表して国民の理解を求めた。
その内容は、
①英国を、世界をリードするスポーツ大国にする。
②ロンドン東部を、オリンピックを契機に再生する。
③新世代の若者たちが、地域におけるボランティア活動や文化・体育的活動の担い手となるように啓発する。
④オリンピック・パークを「持続可能な暮らし」のモデルにする。
⑤暮らしていく上で、また観光で訪れたりビジネスを行ったりする上で、
 英国がクリエイティブで、開放的であり、居心地がいい国であることを世界に示す、
といった内容であり、先に述べたロンドンの1人勝ちに終えぬ政策がここからも理解できよう。
その結果、森記念財団が毎年実施している「世界の都市総合力ランキング調査報告」においても、
2013年・2014年ともに、過去1位であったニューヨークをロンドンが凌駕し2年連続で1位の座を占めるようになった。
 
オリンピックを巡る国際的な新たな視点を改めて認識したうえで、何故東京での開催に注力をしたのかの再確認が必要である。
国際的都市間競争が激化する中で、
アジア地域の盟主としての東京のポジショニングを強化せねばならないという認識は言うまでもない。
しかしそれであればこそ、改めて東京開催が、日本の成功にとどまる事なく、
世界をリードする立場から、世界に対してもポジティブな影響を与える責任がある事への自覚を深めねばならない。
 
歴史的に俯瞰するならば、東京での開催は、
招致を成功させながら開催辞退をした1940年を考慮すると、2.5回の開催を経験することと等しい。
これは過去3回開催のロンドンに迫るものであり、2回開催のロスアンゼルス・パリ・アテネを凌ぐ開催順位に位置している。
 
論者は、その意義と意味を、21世紀最大の世界課題である都市問題に正対し、
近未来を支える遺産として相応しい東京ならではの都市像と、
個性豊かな地域・地方のあるべき方向を具体的に示すことにあると考えている。
1964年の東京オリンピック開催意義は明確であった。
戦後復興への高らかな宣言であり、
国際社会への復帰を新幹線や首都高速道路といった世界を驚かすにふさわしい設えとともに高らかに発信し、
国際社会から祝福を得た。
 
その傍ら、この時期から東京が大きく変貌したことも忘れるわけにはいかない。
1964年前後は、東京から江戸が消えていった時期でもあった。
それはただ単に都市的景観の変貌のみを意味するばかりではなく、再生循環・自然共生型の社会システムと、
それを支えた、豊かさを深める喜びを持った伝統的ライフスタイルと市民意識の終焉をも意味した。
 
 

4.未来へのランドスケープ技術領域の社会的価値

現在の東京が世界に貢献できる方向を、オリンピックレガシーという観点に照らし合わせて考えるならば、
わが国の都市の良質な遺伝子に着目をすべきであろう。
我が国の都市、とりわけ江戸が欧州と異なり都市周縁に城壁を設けることなく、
その代わりに里山や草地、農地、社寺林や大名庭園が朱引地御府内の江戸を囲んでいた事実。
それにより、当時世界最大の人口を擁した江戸が、今の時代が求める自然共生型の都市像を有し、
一方では鎖国もあり、エネルギーと消費資材が巧みに再生循環される仕組みが完成し、その総和が表現された都市であったことが、
欧米のように公衆衛生学的観点から緑地の計画的整備の必要性を論じるような危機を経験する事がなく、
逆に美しい庭園都市として外国人の目に映った。
その優位点を再評価すべきであろう。
 
とはいえ、却って緑地があって当たり前であったがために、計画的整備の議論が深まることなく、経済性を優先させる現実に押され、
遂にはそのほとんどを喪失する状況に至ってしまったという都市計画上の猛省点はある。
 
例えば米国ニューヨークのマンハッタン島と東京を比較してみると、マンハッタン島は59.5㎢の中に約150万人の定住者があり、
東京23区には約900万人の人口が存在する。
前者は東京の倍に匹敵する人口密度を数えながら、片やそのマンハッタン島内には
千代田・中央・港・新宿の都心4区内の皇居・赤坂御用地をも含めた緑地面積(590ha)の倍近い1,081haを有し、
その内セントラルパークだけでも340haの面積となっている。
関東大震災や戦後復興計画としての東京計画には、
後藤新平や石川栄耀などにより優れた緑地計画が都市計画として位置づけられようとしたものの、
前述の経済至上主義の潮流に阻まれ日の目を見ることができなかった。
 
しかし、その後昭和47年「都市公園等整備緊急措置法」の制定以来遅れを取り戻すべく、整備に邁進し、
その整備量は91,000ha強、92,000箇所、
わかりやすく言えば、国民1人当たり畳3畳分のシートを広げられる水準、目標の10㎡に近い9㎡を超える水準にまで達している。
とはいえ、整備量はそれとしても、そのマネジメント、
とくに誰のため、どのような機能をまちに果たすのかという点に於いては未だ不十分と言わざるを得ない。
現在国土交通省では、そうした観点から論者もその1人として参画しつつ
「都市の集約化に対応した都市公園の配置と機能」、「都市機能の更新に合わせた都市公園ストックの再編」
について有識者の委員会を設置し、議論を深めつつある。
都市公園のような公共整備の社会資本についても、マーケットインの原則が必然となりつつある。
 
とはいえ、江戸の都市構造と社会的システムが如何に先駆的であったのかという評価を忘れるわけにはいかない。
1991年ヨセミテ・アワニーロッジにおける都市問題有識者の会堂に始まり、
コンパクトシティの概念を確立した「ニューアーバニズム」。
自動車への過度な依存からの脱却、自然共生、コミュニティ重視を標榜した新たな都市像の原型の全てを我が国の都市、
とりわけ江戸に見出すことができる。
持続的未来を考える上に最も大きな世界的課題の都市問題解決に貢献できるモデルと言っても過言ではない。
 
したがって、その遺伝子を持つ東京は、
近未来の都市が指向するニューアーバニズムに適合する自然共生・再生循環型の都市像を再生するに相応しく、
その遺伝子を受け継いだ都市を実現し、江戸モデルと標榜できる水準に仕上げる事こそが、
日本が世界に具体的に表現できるオリンピックレガシーと言えよう。
 
地球の現状は、持ち得る環境容量で、豊かさをひたすら追い求めるライフスタイルを継続することは不可能である。
それ故、欲望の坩堝と化し、地球環境への負荷の最大要因である都市が
自然共生社会・低炭素社会・再生循環型社会に脱皮する事は必然である。
そうした意味で、ランドスケープ技術領域は自然資本を通じて持続的未来に寄与する事ができる。
ライフスタイルと密接不可分なみどりという自然資本、言い換えればグリーンインフラを有効に配置し、
デザインすることにより制御された空間を実現することが、最短・最大の課題解決への道筋となるからである。
つまり如何に豊かさを深め得る空間化された社会像を、ランドスケープ技術領域に携わる我々から提起し、
その具体像を都市に実現するために、内向きではなく職能を社会に開き、その実現に努めていくかが重要である。
 
創注、つまりマーケットインの発想を重視し、ランドスケープ領域が果たす役割の重要性を自覚しつつ、
社会と共に行動し、その職能を発揮する能動的対応が今こそ求められていると言えよう。
 
 
 

筆者

東京都市大学 環境学部 教授、東京農業大学 客員教授、岐阜県立森林文化アカデミー 学長 涌井 史郎(雅之)
 
 
 
【出典】


月刊 積算資料公表価格版2015年8月号
特集 公園・緑化・体育施設資器材
月刊 積算資料公表価格版2015年8月号
 
 

最終更新日:2023-07-11

 

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