建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー第43回 東京の繁栄を支える地方 ーインフラ整備も消費もー

2月末,一斉に「ふるさと納税」に関する報道があった。2017年度の東京23区の税収の減収額は,207億円に達する見込みとなった。この事態に東京23区長たちが総務省に対して配慮を申し入れ,総務省も高額な返礼品については指導していくとの報道だった。
 
ふるさと納税とは,生まれ故郷や愛着のある自治体に寄付をする代わりに,税負担が軽くなる制度である(図− 1)。ふるさと納税で税収が減ると,減収分の75%を国が地方交付税で補填する仕組みはある。しかし,23区は交付税を受けていないため,減収の影響はそのまま出る。
 

【図− 1 ふるさと納税の仕組み】  出典:総務省HP




 
 
207億円という数字だけが報道されたが,東京23区の税収全体額は報道されなかった。
 
手元にある資料によると,2013年での東京23区の全体税収入額は,9,474億円となっている(平成25年度東京都23区税収合計ランキング)。
 
減収額の200億円の税収入全体からは2%程度に過ぎない。
 
全国の自治体が知恵を出し,地方の地元企業の協力を得て行っている「ふるさと納税」が,東京23区の行政を苦境に追い込んだと到底いえない。
 
この程度の東京23区の損失はダメージではない。歴史的に見ても,社会構造から見ても,東京は地方に支えられているからだ。
 
 

地方の資金と労力で誕生した江戸

江戸初期の1620年,隅田川の洪水から江戸を守る堤防が建設された。
 
浅草から三ノ輪までの高さ3m,幅8mという大きな堤防が,徳川幕府の命令で全国の80余州の大名によって60日で完成した。日本中の大名が建設に参加したので「日本堤」と呼ばれるようになった(図− 2)。
 

【図− 2 広重 よし原日本堤】(1620 年)




 
 
この工事は,大名たちが徳川幕府へ忠誠を示すためのものであった。資金も労力も各地の大名が負担した。幕府の命令で行われる工事は「お手伝普請」とも呼ばれた。
 
徳川幕府が命じたお手伝普請は,この隅田川の日本堤から始まったわけではない。徳川家康が行った江戸の都市づくりは,日比谷の埋立て工事から開始された。この日比谷の埋立て工事も,30藩以上を超える大名によるお手伝普請であった。
 
当時,江戸湾の海は今のアメリカ大使館から(独)国立印刷局の前を南東に下る汐見坂の下まで入り込んでいた。海に面した高台の江戸城は海運には便利だが,海からの不意の攻撃には弱い。この日比谷の入江を埋立てれば城下の土地も広がるし,不意の攻撃にも対処しやすい。かつては日比谷にも海が入り込んでいたのだ。
 
神田から駿河台の高台を削り江戸湾を埋立て,現在の日比谷から新橋,銀座,京橋,日本橋,八丁堀が生まれた。皇居前広場から地形が延々と平坦になっているのは人工の埋立地だからだ。
 
また,江戸を中心に東海道,甲州街道,中山道,日光街道が放射状に整備されたが,これらの街道もお手伝普請によって造られた。江戸の街の掘割や運河の工事,上水道を江戸市中に導く工事もお手伝普請によってなされた。
 
街づくりだけでなく江戸城もお手伝普請によって築造された。江戸城の本丸は地震や火事で消失してしまった。しかし,皇居前広場の大手門は伊達政宗のお手伝普請によって築造され,今でも残存している。
 
江戸の都市インフラは,地方の大名たちの財力の「お手伝普請」で次々と整備されていった。地方大名たちの財力とは,領民から集めた年貢であったことはいうまでもない。
 
つまり,江戸の都市インフラは,全国の地方の人々の年貢で整備されていったのだ。
 
 

参勤交代とはなにか

江戸の都市インフラが,地方の人々の資金と労力で整備されただけではない。インフラつまり下部構造の上に花開いた江戸の上部構造である商業,文化,芸術の繁栄も,地方の人々に依存していた。それは決して抽象的な概念ではない。地方が江戸の繁栄を支える具体的なシステムが存在していた。
 
それは「参勤交代」であった。
 
関ヶ原の戦いの2年後の1602年,家康にとって最大のライバルであった前田利家は,自分の母を人質として江戸へ住まわせた。力をつけた家康への配慮から,他の外様大名たちも家族を江戸に住まわせ,定期的に江戸へ参上するようになった。
 
家康の時代から始まったこのシステムを,三代将軍家光は「武家諸法度」に付け加えた。親藩も含め全ての大名に参勤交代が義務付けられたのだ。
 
大名たちは妻子を江戸に住まわせ,基本的には2年に1度,領地と江戸の間を行き来する。妻子は江戸に住んでいたため,江戸中期になると,ほとんどの大名は江戸生まれになっていた。こうなると妻子が江戸の人質というより,大名が地方の領地へ単身赴任するという構図となる。
 
現代のサラリーマンたちも都会から離れない妻子を置き,地方に単身赴任していく。驚くことに,地方選出の国会議員の多くも家族を東京に住まわせ,東京人として生活している。
 
世界中に不思議がられている日本の単身赴任は,近代化の中で登場してきたものではない。400年もの年季が入ったしぶとい日本人の生活習慣なのだ。
 
現代の単身赴任は一人で動く。しかし,江戸時代の参勤交代は百人から数百人の移動であった。加賀前田藩の四千人という大移動もあったという。これらの大所帯が移動すれば,当然費用がかかる。
 
街道筋はこの参勤交代のおかげで繁盛した。宿泊滞在に伴ってさまざまな物資が購入され商業,工業,農業が発展する原動力となった。
 
しかし,この参勤交代でもっとも利を得たのは江戸であった。(図− 3)は広重の東海道五十三次の一番目の「日本橋」である。
 

【図− 3 日本橋を渡る大名行列 東海道五十三次 「日本橋・朝之景」広重】




 
 

江戸の消費の繁栄は参勤交代

大名たちの江戸での生活は費用がかかった。諸大名は江戸で家族の上屋敷,控えの中屋敷,郊外の別荘や倉庫を兼ねた外屋敷などを持ち,江戸常勤の家臣を多数召しかかえる必要があった。江戸での大名たちは純粋な消費者であった。
 
江戸には生産する土地もなく,働いてくれる領民もいない。江戸ではただただ消費を行うのみだ。その経費を捻出するため,諸大名は自藩の農作物,海産物,衣料そして工芸品を江戸や大阪,京都に運び込み貨幣に換えた。
 
江戸には全国の物資や金銀が集まり,江戸の消費経済は繁栄をみせていった。消費とともに盛り場や遊郭が生まれ,芸能や演劇が育ち,浮世絵や美術品が製作され,世界でも屈指の洗練された江戸文化が花開いていった。
 
文化とは消費である。
 
消費する文化には金銭的な支援者が必要となる。支援者がいなければ文化は成立しない。江戸で消費する大名をはじめとする人々を支えていたのは,地方の人々であった。
 
江戸っ子たちは,江戸文化を生んだと自慢し,地方の人々を田舎者と馬鹿にした。しかし,その地方の人々が江戸の文化を金銭的に支援していた。
 
江戸の下部構造の都市インフラは「お手伝普請」で地方の人々によって整備された。江戸の上部構造の消費と文化は「参勤交代」で地方の人々に支えられていた。
 
江戸はすべての面で,地方に支えられていた。
 
 

地方に支えられる東京への消費

明治になり江戸は東京となったが,東京が地方に支えられる構造はなんら変化しなかった。
 
明治政府のインフラ投資は,東京圏を最優先させた。
 
街道に代わって国鉄の東海道線,横須賀線,中央線,東北線,常磐線と東京を中心に放射状に整備され,都内では環状の山手線が整備された。これらの整備には,全国の人々から集めた税金が投入された。
 
鉄道以外の道路,街路,河川改修,港湾,下水道,地下鉄,飛行場と東京のインフラは最優先された。もちろん東京都民の一部負担もあったが,これらも全国から集めた税金によって整備されていった。
 
全国から集まった税金を投入していく現代版「お手伝普請」で,東京のインフラは優先して整備されていった。
 
東京の消費も同様であった。江戸時代,消費生活を支えたのは地方の大名たちであったと同様に,江戸の消費経済の源は地方の人々であった。そのことを端的に表しているのが東京の「学生」である。
 
学生は純粋な消費生活者である。実家から仕送りを受けて消費生活をしている。アルバイトをしても,その収入は貯蓄に回らず,消費に向けられる。この東京で純粋に消費活動をしている人々,それが学生である。江戸時代の大名と同じ姿である。
 
文部科学省の全国学校総覧によると,全国の専門学校と大学を合わせた7,000校のうち一割が東京都内にあり,全国学生総数約400万人のうち4分の1の約100万人が東京都内にいるという。
 
都内学生のうち下宿やマンション生活をしている地方出身学生の割合のデータはない。10年前になってしまうが,明治大学が調査したデータでは,明治大学の学生の40%が下宿や寮やマンション生活をしているという。
 
この明治大学のデータ40%を利用して,仮に推計してみる。
 
都内の学生100万人のうち地方から上京して東京で生活している学生数は40万人となる。学生たちは一人平均して月々いくら送金されているのだろうか?
 
15万円の仕送りを受けていると,毎月毎月,地方から東京へ600億円の現金が送られてくることとなる。学生を通して毎月600億円,一年間で7,200億円の現金が東京に集金され,純粋に消費されている。
 
送金する人は地方の公務員,サラリーマン,商店,農業,漁業の親たちである。
 
学生たちは卒業して社会に出るが,新しい学生は毎年,地方から補給され続ける。この学生の存在は,尽きることのない東京への重要な集金システムの一つであり,東京での消費システムである。
 
東京で消費生活をする学生とその学生に現金を送り支える地方の親たちは,現代版の参勤交代である。
 
 

東京と地方の連携

400年間,江戸と東京のインフラは地方の人々によって休むことなく整備されてきた。この東京は日本一,安全で快適な都市となった。
 
この快適な首都・東京に所在する上場企業は1,796社である。全国3,530社の半数を超える(出典:上場企業都道府県別ランキング,平成25年度末)。
 
これら東京に本社を置く企業は,東京都内で物を生産してはいない。物を生産し,世界各国へ配送し,日本国内へ流通させている拠点は,各地方である。
 
しかし,本社の所在地が23区にあれば,その会社の法人税は全て23区に入っていく。
 
今,ビル建設ラッシュの東京は独り勝ちの様相を示している。生産拠点は国内から次々と海外へ移転され,地方経済の落ち込みは著しい。人口の大都市部への集中は止まらず,地方都市,農山村そして漁村は過疎化で苦しんでいる。
 
400年間,地方は江戸と東京の整備と繁栄を支え,その江戸と東京の繁栄を自分たちのことのように喜んだ。なぜなら,江戸と東京は日本の首都であり,自分の子供たちや孫たちが活躍する場でもある。地方の人々は,嫌々,江戸と東京を支援したのではない。喜んで自分たちの首都・江戸と東京を支援してきた。
 
21世紀の今,独り勝ちの東京がしなければならないことは,地方への支援であり,地方との連携である。東京の繁栄,税収入の基礎は,地方が支えている。
 
東京の地方への支援,提携の有力な手法が,ふるさと納税である。ふるさと納税のさらなる増強こそ必要となる。
 
 

竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

非営利特定法人日本水フォーラム代表理事・事務局長,首都大学東京客員教授,東北大学客員教授 博士(工学)。神奈川県出身。1945年生まれ。東北大学工学部土木工学科1968年卒,1970年修士修了後,建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長,中部地方建設局河川部長,近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。02年に退官後,04年より現職。著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年),「土地の文明」(PHP研究所2005年),「幸運な文明」(PHP研究所2007年),「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著),「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年),「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社2016年)
 
 

特定非営利活動法人 日本水フォーラム       
代表理事・事務局長 竹村 公太郎

 
 
 
【出典】


積算資料2017年06月号



 

 

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