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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > とりもどそう 笑顔あふれる女川町(おながわちょう)《後編》

 

さまざまな人を巻き込みながら、笑顔があふれる町に

「女川町復興計画」のさまざまな事業計画などの具現化に当たっては、町民皆さんの幅広い意見を反映させるため、
平成24年度に女川町まちづくり推進協議会の下部組織として「ワーキンググループ」を組織。
公募と団体推薦合せて63名のメンバーが集まり、
「観光・商業」「公共施設」「漁業・水産」などの6グループに分かれ、議論を重ね、翌年3月に提言書としてまとめた。
 
翌平成25年度は、35名のメンバーで新たな組織として継続し、
「観光交流エリア」「公共施設」「教育・環境」「公園」の4グループで議論。
回数は、定例会・分科会合せて実に30回を数えている。
 
活動3年目となる今年度は、行政が主催する復興まちづくりに関する会合などへメンバーに参加していただくほか、
住民が主体となる「まちづくり」を加速するため、
さまざまな人が自由に参画できる「まち活」「まちカフェ」といった活動を開始した。
 
「まち活」は、多方面で活躍されている専門家講師を招き、まちづくりの事例、手法などを学ぶ場であり、
「まちカフェ」は、さまざまな活動を展開している地元住民が講師となり、実践を通してまちづくりを進める場である。
 
造成工事の移り変わり(4)
 
平成26年8月24日、この日「まち活」の一環で特別講座となるワークショップを復興まちづくり情報交流館で開催。
題して「まち活 夏の特別講座 女川町×復興庁×日本創生会議」。特別ゲストに復興庁の小泉進次郎政務官と、
「全国で半数の自治体が将来消滅する可能性がある」という推計を公表した日本創生会議の増田寛也座長をお招きした。
 
テーマは、
「人口減少率が日本一(平成24年度から25年度)の女川町から人口減少化のまちづくりを考えよう」という大胆な?ものである。
ワークショップには、中学生から70代までの幅広い年齢層の42名が参加した。
 
はじめに、ワーキンググループの代表者から、これまで2年間の活動報告が行われ、
続けて小泉氏、増田氏、須田町長の順に基調講演が行われた。
 
小泉氏は
「まちづくりは、政治頼みではなく、行政頼みでもなく、補助金頼みでもなく、当事者意識を持った一人ひとりの力を集結させること。
 必要なのは、まちづくりを考えていこうという皆さんだ」
と述べられた。
 

小泉氏

「自分たちのまちに根付いている豊かさに改めて気づくことが重要。ないもの探しではなく、あるもの探しの中で、自分たちで豊かさを発掘し、発信し、まちの豊かさを構築していくことが必要だ」と小泉氏


 
増田氏は
「人口が縮小していくことを受け入れていかなくてはならない。
 将来の人口動向やどこに町の拠点をつくるかということをみんなでしっかり議論したうえで考えていくことが必要。
 近隣との連携も考慮すべきだ」
と指摘した。
 
須田町長は
「中心市街地を町の中心として、コンパクトシティをつくっていくことがコンセプト。
 幹線道路沿いに公共施設を整備して、さまざまな機能を連結させたい。
 まずは被災者の住生活の再建を行い、広く選択される町になっていかなくてはならない」
と話した。
 
その後、まちカフェスタイルの話しやすい雰囲気の中、
中高生、ワーキングメンバーなどに小泉氏、増田氏、須田町長らが加わる形で、5~6名のテーブルごとに
「①20~30年後にこんな女川町にしたい」
「②それを実現するために問題になること」
「③問題解決に向けて何をすればよいか」
「④これから私たちがすべきこと、今私たちができること」
を順次議論。
時間の経過とともに会場のボルテージはヒートアップし、最低温度に設定したエアコンが効かず、汗ばむほどの熱気に包まれた。
 
各テーブルでの話合い後は、グループごとに発表が行われた。
「女川町に住む魅力や価値を見出すためには、将来を担う若い世代が幸せになり、町を引っ張っていく環境づくりが必要」
「小さいころから海に関わっていき、漁師を育てていくことが大事」
「ホヤの美味しさを広めたり、町の魅力をたくさんの人に知ってもらうため、みんなで魅力を再発見することが重要」
などの意見が出され、参加者全員で情報共有した。
 
グループ討議の後、その内容を発表し合い、参加者全員で議論を共有した。

グループ討議の後、その内容を発表し合い、参加者全員で議論を共有した。ある参加者は「これまではまちづくりは行政がするものだと思っていたが、今は、主役は町民であり、楽しむことに積極的になることがまちづくりにつながる」と指摘した


 
小泉氏は
「本当に女川町が大切にすることは何かと考えたとき、出てきたことは『人』。
 女川人の素晴らしさが目に見えて、感じられる取り組みを今後も考えてほしい」。
 
増田氏は
「熱いハートの議論があった。この熱さを冷ますことなく維持していくには、外部の者だけでなく、女川町民が重要になる。
 この想いを広げていく工夫が必要になる」。
 
須田町長は
「さまざまな人を巻き込んで、活発な活動をしてほしい。
 さらに、ここにさまざまな人を巻き込むことで、女川町は笑顔があふれ勝ち残っていける。
 皆さんの力を借りて、一緒になって取り組んでいきたい」
と結んだ。
 
「まちづくり」は、復興を成し遂げた後も、この町で暮らしていくさまざまな世代と一緒になってつくりあげていくこと、
積極的に関わっていただくことで町に対する「愛町心」がわき、定住促進へとつながり、人口流出を防ぐ手立てになるのではないか。
そうした思いを改めて考えさせられる有意義な一日となったことは言うまでもない。
 
 

おながわ復興まちびらき2015春

平成26年12月8日、東日本旅客鉄道株式会社仙台支社と本町は、
震災で被災したJR石巻線「浦宿~女川」の運行を平成27年3月21日に再開すること、
併せてJR女川駅周辺の「まちびらき」を行うことを共同記者発表した。
 
JR石巻線の全線復旧は、県内で被災した在来線では初であり、本町の復興エリアの「まちびらき」の宣言も初となる。
 
本町にとって鉄路の歴史は、今から約90年前にさかのぼる。
昭和14年10月には、当時の国有鉄道の石巻線が、石巻から女川まで延長され、本格的な輸送路が完成した。
 
貨物輸送が産業振興などに果たす役割は大きい。昭和40年代、国鉄C11形蒸気機関車が貨物を牽引し、汽笛を町中にこだまさせていた。
終着駅で始発駅、女川人の鉄路に対する愛着は深い。
 

昭和14年10月、国有鉄道の石巻線が女川まで延長。

昭和14年10月、国有鉄道の石巻線が女川まで延長。昭和32年に新しい魚市場が完成したことに伴い、翌33年には臨港鉄道として魚市場まで延伸された。トラック貨物輸送などが本格化する昭和40年代まで町の産業振興に大きく貢献(昭和33年、女川港臨港鉄道竣工祝賀会)


 
復興計画では、「住みよい港町の回復のために、震災前に運行されていた公共交通機関の早期の再開と充実化を図ること」を明記。
さらに
「鉄道は、より安全であるとともに新しい女川の町の付加価値を高める場所への駅舎の設置や復興計画を考慮したルートを要望します」
と掲げた。
震災直後から、事業者はもとより、国・県、関係機関とのさまざまな協議や要請を続け、それらが実を結び、
JRと本町は、平成25年2月1日に「JR石巻線の復旧に関する覚書ならびに土地区画整理事業に関する確認書」を締結。
同年10月25日には、「JR石巻線復旧に伴う設計及び施行に関する確認書」を締結し、平成27年春の開業目標を発表した。
 
女川駅周辺シンボル空間イメージ。

平成27年3月21日のJR女川駅周辺の「まちびらき」の後、秋までには、駅舎から海まで真っ直ぐに伸びたプロムナード(歩行者専用道路)の両側に新しい商店街が出現する(女川駅周辺シンボル空間イメージ。平成26年12月8日、女川町記者発表資料から)


 
女川駅舎のデザインは、震災直後から本町に駆けつけ、
わが国初となる3階建ての応急仮設住宅を提案、建築していただいた坂 茂(ばん しげる)氏が手掛けられた。
白い翼を大きく羽ばたく鳥をイメージしたデザインと自然な木目の色調が目に映える。
 
平成26年3月25日、坂氏が“建築界のノーベル賞”ともいわれる「プリツカー賞」を受賞と発表された。
氏の各災害被災地での支援活動の多大な功績が認められたものである。
奇しくもこの日は、JR女川駅舎の着工式。
本町にとって、この上ない大きな華を添えていただいた。
 
駅舎は、復興計画の文言どおりに、町の核となる中心部、商業エリアの中核に位置付けられ、
安全性などを考慮し、震災前より約200m内陸、約7mかさ上げした場所へ移設した。
 
さらに駅舎は、被災前、隣接していた温泉温浴施設「ゆぽっぽ」との合築とした。
駅舎は、町の新しい顔、表玄関だ。再建後は、その場所に大勢の町民や観光客が降り立ち、そして旅立っていく。
 
そうしたたくさんの人々を町民のおもてなしの心で温かく迎え入れるため、
平成26年春から「女川温泉ゆぽっぽ タイルアートプロジェクト」と銘打った企画が動き出した。
町内外から「花」の絵を寄せていただき、その絵を日本画家の千住博氏、デザイナーの水戸岡鋭治氏が監修し、
ゆぽっぽの内部壁面を巨大なタイルアートとして彩るというものだ。
 
見事なタイルアート

町内外から寄せられた「花」の絵は、日本画家の千住博氏とデザイナーの水戸岡鋭治氏お二人の手によって、見事なタイルアートに生まれ変わった


 
花の絵は、町内外から予想をはるかに超える917点が寄せられ、
一つひとつのまったく違う花たちが森林をイメージする巨大アートとして来場者をお迎えするのである。
 
そのほか、駅前広場は、海まで約400mの間に、歩行者広場やプロムナード、メモリアル公園などが配され、
各商業施設のほか、地域交流センター、物産センター(ともに仮称)などを順次整備する計画である。
 
復興には、まだまだ時間が掛かる。
「まち活」特別講座で
「これまではまちづくりは行政がするものだと思っていたが、
 今は、主役は町民であり、楽しむことに積極的になることがまちづくりにつながる」
という意見があった。
 
復興まちづくり、そして、その後のまちづくりは行政のみでは成し得ない。
「まち活」特別講座に参加したみんなが感じたように、
それに関わる一人ひとりが当事者意識を持つことや当事者意識を持った人たちを増やすことが大事だ。
 
平成27年3月21日は、東日本大震災の発生から丸4年と10日。
これまでのさまざまな人々とのつながり、絆がまた一つ形となる記念すべき日。
 
この日、JR石巻線の全線運転再開とともに、本町の被災エリアの一角、JR女川駅前周辺の「まちびらき」が高らかに宣言される。
 
新しい町の表玄関JR女川駅。

新しい町の表玄関JR女川駅。温泉温浴施設ゆぽっぽを合築。旧駅舎は、昭和35年5月24日早朝襲来のチリ津波で被災したが復旧再建を果たし、東日本大震災発生時まで町の表玄関として活躍した。インパクトのある新しい駅舎は復興の象徴であり、観光の目玉に他ならない(平成27年2月4日撮影)


 
 
 
 
とりもどそう 笑顔あふれる女川町(おながわちょう)《前編》
とりもどそう 笑顔あふれる女川町(おながわちょう)《後編》
 
 
 

筆者

女川町復興推進課 参事 柳沼 利明(やぎぬま としあき)
 
 
 
【出典】


月刊積算資料2015年3月号
月刊積算資料2015年3月号
 
 

最終更新日:2015-11-25

 

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