建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー第21回 水が自然流下する都市 ─ 持続できない近代水システム ─

 

公益財団法人 リバーフロント研究所 代表理事
竹村 公太郎

 

シンガポールの天空プール

 

写真-1 マリーナ・ベイサンズの天空プール

写真-1 マリーナ・ベイサンズの天空プール


 
2年に1度、7月のシンガポールで国際水週間が開催される。
世界各国から官民の水関係者が集まり、技術やプロジェクトの情報交換を行っている。
このイベントは2008年から始まり、回を重ねるごとに盛んになっている。
 
シンガポールは世界で一番住みやすい都市にランクされている。
地理的に世界交流の中心ゾーンに位置し、英語が通じて、治安が良い、という点が評価されている。
 
もともと小さな島国のシンガポールには水がなかった。
そのためマレーシアに頭を下げ、つらい思いをしながら水を分けてもらっていた。
 
そのシンガポールは、この水がないことをバネにして、海水淡水化や下水再利用の技術を世界から受け入れ、
今や世界最高レベルの「水処理産業国家」になり、水の自給率も60%を越えている。
 
このシンガポールのある水施設が、世界から注目を浴びている。
マリーナ・ベイサンズ・ホテル56階の屋上にある地上200mの巨大天空プールである。
そのプールサイドにいると、泳いでいる人が空中へ飛び出してしまうように見えてしまう。
(写真-1)は天空プールのプールサイドから撮ったものである。
 
日本の旅館にも展望風呂はある。
しかし、200mという高さは論外である。
水に苦しんでいたシンガポールで、近代都市の究極の水の姿が登場した。
 
 

水と文明の誕生

約20万年前、地球上にホモサピエンスが登場し、狩猟や魚介類の採取で生きてきた。
そして約1万年前、人類は土地に定住する農耕を開始した。
 
農耕は小さな川のほとりから始まった。
しかし、小さな川の水量は不安定であった。
雨が降ればどっと流出し、少しでも日照りが続くとあっという間に消えてしまう。
 
人々は大河に目を向けた。大河は1年中水が滔々と流れている。
しかし、大河は人々の身の丈を超えていた。
その水を引き込むには、多くの人間の協力が必要であった。
 
大勢の人々が大河に集まった。
人々は力を合わせて、大河から水を引き込むことにした。
人々が協力するには、共通する言葉が必要となった。
農耕のための天文・気象観測や農作技術が進歩した。
集団生活のトラブルを避けるため、さまざまな約束事が作られた。
集団のメンバーが楽しみ、一体感を感じる祭りも生まれていった。
 
人類の文明の誕生であった。
 
紀元前3500年前、チグリス・ユーフラティス川でメソポタミア文明が誕生した。
それを追うようにして、ナイル川でエジプト文明が、インダス川でインダス文明が、黄河で黄河文明が誕生していった。
 
 

文明と都市

それら古代文明は都市を生んだ。
この都市の誕生も大河と関係があった。
 
大河には年に一度は大きな洪水がある。
そのたびに農地は水没してしまう。
農地にとって洪水は喜ばしい。
洪水は肥沃な土壌を農地に運び、翌年の豊作を約束してくれたからだ。
 
しかし、洪水で住居が水没してしまうのは困る。
人々は大河の氾濫から離れた場所や近接する微小地形の高台に住居群を造った。
 
さらに、人々はこの住居群の周囲に塀を張り巡らせた。
倉庫に保管してある穀物を狙って、騎馬民族や敵対部族が襲ってきたからだ。
それに対抗するため、どうしても城壁が必要であった。
 
城壁に囲まれた人工の住居空間、つまり都市の誕生であった。
インダス文明のモヘンジョダロの遺跡など、古代文明の都市遺跡はどれも塀に囲まれた都市であった。
 
なお「都市」という言葉は日本の造語で、中国にはこの言葉はない。
中国語で「都市」を指す言葉は「城市」である。よく東京で会議が行われる千代田区平河町の「都市センター」の看板には、
中国語で「城市中心」とある。
中国の都市も城壁に囲まれていた歴史が、この「城市」という漢字に残されている。
 
 

都市と水

地球の各地で都市が生まれていった。
それら都市には共通した悩みがあった。
飲料水が常に不足していたのだ。
 
なにしろ都市が造られた場所は、大河の氾濫原から離れた場所であり、洪水が届かない微小地形の高台であった。
当然、そのような場所には水がない。
人々が集まる都市は、慢性的な水不足という宿命を負っていた。
 
そのため、指導者たちの第1の役目は、飲料水を遠くから引くことであった。
 
現存する最古の水道・ローマ帝国のアッピア水道を始め、都市の水道は遠くの水源から延々と導水された。
日本の江戸でも43km離れた多摩川から玉川上水で水が引かれた。
 
遠くから水を引いた理由は、都市に川がなかったからではない。
ローマにはテヴェレ川が流れて、江戸には隅田川が流れていた。
しかし、蒸気ポンプが生まれる以前、いくら眼下に川が流れていても、その水を大量に汲み上げることはできなかった。
 
そのため近代以前の都市では、重力による自然流下で遠くから延々と水を引かざるを得なかったのだ。
 
 

蒸気機関ポンプ

都市の歴史において、近代とそれ以前は明瞭に区別できる。
それは水システムを支えるエネルギーである。
 
近代以前、都市の水は自然流下であった。
人々は重力に逆らえず、重力に順応していた。
都市の規模もこの自然流下の水量で自ずと決まっていた。
 
その都市の歴史を決定的に変えたのが、1763年のジェームス・ワットの蒸気機関であった。
 
このワットの蒸気機関は、水を重力から解放した。
 
英国の炭鉱で生まれたワットの蒸気ポンプは、炭坑の地底からの排水を劇的に改善した。
 
ポンプは炭鉱の人々を救っただけではなかった。
このポンプは都市を流れる川から、いくらでも水を汲み上げることができた。
遠くから水を引いてくる必要がなくなった都市は、重力の束縛から解放された。
都市の大膨張の条件が整った。
 
都市の大膨張は横へ広がる以上に、空高く上に伸びていった。
ポンプは懸命に空に向かって水を送り、都市と人々は重力の存在を忘れていった。
この極限の姿が、シンガポールの200mの天空のプールだった。
 
 

持続可能でない水道システム

第2次大戦後、日本は復興を経て高度経済成長を成し遂げた。
その過程で、人々は都市へ集中した。
人口急増の都市は、水不足からたびたび断水に見舞われた。
(写真-2)は昭和39年の東京の渇水の写真である。
 

写真-2 昭和39年 東京大渇水

写真-2 昭和39年 東京大渇水
出典:東京都 水道局 ホームページ


 
地方自治体は水道施設整備に追われ、水資源を担当する旧・建設省(国土交通省)はダム建設に追われ続けた。
戦後の半世紀の水インフラ整備を一言で表現すれば「急激に膨張する社会への対応」であった。
 
この膨張期に整備された水システムは、持続可能という概念からはかけ離れていた。
あまりにも、エネルギーを消費するシステムであった。
 
水道システムでは、取水された水は浄水場へ送られる。
水は浄水場で浄化され都市へ送られる。
都市の隅々の家々に安定した水を配るには、浄水場は高台に位置していなければならない。
 
そのため川から取水した水を浄水場へ汲み上げなければならない。
そのポンプアップするエネルギーが、膨大なものとなっているのだ。
 
例えば、神奈川県内の水道システムで、取水した水を浄水場までポンプアップする箇所は、
飯泉、小雀、伊勢原、社家、相模原の5カ所がある。
 
その5カ所から浄水場まで汲み上げる水量は、
年間で約12億㎥となる。
これは甲子園球場を水で一杯にして、毎日、毎日、5.5個分の甲子園球場を汲み上げていることになる。
その汲み上げる電力量は年間で約20万Mwhとなり、水道企業者が支払う電力料金は、年間で約24億円にもなっている。
 
何故このような事態になったか?
 
 

上流取水への変更

前述したように、膨張していた社会の水道インフラの最優先事項は、断水させないことであった。
つまり、水量をいかに多く確保するかであった。
 
川から多くの水量を取水するには、いくつも支川が集まり、流量が多くなる河口付近が有利だ。
戦後に整備された水道システムは、水量確保を優先させ低地の河口近くで取水し、
高台の浄水場までポンプアップするというエネルギー消費型のシステムとなった。
 
このエネルギー消費型のシステムをいかに解消していくか。
 
それは、取水を上流に切り替えて、自然流下で浄水場まで送ることだ。
 
ところが、この取水を上流へ変更すると厄介な問題が発生する。
 
上流から取水すると、下流の河川流量が減少してしまう。
下流の水量が減れば、下流域の農業用水や内水面漁業に直接影響を与えてしまう。
これでは流域の関係者の同意は得られず、深刻な社会的葛藤を引き起こしてしまう。
 
そのため、上流から取水しても下流の水量を減少させない方策を立てなければならない。
 
まず、水道事業者は需要減少に伴う水利権の減量の見直しが必要となる。
 
当然、それだけでは不十分で、ハード面での支援が必要となる。
ハードといっても、新しいダムを次々建設することではない。
既設ダムの有効利用という手法だ。
 
 

既存ダムの再開発と運用変更

既存ダムの有効利用とは、既存ダムの嵩上げと運用変更である。
これにより既存ダムの効果を従来以上に大きく発揮させるのだ。
 
既存ダムの嵩上げは、貯水池の増強に大きな効果がある
 
谷地形に造られたダムにおいて、下部標高1m当たりの水を貯める効果は小さい。
しかし、ダム上部標高は水面積が大きく、高さ1m当たりの水を貯める効果は絶大である。
もし、10mのダム嵩上げをすれば、100mの新しいダムに相当する貯水池を生み出す効果を持つ。
(図-1)はダム嵩上げの効果を示したものである。
 

図-1 ダム貯水池の上部の価値

図-1 ダム貯水池の上部の価値
提供:JAPIC 水循環委員会


 
すでにダム嵩上げ事業は、国内でも開始されている。
ダム嵩上げで新しい貯水量が生まれれば、ダムからの放流で下流部の水量を豊かにすれば、下流関係者の合意は得られる。
 
(写真-3)は現在、ダムの嵩上げ工事が行われている北海道夕張シューパロダムである。
ダム高さ67.5mの既存ダムを110.6mに嵩上げすることによって、容量が87百万㎥から427百万㎥と約5倍に増加する。
 
写真-3 北海道夕張シューパロダムの再開発事業

写真-3 北海道夕張シューパロダムの再開発事業
ダム高さ:67.5m→110.6m
貯水容量:87百万㎥→427百万㎥(5倍)


 
既存ダムの運用を変更する方法も有効である。
多目的ダムには、洪水を貯留して都市を洪水から守る機能がある。
そのために、多目的ダムでは6月〜9月の洪水期間には、水を貯めないで空けた状態で洪水を待ち受けている。
 
この洪水期間内で、洪水調節用の空き容量に水を貯めれば、新しい貯水量が誕生する。
この貯水量を利用すれば、下流の水量増加が可能となる。
 
洪水の来襲が予測されれば、ダムから事前放流を行い、ダム水位を下げて洪水を待ち受ける。
普段は水を貯め、台風時には事前放流で空き容量を確保し、洪水調節する機能を確保する。
 
 
 

古い水システムに学ぶ

日本列島にはユーラシア大陸のような大河はなかった。
日本列島の古代国家は、小さな流域の中で誕生し、育っていった。
古代から中世そして近世の生活圏は、みな共通した地形を持っている。
それは、山から海に向かってなだらかに下っていく扇状地とそれに繋がる沖積平野の地形である。
 
日本列島の人々は、この地形を利用して、上流から水を取り入れ、地域内をゆっくり自然流下で水を流し、
豊かで持続可能な稲作社会を構築していった。
(写真-4)は富山県黒部川の下流部の美しい扇状地形である。
 

写真-4 黒部川の扇状地形

写真-4 黒部川の扇状地形
提供:国土交通省北陸整備局 黒部川河川事務所


 
明治近代に入り日本列島は蒸気機関車で結ばれた。
東京に向かった鉄道網は各地の流域を横串に貫き、流域社会の終焉をもたらした。
 
21世紀に入り、歴史上初めて日本の人口は減少に向かっている。
国家予算は社会保障の増大に喘いでいる。
製造業は安い労働力を求め海外に向かい、国内産業の空洞化は進行していく。
さらに、3・11以降、日本はエネルギー制約という重荷を背負うこととなった。
 
これら厳しい状況が待ち受ける未来において、近代の膨張社会で形成された水システムは持続可能でないことははっきりしている。
 
日本は未来に向かって、再度、流域社会の構築が必要となっていく。
それは、自然流下による持続可能な水システム社会の構築である。
 
 
 

竹村 公太郎(たけむら こうたろう)

1946年長野県生まれ。
公益財団法人リバーフロント研究所代表理事、
非営利特定法人・日本水フォーラム事務局長、首都大学東京客員教授、東北大学客員教授 博士(工学)。
出身:神奈川県出身。1945年生まれ。
東北大学工学部土木工学科1968年卒、1970年修士修了後、建設省に入省。
宮ヶ瀬ダム工事事務所長、中部地方建設局河川部長、近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。
02年に退官後、04年より現職。
著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年)、「土地の文明」(PHP研究所2005年)、「幸運な文明」(PHP研究所2007年)、
「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著)など。
 
 
 
【出典】


月刊積算資料2013年11月号
月刊積算資料2013年11月号
 
 

 

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