- 2018-07-30
- 積算資料
圧倒する孤高の富士山
2017年の暮れ,新幹線で名古屋に向かった。熱海のトンネルを過ぎると「右手に富士山が見えます」という車内アナウンスが流れてきた。
目の前には美しい富士山がそびえていた。山頂に少しだけ白い雪を被った姿はやはり圧倒的だった。
しかし,この富士山の姿はトリックだった。日本人はこの富士山の姿に影響されてきた。影響され過ぎてきたといえる。
富士山は日本のシンボルで,日本人の誇りである。何しろ日本一の高さで,単独でそびえ立っている。春には裾野に桜が咲き,初夏には新緑で覆われていく。夏には入道雲がまぶしく輝き,初冬から新年にかけては真っ白な雪を被っていく。
富士山は他の山々と並び立つ山ではない。富士山はonly oneなのだ。さらに,富士山は日本列島の地図の中心にあり,首都・東京からも眺められる。
富士山は高さも,美しさも,地図上でも,文句なしの日本一である。何百年,何千年間,この富士山を眺めてきた日本人は,この富士山に心理的な影響を受けてきた。思考も富士山に影響され,その思考は日本人の弱みともなった。
富士登山と人生
一度だけ富士登山に挑んだことがある。富士登山は緑の木々の中を散歩するような爽快さはない。岩だらけの斜面を登っていくのが富士登山だ。見えるのは目の前の岩だけだ。1時間ごとに休んで水を飲む。水を飲みながら上を見ても,頂上もその先も見えない。見えるのはゴツゴツの岩と,手の届かない坂の上の雲だけだ。
再び立ち上がり,歩き出す。空気が次第に薄くなる。リュックが次第に重く感じてくる。岩に躓(つまづ)き,斜面に足を取られながら登っていく。登山では自分しか頼れない。山では誰も助けてくれない。歯をくいしばってやっと頂上の手前の山小屋に着く。登山客を詰め込んだ食堂で食事をして,雑魚寝で寝苦しい夜を過ごす。早朝の3時頃に起きて,暗い中を頂上に向かう。自分自身を励ましながら,頂上にたどり着く。
ちょうどその頃に太陽が昇ってくる。眩しい朝日に圧倒される。御来光に手を合わせ,見えない神に祈ってしまう。寒さが身を刺すが,その寒さも禊(みそぎ)のように感じられる。
富士登山のゴールは,頂上でのこの儀式となる。儀式が終われば,富士登山は終了する。
富士登山の目的は頂上であり,そのあとに目的はない。あとはただ下山していくだけだ。
この富士登山は,人生とだぶっていく。
学校を出て薄給の社会人として歩みだす。結婚して,家庭を構え,子供を育てていく。子供が大きくなり,元気だった両親も体力が急激に弱っていく。社会的な責任も少し付き,石に躓かないよう,足元を確認して歩みを続ける。
ひと休みする時もある。その休息中でも考えているのは,毎日の社会的責任である。再び歩み出し,地位が付いたころに定年を迎える。子供も成人し,家庭の重荷はない。責任の軽い第二の人生の坂を下りていく。
懸命に坂を登り,頂点にたどり着き,下りていく。富士登山と人生のイメージは完全にだぶっていく。小さい時から富士山を眺め,富士山を愛してきた日本人が,自分の人生と富士登山をだぶらせるのは当然であった。
ところが,この富士登山とだぶるのは,個人の人生だけではなかった。日本社会そのものが富士登山のイメージとだぶっていた。
膨張の日本近代
社会の変遷の指標には,人口,経済,領土などがある。その中で身近で分かりやすいのが人口だ。日本の人口の変遷を表したのが(図-1)である。過去の人口データは鬼頭宏氏(現・静岡県立大学学長)のデータで,100年後の予測は厚生労働省の人口問題研究所のデータである。
江戸末期に3千万人強だった日本の人口は,明治になって一気に爆発した。そして,2004年の1億2千万人台をピークに急速に下がっていく。約100年後には,6~7千万人になると予想されている。
この図を見ると,いかに明治以降で人口が膨張したかがわかる。この明治から21世紀初頭が近代であった。この近代は膨張の時代であった。明治,大正そして昭和生まれの人々は,この膨張の近代を駆け上っていった。
この時代はあらゆるモノが不足していた。電気が足りない。住宅が足りない。水道そして下水道が足りない。水害に苦しみ,交通渋滞に悩まされた。全て,社会が急激に膨張する悩みであった。
人々はこの膨張圧力に懸命に対応した。膨張への対応のスローガンは「効率」であった。効率を高め,生産性を上げる。一人当たりの生産性を高めるため,モノは画一化された。土地の生産性を上げるために,人々は都市に集中した。時間の生産性を上げるために,大量にエネルギーを使ってスピードを上げた。
日本社会は生産性を上げ,見事に世界最先端の経済大国になった。人口と経済が急膨張した日本社会は,富士登山のイメージと重なっていく。人々は頂上を目指して,目の前の岩の道だけを見詰めて,懸命に登り続けた。頂上に何があるのかなど分からなかったし,考えたこともなかった。ただただ登り続けた。たまに上を見ても“坂の上の雲”しか見えなかった。
そして21世紀初頭,人口は頂点に達し,GDPも成長を止めた。日本は文明の頂点にたどり着いた。
この頂点では,インフラは整備され,モノは溢(あふ)れ,欲望をそそるモノはない。そして,この頂点は見晴らしがよかった。過去を振り返ると,過去が良く見通せた。過去だけではない。未来まで見通せた。日本社会の人口減少が見えた。産業経済の縮小が見えた。
この日本社会の変遷が富士登山のイメージとだぶっていく。日本社会は頂点に達し,あとは縮小していく。日本人は富士山のイメージを,個人の人生だけではなく日本社会にもだぶらせてしまった。
しかし,これは誤りであった。富士山の地形のトリックにかかっていた。
連なる山々
ある時,友人のジャーナリストと人口問題を議論していた。彼に(図-1)のグラフを示した。文明の一つの指標が人口だ。この人口の変遷を見る限り,日本文明は頂点に立った。頂点に立って豊かさを達成した日本は,今後,何を目指して進んでいくのか?人口縮小とともに社会経済も縮小していく。日本は目標を失い浮遊している。このような考え方を話した。
友人は,私の言葉に誘発され,ピーター・フランクル氏の言葉を私に教えてくれた。ピーター・フランクル氏は,著名な数学者である。日本で生活しているユダヤ系フランス人で,上手な日本語を話す。
友人がピーター氏にインタビューしている時のこと,ピーター氏は,ユダヤ人を山登りに譬(たと)えたという。その内容は「ユダヤの民は山の頂点にたどり着くと,次の山へ向かっていく。そのために,登った山を下りていく。登ったら,下りる。頂点が目的ではない。次の山を登るのが目的だ。だから山から下りる。下りることは,次の目的へ向かうためだ」。このような内容だった。
そのフランクル氏の話を聞いた時,心が震えてしまった。私は間違っていた。
個人の人生は終わる。しかし,文明は終わらない。文明の前には次々と険しい山々が立ちふさがってくる。
文明の歩みとは,連なる山々を進むことだ。だから,一つの山に登頂すれば,その山から下りていく。次の山に登るために,下りていく。次の山を登らず,山の前で立ちすくむことは,文明の衰退と滅亡を意味する。山々を次々と登っていくしかない。それが文明存続の宿命なのだ。
(写真-2)は,シナイ山から撮った連なる山々だ。フランクル氏の言ったのは,このように連なる山々を進んでいくことなのだろう。
やるべきことは次の登山
未来の日本文明の前には,厳しい山々が次々と立ちふさがってくる。それらは地球規模の険しい山々だ。
化石エネルギーの逼迫(ひっぱく)。食料・水資源の逼迫。大気・水環境の悪化。巨大地震の発生。最も険しい山は,気候変動に伴う気象の狂暴化と,数百年間継続していく海面上昇である。
日本は,これらの厳しい課題を一つずつ克服していかなければならない。そして次の山に登っていかなければならない。
頂上に立ち「登山は終わった」などと言っていられない。そのためには躊躇せず,今,立っている頂点から下りていく。次に待ち構えている山を登るために,下りていく必要がある。
日本の人口減少を恐れる必要はない。人口減少,つまり,山を下りることは,日本が次の険しい山を登るために必要な準備となる。
今まで私は「その国の文化,風習や歴史は,その国の地形と気象によって規定されている」と主張してきた。その私自身も気が付かない間に,富士山の地形に心理的な影響を受けていた。ピーター・フランクル氏の言葉で,そのことに気が付かされた。
文明存続のアナロジーは富士登山ではない。文明存続のアナロジーはシナイ山のような連なる山々を進むことなのだ。個人の人生も同じことだ。生きている限り次の山に向かっていくことが人生なのだ。
ピーター氏の言葉は,ユダヤ民族の辛い歴史からにじみ出てきた重い言葉であろう。しかし,もしかしたらピーター氏はシナイ山の連なる山々の地形に無意識に影響を受けたものだった,と考えると愉快になってくる。
ふと,デスクの後ろを見ると,新年1月のカレンダーがかかっていた。今年もまた,美しい富士山がそびえ立っていた。
竹村 公太郎(たけむら こうたろう)
非営利特定法人日本水フォーラム代表理事・事務局長,首都大学東京客員教授,東北大学客員教授 博士(工学)。神奈川県出身。1945年生まれ。東北大学工学部土木工学科1968年卒,1970年修士修了後,建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長,中部地方建設局河川部長,近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。02年に退官後,04年より現職。著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年),「土地の文明」(PHP研究所2005年),「幸運な文明」(PHP研究所2007年),「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著),「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年),「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社2016年)
代表理事・事務局長 竹村 公太郎
【出典】
積算資料2018年4月号
最終更新日:2018-08-10
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