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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > 東日本大震災から5年 とりもどそう 笑顔あふれる女川町

 

女川町復興推進課 参事 柳沼 利明

 
平成27年3月は,いつにも増して慌ただしい日々が続いていたが,町全体に祝賀ムードも漂っていた。平成27年3月21日,町民待望のJR石巻線の全線運転再開に合せて,駅周辺の開業を祝う「おながわ復興まちびらき2015春」を開催することができたからだ。
 
この日は,竹下復興大臣(当時),国土交通省武藤国土交通審議官,村井宮城県知事をはじめ,たくさんのご来賓のご臨席,町民の皆さんの参加のもと,盛大に「復興の節目」をお祝いすることができた。
 

平成27年3月21日,この日を待ち望んでいた大勢の人であふれ たホーム。「出発進行!」の合図に歓声が上がる


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

復興計画の折り返し,後半期がスタート

8年という期間で復興を成し遂げようとする女川町の復興計画も,「おながわ復興まちびらき2015春」の開催時は,すでに丸4年が経過,復興計画の折り返し点。平成23年度から24年度までの2年間は「復旧期」とし,膨大なガレキの処理や災害復旧,被災された皆さんの再建意向などの調査,土地利用計画の作成などに追われた日々であった。平成25年度から27年度までは「基盤整備期」で,平成24年9月の「女川町復興まちづくり事業着工式」を契機として,宅地造成などに着手した。
 

震災発生から丸4年,どれだけこの日を待ち望んでいたことか…。「おながわ復興まちびらき2015春」は,JR石巻線の全線運転再開という 華を添えて,復興の大きな節目の日となった


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして平成28年度から30年度までの3年間は,順次,新しい町並みが形成されていく「本格復興期」。いよいよ復興の後半戦,新たなステージの幕開けである。
 
日々変化していく町の姿に期待と不安を抱きながら,一日も早い復興を待ち望んでいるのは被災された町民の皆さんだ。そのことを町も,UR都市機構,鹿島・オオバJVも強く意識しながら進めてきたところである。
 
しかしながら,町民が待ち望んでいる高台団地の造成は,団地ごとの実施設計の進捗に伴い,さまざまな要因により遅延傾向にあることが,平成27年3月の「まちびらき」後に分かってきた。
 
 

町内全域で造成工事の遅延が発生

本町の造成宅地の引き渡し予定時期は,基本設計をベースとして,「上期」「下期」別に公表してきた。例えば,平成27年4月から9月までの間に宅地を引き渡す地区は「平成27年度上期」,平成27年10月から平成28年3月までの間に宅地を引き渡す地区は「平成27年度下期」という具合。これはあくまでも基本設計をベースとしており,どこかの時点で,月単位での引き渡し時期を町民の皆さんにお知らせする必要があり,何よりも実施設計を早く確定させる必要があった。今回の復興まちづくり事業では,実施設計完了部分から順次,造成工事に先行着手する手法,「ファストトラック方式」を採用していた。そのため,造成スケジュールは,実施設計が固まった段階で確定する。平成27年4月,実施設計が進捗し,本町の造成工事全体的な遅延傾向が明らかになってきた。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

想定以上の硬岩が出現 被災地初の発破掘削

造成スケジュールに影響を与えた要因の一つは,想定以上の硬さの岩盤の出現であった。硬い岩盤は,平成26年度に実施した地質調査の結果,堀切山地区と宮ケ崎地区の2箇所で出現。そのまま計画どおりに工事を進めると工期に大幅な遅延が生じることから,それを避けるため,造成地盤を高くすることでスケジュールに遅れが生じないようにする案を採用していた(詳細は,「積算資料」2015年3月号に掲載)。しかし,工事を進めていく過程で,女川地区以外の地区でも出現することがわかった。また,工事工程に影響する支障物の移転協議に時間を要したことや,離半島部では,狭いエリアの造成工事のため,搬出入ルートが限られ,その制約による作業効率の低下が工程に大きく影響を与えていた。そうしたさまざまな要因が積み重なり,中心部14地区のうち,8地区が遅延,うち「3カ月から5カ月の遅延」が6地区,1地区は「半年以上遅延」することがわかった。離半島部13地区のうち12地区が遅延,うち「3カ月から5カ月の遅延」が4地区,「半年以上の遅延」は3地区になることがわかった。
 
平成27年4月20日,町議会震災復興対策特別委員会を開催していただき,造成工事の進捗状況,全体的に遅延傾向にある旨を説明した。町議会からは,可能な限り引き渡し時期を早める努力をすることや,分かりやすい住民説明会を早期に開催することなどの対応を求められた。硬岩掘削の工程短縮については,発破工法を採用し工程遵守の取り組みを強化することとした。硬い岩盤が出現した造成エリアは,医療センター,小学校,中学校などが近接しているほか,平成27年3月21日に運転を再開したJR女川駅が隣接している。当初は,そうした周辺への影響を考慮し,大型重機による岩盤掘削を続けてきたが,試験的な発破作業を行って,周辺への影響を調査した上で,本格的な発破工法の導入を決定した。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また,さらなる造成スケジュールの「見える化」を図るため,定期的に復興ニュースなどで工程進捗状況の情報提供をすることとした。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町民の皆さんに工程の遅延をお知らせする宅地造成工事説明会は,平成27年4月20日から5月26日までの約1カ月間を掛けて開催した。
 
参加者からは,「今回示されたスケジュールにさらなる遅れは発生しないのか」「災害公営住宅は,いつごろ完成するのか」などの質問があり,町からは,自然災害など,予期せぬ事態による遅延は別として,可能な限り引き渡しの時期が早められるよう努力すること,災害公営住宅も造成スケジュールと整合を図りながら,早期の引き渡しに努力する旨説明し理解をいただいた。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

誇りと愛着のあるまちの実現に向けて

 
本町では,震災により被災した復興まちづくりにおいて,優れた景観づくりを計画的に進め,誇りと愛着の持てる暮らしやすい町の実現に寄与するため,「女川町復興まちづくりデザイン会議(平野勝也委員長)」を設置,平成25年9月11日,第1回会議を開催し,平成28年2月までの間,26回もの議論が重ねられてきた。今回は,このデザイン会議について少し詳しく触れておきたい。
 
震災で町の約7割が壊滅的な状況となり,本町の復興まちづくり事業は,文字どおり安全な居住地のほか,町中心市街地を造り直すという大きな使命が託されていた。計画立案,設計,宅地造成,公共施設の建設などを,8年間という限られた期間で成し遂げなければならない。造成工事も大規模でスピード感の優先度は最も高い。しかし,復興後の100年先を見据え,将来世代へ引き継いでいく優れた景観形成を計画的に進め,誰もが暮らしやすい町の実現はスピード感を優先しつつも欠くことのできない大きな責務であった。それまでも,町とパートナーシップ協定を結んだUR都市機構は,復興まちづくり事業全体の総合調整を担い,町とともに事業を協働で推進していた。UR都市機構からCM(コンストラクションマネジメント)事業の委託を受けた鹿島・オオバまちづくりJVは膨大な造成工事のマネジメントを担っていた。そして,町議会をはじめ,多くの町民の参画,さまざまなディスカッションを経て事業計画を進めてきた。そこにさらなる付加価値としての町の地形を生かした団地形成や質の高い空間をつくるため,専門的な見地からのアドバイスが必要であり,それに加え,復興に携わる関係者,町全体での議論の場が重要と判断したからであった。
 
デザイン会議の委員には,さまざまな地域の景観アドバイザーなどを務める東北大学災害科学国際研究所の平野勝也准教授,東京近郊の多摩市,八王子市でまちづくりアドバイザーを務める宇野健一氏(㈲アトリエU 都市・地域空間計画室代表取締役),土木学会で何度もデザイン賞(最優秀賞)を受賞されている小野寺康氏(㈲小野寺康都市設計事務所取締役代表)に依頼した。会議には,須田町長をはじめ,副町長,関係各課長なども出席,また,町職員のほかUR都市機構,まちづくりJV,町民なども毎回参加し,自由な意見交換が可能な場となっている。
 

デザイン会議では,次代へ引き継いでいく誰もが暮らしやすいま ち,優れた景観形成はどうあるべきか,技術者はもとより,地域住 民,行政が毎回さまざまなテーマのもと議論が深められていく


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに,デザイン会議の下部組織として,シンボル空間検討部会,高台検討部会,川まちづくり検討部会,公園計画検討部会も設置され,それぞれの課題などによって柔軟かつ活発な検討会議が行われ,検討結果は,すぐさま復興まちづくり事業の設計などに反映されている。
 
このうち,JR女川駅周辺やプロムナードを有する「駅前商業エリア」は,シンボル空間検討部会(小野寺康部会長)で詳細な検討を行い,デザイン会議で部会の検討状況を報告,委員長,各委員,町長のほか,会議に出席した町民も交えて,レンガの色や配置,街路樹の種目選定など,さまざまな検討を深め,決定していくという手法がとられた。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

駅前商業エリア整備が本格化 カギを握る公民連携

 
それまでも平日,休日を問わず,県内外から多くの方々が町の復興状況などの視察,復興支援などで足を運んでいただいてはいたが,平成27年3月のまちびらき,JR石巻線の全線運転再開を契機として,さらに多くの方々が来町してくださるようになった。
 
まちびらき第1弾の開業施設は,JR 女川駅と合築した温泉温浴施設「ゆぽっぽ」。そして,駅前広場の北側に配された「女川フューチャーセンターCamass(カマス)」であった。「カマス」は,町内外の人々が集まり,新しい交流をすることで「新しい仕組み」を生み出し,町の活性化の一助になることを目的とした施設。町の課題やめざす未来について,自分たちでできることなどをテーマに議論し考えるフューチャーセッションや各種イベントを開催する。会議室などもあり,町で起業,創業する方たちのサポート役として機能するほか,町民の憩いの場としても利用されることとなる。NPO アスヘノキボウ(小松洋介代表理事)が運営を担っている。
 
しかし,「まちびらき」直後はJR女川駅に降り立つと,目前に迫る海へと広がる大地は,依然工事車両が行き交う復興現場で,駅舎と「カマス」以外に開業した施設はなく,周辺に食事をする場所もなかった。「『まちびらき』をしたというから来てみたが,駅舎,カマス以外何もない…」という声も耳にした。JR女川駅前の商店街は,その年の冬の開業に向け,急ピッチで造成工事,地域交流センター(まちなか交流館),テナント型商業施設などの建設が進められていた。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本町では,本格化する復興まちづくり事業などにおける町中心部のにぎわい創出や,ブランドづくりなどといった民間の活動が円滑に進むよう,事業者のサポートや役場庁内の調整をする部署が必要と判断し,平成26年4月1日,産業振興課内に「公民連携室」を立ち上げた。これにより,震災直後に民間の有志によって設立された「女川町復興連絡協議会(FRK)」を母体とし派生したNPOや復幸まちづくり女川合同会社などとの連携が緊密となり,文字どおり,行政と民間が手を携えて,町中心部,駅前商業エリア全体の整備を進めていく足掛かりとなっていた。その象徴とも言うべき施設が,平成27年6月,一足早く駅前商業エリア内にオープンした。
 
震災後に町内の若手経営者でつくられた復幸まちづくり女川合同会社が運営する物産販売と,あがいんキッチンからなる水産業体験施設「あがいんステーション」だ。
 

たくさんの支援と関係者のねばり強い努力によってオープンした「あがいんステーション」。その外観は,震災前の女川駅を復元したもの。 まさに過去と未来,水産復興の懸け橋。おながわブランドの発進,始発駅だ


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
町の特産品である加工品の直売のほか,漁業,水産加工業の作業体験が可能なキッチンルームからなっている。
 

あがいんステーションがオープンしたこの日,来賓の一人小泉復 興大臣政務官(当時)も早速ホタテの殻むきに挑戦(あがいんス テーション・キッチンルーム)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その外観は,震災前のJR女川駅がモチーフ。昔の町の姿を覚えている方にとっては,まさに涙ものの施設である。なお,「あがいん」は,女川町の方言で「召し上がれ」という意味。英語の「again(再び)」を掛け合わせ,「女川町を再び笑顔あふれる街にする」「女川のおいしいものを食べてほしい」という想いが込められている。
 
さらに,駅前商業エリアは,デザイン会議で形づくられた約170mのプロムナードを軸に,テナント型商業施設,地域交流センター(まちなか交流館)が配され,さらにその外郭を自立型商店街で形成,(仮称)物産センターの年内開業も予定されている。これらの完成後は,約70店舗からなる商店街が姿を現す。
 
JR女川駅に降り立ち,まず目に飛び込んでくるのは,幅15m,海へと真っ直ぐにのびるシンボル軸,プロムナード,レンガみちである。それを取り囲むように配置された三角屋根のテナント型商業施設。このテナント型商業施設建設や商業エリア全体のマネジメントを担うのは,女川みらい創造株式会社。町と商工会,魚市場買受人協同組合などが出資する第3セクターである。「公民連携」を復興まちづくりの基本路線とする須田町長が,身の丈に合った規模で集客の仕掛けをつくり,エリアマネジメント戦略も同社に委ねた。
 
 

居心地のよいにぎわい交流拠点に

 
平成28年12月23日,この日は,女川町復興まちづくり事業『START ! ONAGAWA』プロジェクトの幕開け。待望の「テナント型商業施設シーパルピア女川」と「女川町まちなか交流館」がグランドオープンした。これに合わせ,昨年3月に開催した「まちびらき」の第2弾として「おながわ復興まちびらき2015冬」記念式典などが行われ,町内外から大勢の方々に足を運んでいただいた。
 
シーパルピア女川には,27店舗がテナントとして入店。うち被災事業者が14店舗,それ以外が13店舗となっている。非被災事業者は,7店舗が町内からの創業・新規事業,6社は町外からの誘致事業者だった。シーパルピア女川は,駅に近いエリアにミニスーパーなど日用品を扱う店舗を集約,その先に飲食店舗などのフードエリア。プロムナードを挟んだ対面には,ギター工房やスペインタイル,地元のサッカーチーム「コバルトーレ女川」のお店など,ファクトリー,小売店舗エリアで構成されている。特色のある三つのエリアから形成されていることで,にぎわいづくりや回遊性にも配慮されている。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まちなか交流館は,「居心地の良い,まちの居間となるにぎわい交流拠点」を目的として整備された施設で,ホール,会議室のほか,本格的な音楽スタジオも二つ設けられている。
 
第2弾となった「まちびらき」の記念セレモニーでは,女川小学校の高橋小紅さん,鈴木太陽君が「100年後も元気なまちであり続けられるよう,私たちが意志を受け継いでいきます。皆さん明るい未来に向かって希望の鐘を鳴り響かせましょう」と開業宣言。
 

高橋小紅さんと鈴木太陽君の開業宣言のあと,二人が希望の鐘を 打ち鳴らして「START!ONAGAWA」プロジェクトの幕が開いた


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
須田町長ほか来賓の皆さんがテープカットを行なった。この後,グランドオープンを記念して27日までの5日間,駅前商業エリアを中心として,音楽ライブ,ミニ水産まつり,復興祈念花火大会など,さまざまなお祝いイベントが開催された。
 

まちびらき第2弾を記念して行われたさまざまなイベントには,極寒の年末にも関わらず,大勢の町民や観光客でにぎわった。ステージ上の 女川潮騒太鼓の勇ましい祝い太鼓がエリア内に響き渡った


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
駅前商業エリアには,女川に来たらぜひ立ち寄っていただきたいワクワクするようなお店がこれからも順次,軒を連ねていく。これまで支援してくださったたくさんの企業や復興まちづくり事業に関わるすべての関係者との絆,そして,何よりも「これからがスタートだ!」という町民の気概がギュッと詰まっている。
 
 
 
【出典】


積算資料2016年04月号

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

最終更新日:2016-09-27

 

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