建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー 第42回 恐怖を体験する都市 ー自然豊かな河川をー

通勤電車の中で4人の中学生の近くになった。4人ともスマホゲームに夢中になっている。小さいころからゲームに夢中になっているのだろう。バーチャルな世界にはまっている彼らを見ていていると憂鬱になる。
 
いったい,私たちインフラ担当者は,次世代の子供たちのために,どのような都市を造ったらいいのか?「安全で快適な都市」なのか?どうもそれは違うような気がする。
 
 

体験すべき現実の恐怖

地球上には無数の動物が生存している。それら動物は生まれた直後から,自身の足で立ち上がり,母親のお乳を求めて動き回る。
 
ところが人間は違う。人は未熟児で生れてくる。生まれた直後,自分の足で立てない。母のお乳を求めて動くこともできない。長期間,親に保護され,2歳,3歳になって,やっと自身で立ち上がり,動き回る。触って,ぶつかってモノの硬さを知る。舐めて,噛んでモノの味を知る。ニオイを嗅いで,美味しいモノや汚いモノの判断を身に付けていく。それは全て実際の現実の学びである。
 
人間が生きていくには,現実を学ばなければならない。その学びは,小学生,中学生そして高校生になっても続けられる。それが社会人になる必須の過程であった。ところが,バーチャルに夢中の子供たちは,現実を学んでいない。
 
学ぶべき現実は無数にあるが,特に幼児期から小学生で学ぶべき大切な現実は「恐怖の体験」である。子供たちはスマホで怪獣の恐怖と遊んでいる。しかし,その恐怖は,スイッチをオフにすれば消える。スイッチオフで消える恐怖は,恐怖の体験ではない。
 
現実の恐怖を体験しない子供は,規律ある社会人に成長しない。
 
恐怖が,社会人として成長する大切な基盤となる。
 
 

自然体験と社会規範

15年前,あるパーティーで文部科学省初等教育局の幹部が挨拶に立った。型どおりの挨拶だろうと思っていたら「自然体験を多く持つ子供は,社会規範が優れている」というスピーチであった。
 
驚いてしまった。自然体験が社会規範に関係があるという。パーティーで彼をつかまえて,スピーチの根拠を尋ねた。その幹部は余裕しゃくしゃくと「あのスピーチの基になったデータはある,喜んで提供する」と答えてくれた。
 
さっそくその資料が届いた。それは文部省(現在の文部科学省)ならではの全国の小中学生11万1,123人の膨大な児童を対象にしたアンケート結果であった。
 
それは,子供たちが川,海,山で遊んだ体験があるか否か,そしてその子供たちはどの程度の社会規範を身につけているか,というものであった。そのアンケート結果を分かりやすくした図が(図−1)である。
 

【図− 1 自然体験と道徳観・正義感】




 
この図を見ると,自然体験と社会規範の明瞭な傾向がある。
 
海や川で遊んでいる子供ほど,挨拶したり,席を譲ったりする社会規範を身につけている。それに対し,自然体験のない子供ほど,社会規範を身につけていない。
 
「何故,自然体験によって,社会規範の子供が育つのか?」その答えには文部省は触れていない。
 
しかし,人間の脳の構造を考察すれば,その謎の答えは「恐怖」であることが分かる。
 
 

生存の原点,喰われる「恐怖」

約40億年前の地球誕生の初期,原核生物の細菌や藍藻の単細胞の生物が発生した。それから30億年以上も経過した6億年前,海の中で進化の大爆発があり,クラゲ,ゴカイなどの無脊椎動物が誕生した。
 
これらの生物は,表皮を通して外界と物質交換を行った。それ以前の生物は,自身の光合成でエネルギーを自ら生産していた。しかし,この無脊椎動物は自身でエネルギーを生産しなかった。彼らは他の生物を「喰う」ことによって,安易にエネルギーを得る進化を遂げたのだ。
 
他者を喰うという効率的なエネルギー獲得術を手にした動物は強かった。
 
カンブリア紀の進化の大爆発を経て,水中から陸上へ進出した。魚から両生類へ,そして爬虫類へと進化した。その爬虫類の王者,恐竜は約1億6千万年間にわたり栄華を誇った。その恐竜は6500万年前に突然絶滅し,進化の舞台を鳥類と哺乳類に明け渡した。
 
約7000万年前,モグラの仲間の食虫類が樹上に進出し,霊長目の進化が開始された。約3000万年前に霊長目から類人猿が分岐し,約800万年前にゴリラの系統が,600万年前にチンパンジーが分かれた。
 
そして遂に,約500万年前に不完全ながら直立二足歩行の猿人が出現し,100万年前には完全直立二足歩行で火を使用する原人(ホモ・エレクトゥス)が登場し,20万年前,現在の新人(ホモ・サピエンス)が登場した。
 
約6億年前から始まったこれら動物の進化の共通点は,他の生命を「喰う」ことでエネルギーを獲得したことだ。
 
自分自身でエネルギーを生産しない。他の生命を喰って,生命を維持する。自身が生きることは,他の生物を喰うこと。他の動物が生きることは,自分が喰われること。
 
動物の生存の原則は「喰うか喰われるか」になった。
 
この喰うか喰われるかの原則の世界で,自分自身を守るものは恐怖だ。恐怖が危険から守ってくれている。恐怖を感じなければ,死に向かって一直線だ。
 
動物が生存するため,恐怖を感じる機能は脳の奥底にしっかり刻み込まれた。
 
 

三つの脳

人間の脳は複雑な機能を持つが,大きく三つに分けられる。(図− 2)はその脳の模式図である。(「脳と心の仕組み」永田和哉監修,かんき出版)
 

【図− 2 大脳の三皮質】




 
一番古くて底にある脳が古皮質だ。その古皮質の周りを旧皮質,さらにその周りを新皮質の脳が積み重なり覆っている。この三つの脳はそれぞれ役割を分担している。
 
古皮質は爬虫類の脳と呼ばれる。この脳は「生存,つまり食欲,生殖,危機」の役割を担っている。
 
旧皮質は哺乳類の脳と呼ばれる。この脳は「喜び,悲しみ」などの情動の役割を担っている。
 
新皮質はヒトの脳と呼ばれる。この脳は「予知し,計画し,制御する」いわゆる知的な働きの役割を担っている。
 
人間は,このヒトの脳が異常に発達した動物である。「唯脳論」の著者,養老孟司氏のヒトの脳についての表現が分かりやすい。
 
ヒトの脳は,予知し,計画することが大好きだ。ヒトの脳は,予知できないもの,計画できないもの,制御できないものは大嫌いだ。予知できず,計画できず,制御できないものが一つある。
 
それは「自然」だ。
 
自然は予知できない。計画できない。制御もできない。だから,ヒトの脳は,思うままにならない自然が嫌いだ。ヒトの脳は嫌いな自然を排除し,自分で制御できる空間を造っていった。それが都市であった。
 
この都市では,自然は嫌われ徹底的に排除される。自然愛好家や自然保護派も,レストランでゴキブリがうろちょろすることを決して許さない。ネズミが走り回っていたら,そのレストランを告訴しかねない。食材豊富なレストランに,ゴキブリやネズミがいるのは自然なことなのだが,その自然は徹底的に排除される。
 
都市に樹木や噴水の上がる池があっても,それは計画され制御されたものである。
 
計画され,制御された都市に住む人々は,さらにヒトの脳,つまり,計画し,制御する脳を肥大化させていった。
 
 

爬虫類の脳

脳の機能で,自分の命を守っているのは,一番古い爬虫類の脳である。
 
爬虫類の脳は,生存のため恐怖を感知する機能を形成した。恐怖を感じなければ,危険回避ができず,簡単に他の生物に喰われてしまう。
 
その危険を感知する脳を備えた爬虫類は「集団」を形成した。喰われる恐怖を集団で乗り越え,集団で他の生物を喰う力を持っていった。集団は生きるための原則となった。
 
集団には,必ず強いものと弱いもの,優れたものと劣るもの,経験を積んだもの未熟なものとの差がでてくる。その強いもの,優れたもの,経験を積んだものが,集団をリードするようになる。
 
リーダーの指揮のものに集団行動をとることが,その集団が生き延びる最良の方法であった。
 
リーダーが集団を指導し,集団はリーダーに従う。集団は生き残りのための最も有利な集団行動をとる。こうして種ごとの行動様式が定まっていった。
 
映画のジュラシックパークを観ていると,恐竜たちは集団で敵から逃げ,集団で敵を襲っていく。その恐竜の集団行動には無駄がなく,美しささえ感じる。
 
1億6千万年もの長い間,恐竜が生態系の王者として栄華を誇った鍵は,集団を形成し,他の生物群を効率よく喰う行動様式を確立したからだ。
 
その後,言葉を持った人類が登場した。言葉を持った人類は,言語で連絡を取り合い,独特の集団様式で他の生物を打ち負かせていった。その人類は,自分たちの集団様式を「社会規範」とか「道徳」と呼ぶようになった。
 
「社会規範」や「道徳」は,ヒトの脳が支えているのではない。最も古い爬虫類の恐怖の脳,生存のための脳が担っている。これを理解すると,社会規範や道徳心をどうやって身につけていくか,おのずと推論できる。
 
 

恐怖の体験

社会規範は,古い爬虫類の脳が担っている。そのため,恐怖を体験すれば爬虫類の脳は活性化して,社会規範が備わっていく。
 
恐怖は予知されない,制御されない。予知されず制御されない舞台は自然である。自然の体験とは,本質的に恐怖の体験であって,決して心穏やかなものではない。
 
自然体験の一番身近な場が川である。川はどの都市にも流れている。
 
その川の遊びは恐怖の連続となる。川岸まで行くまでに,藪の棘や小枝で皮膚を傷つける。足元の水溜りに靴を汚し,突然鳥が飛び立つ音に驚き,蛇が逃げていくのを見て足がすくむ。怪しい動物の死骸の臭いもある。
 
視界が広っている川岸も安全ではない。石はぬるぬるしていて,気を抜けばあっという間に倒れ,手を擦りむき血も流れる。もちろん気味悪い虫もいる。
 
流れている水も恐い。水の流れは変化する。淀みの少し先は急に速くなり,油断すれば流される。歩くたびに水深は変化し,一歩進めばあっという間に腰まで深くなる。自然の川は学校の安全なプールではない。
 
でも,川遊びは楽しい。目,耳,鼻,口と肌の五感のすべてを使う。五感で,風と草と生き物と水の流れを感じる。子供たちは時間を忘れ,くたくたになるまで遊ぶ。予知できない自然,自分の思うままにならない自然,そこで感じるのは不安であり恐怖である。子供たちはいつのまにか団体行動をとり,ガキ大将や年長者の指示に素直に従い,仲間同士の無言の約束事が生まれていく。
 
社会性を持った子供の誕生の瞬間である。
 
自然の遊びの恐怖の体験は,爬虫類の脳を活性化させ,社会規範を備えた子供たちを育てていく。
 
 

子供たちを自然に

ある小学校長が言っていたが,集団行動ができない子供たちが増えているという。集団行動ができない子供に,道徳を教えても空しい。何しろ道徳の時間,自席に座らせておくことすら困難だという。
 
何故,自分の席に座っていなければならないのか? 何故,他の生徒の迷惑になってはいけないのか? 子供たちはその当たり前のことが理解できない。今の子供たちは何か決定的に何かを欠いている。その傾向はますます強くなり,憂鬱になると語っていた。
 
21世紀,日本は世界でも有数な豊かな近代国家を実現した。
 
この豊かな近代化の成果は,計画され,制御された都市の実現であった。
 
自然を排除した都市に住む子供らは,予知できない自然,制御できない自然を体験することはない。自然を体験しない子供らは,恐怖の体験をしない。恐怖を体験しない子供たちは,集団行動を知らず,社会規範を身につけないまま成長していく。
 
社会規範を備えた子供に育てるには,子供らを自然へ連れて行き,自然の中に放つ。小さな事故や怪我は覚悟して,子供らに自然の恐怖を体験させ,爬虫類の脳を鍛えさせることだ。
 
都市のインフラを担当する人々の責任は,都市の中に子供たちが自然体験できる場を用意してやることだ。
 
その場が川である。安全だが,自然豊かな川にする。子供たちはその川で自然を体験する。未来を背負う子供たちは,川の自然体験で恐怖を学び,社会規範を身に付けていく。
 
これが都市のインフラを担当する人々の責任となる。
 
 

竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

公益財団法人リバーフロント研究所技術参与,非営利特定法人・日本水フォーラム事務局長,首都大学東京客員教授,東北大学客員教授 博士(工学)。出身:神奈川県出身。1945年生まれ。東北大学工学部土木工学科1968年卒,1970年修士修了後,建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長,中部地方建設局河川部長,近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。02年に退官後,04年より現職。著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年),「土地の文明」(PHP研究所2005年),「幸運な文明」(PHP研究所2007年),「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著),「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年)。2016年8月に最新刊「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社)が上梓された。
 
 

公益財団法人                  
リバーフロント研究所 技術参与 
竹村 公太郎

 
 
【出典】


積算資料2017年04月号



 

 

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