建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 文明とインフラ・ストラクチャー 第62回 連載10周年特別編

 

2010年10月号より,隔月で『文明とインフラ・ストラクチャー』の連載がスタートして,今年で10周年を迎えました。今回は特別編として,著者へのインタビューで,「連載テーマに対する思い」「文明の構造モデル図のルーツ」「今後のインフラ」などについて語っていただきました。

 

連載テーマに対する思い

─2010年10月号より,さまざまなテーマでご執筆いただきまして本当にありがとうございます。まずはどういった思いでご執筆いただいているのでしょう。
 
「積算資料」の読者のほか,若い土木技術者たちを意識しながらテーマも選んで書いています。若い人たちに参考になればという思いが一番強いです。こういうことは知っておいたほうがよいと。「土木とは何だろう」「インフラ・ストラクチャーとは何だろう」という話を分かりやすく聞く機会はなかなかないので,それを学んでもらえたらという思いがあります。
 


 
 
 
竹村 公太郎(たけむら こうたろう)
特定非営利活動法人日本水フォーラム(認定NPO法人)代表理事・事務局長,首都大学東京客員教授,東北大学客員教授 博士(工学)。神奈川県出身。1945年生まれ。東北大学工学部土木工学科1968年卒,1970年修士修了後,建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長,中部地方建設局河川部長,近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。02年に退官後,04年より現職。土砂災害・水害対策の推進への多大な貢献から2017年土木学会功績賞に選定された。著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年),「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年),「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著),「日本史の謎は『地形』で解ける」(PHP研究所2013年),「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社2016年)など。

 

文明の構造モデル図のルーツ

─連載第1回で,文明の構造モデル図(図−1)がありましたが,あの図に至った経緯は。
 
私は,国土交通省を退官したあと,成城大学の講師をしていました。文科系の学校で女性が多く,高校を出たばかりの1〜2年生を相手に文明論をやってほしいという依頼でした。
 
私は文明そのものの専門家ではなくて,土木技術の出身ですから「インフラ」の専門家です。そこで文明を説明するのではなく,「文明を支えるインフラ」を説明しようと考えました。図−1は私のオリジナルです。
 

【図−1 文明の構造モデル図】




簡単に説明すると,基礎は地球です。2つの支承はその土地の地形と気象です。その上に下部構造と上部構造があり,下部構造はインフラで,上部構造は下部構造の上に乗っている。
 
上部構造は何かというと,動物がしない,人間だけがする行動です。動物は産業を興さないしスポーツもしません。自分の子供の教育をするかもしれませんが,みんなを集めて学校の黒板に書いたりはしないでしょう。
 
だから,「上部構造は人間しかしない行動」と私は割り切ったのです。下部構造は動物も人間も共通していると。
 
動物にとって「安全」は必要で「食料」や「資源」も大事です。あと「交流」です。「交流」がなぜここで出てくるかというと,ある生物が生き延びるためには遺伝子を交換しなければダメなのです。いろいろな種類がいるから,バクテリアやウイルスが入ってきてもどうにか生き残るものと,死んでしまうものがいる。それが,遺伝子が同じだと滅びるのです。動物はどんどん遺伝子を交換してきたから違ったかたちに,環境に応じたかたちで生命が長年続いてきたのです。
 
一方,人間には社会があって,ほかの社会と交流しなければ滅びてしまいます。孤立した文明,孤立した国は滅びる。交流しなければダメになるので,私は「交流」という言葉を選んだのです。
 
この「安全」「食料」「資源」「交流」の四つの概念をつくったのは,私が最初ではないでしょうか。
 
専門家のいけないところは,ストラクチャー=構造物を言ってしまうこと。道路はどうだとか,ダムはどうだとか,堤防はどうだとか。本来ならば構造物ではなく,ファンクション,機能を言わなければいけないのです。交流というのは,社会がいろいろな社会と交流するためのトランスポーテーションが大事であると。資源もエネルギーも食料もそうです。みんなファンクションを言っているのです。社会が孤立したらその文明は滅びる,その社会が衰退していくということを,この図の下部構造で私は言っているのです。
 
大学生になりたての文科系の学生たちに対して,下部構造と上部構造があって,この二つ合わさったのが文明だと説明します。地形と気象は文明ではないと。しかし,私はこの地形と気象を説明し,それらを踏まえた下部構造も説明していきますと。これは,私の文明論というものを説明するためのものなのです。
 
下部構造の四つの要素をビーム形式にしたら,一番上のビーム,例えば「安全」を壊してみても,全体は崩壊しない(図−1のA)。「あっ,これではいけない」と思って,一生懸命考えました。それで,どれか1個でも壊れたら全体が崩壊するようなモデルを作りたくて,このジグソーパズルのピース形式にたどり着いたのです(図−1のB,C)。
 
このモデルは自分でも傑作だと思っています。下部構造があって上部構造があって,上部構造は人間だけがするものを全て風船に見立てて並べただけです。環境活動やボランティア活動なども人間独自の行為なので上部構造に当たります。下部構造があるから,みんな安心してボランティア活動をするのです。東日本大震災の時も,みんなが被災地へ行くのは,自分の家があるから行けるのであって,自分の家が崩壊したら行けない。この下部構造がしっかりしているから上部構造が発展するのです。
 
この地形と気象ですが,非常に安定した地形と温暖な気象であれば,下部構造はとても小さくてよいのです。だから,下部構造の姿だけを見て,その地域の文明の優劣を言うのではなく,地形と気象に見合った文明を創っているということです。
 
 
 

文明の構造モデル図の強化


─ここ近年は異常気象など変化が著しいですね。
そうすると,下部構造の強化をどう表現しようかとさらに考えるようになりました。要はこのジグソーパズルを固めればよいのだと,こんなモデルをつくりました(図−2)。これが正解かどうかは分からないけれども,これを強化しようと。もっと環境を大事にして,環境で守ったり,多様性や分散型の社会をつくることで文明を守っていこうと。インフラを単純に強くする方向に行ってはダメだと。もっと違ったかたちでやらないと,もう間に合わなくなってしまうというのが私の考え方です。


【図−2 文明の構造モデル図(下部構造強化型)】




出所: リバーフロント研究所
【写真−1 新潟県五十嵐浜付近】


ではどうしたらよいのか。これは新潟の海岸(写真−1)ですが,写真中央に突堤がある。この突堤の上側の砂浜がないところは波が強い。ところが,突堤の下側は,砂浜が50mぐらいあるだけで波が弱くなっている。
 
いわゆる外力が違うという言い方ですが,この砂浜があることによって外力が違う。だから,この砂浜をゾーンとして国土を守らなければいけない。砂浜があるということは,環境が良いから大切にしようということはあるが,それによって国土を守れるのです。環境が良いということは,国土を守っている,インフラを守っていると。ただきれいだという話ではないのです。自然保護団体が環境を守れということだけではなくて,私たち土木技術者も環境を守ることが国土を守ることに通じるのだという概念を持ってください,ということです。


 
 
─連載第59回では,堤防への圧力を小さくするためには,水位を下げるという話でした。

【図−3 江戸〜現代の堤防と課税の変遷】


そうです。明治政府の失敗です。近代化の失敗です。
 
どんどん堤防を高くした。私たちはこれを若い頃勉強してきたため,水位を高くすることを改修だと思い込んできた。しかしこれは大失敗であった。今,私が「1cmでも10cmでも水位を低くしろ」というのは,私たちは失敗したのだということを言っているのです。
 
勝海舟は,「何で明治政府はばかなことをしているのだ」と言っています。利根川の例(図−3)ですが,江戸時代は一番堤,二番堤を造って,洪水のときは二番堤まで洪水をあふれさせて,ゾーンで守ろうとしました。ゾーンで守るという概念です。そのため,ここには年貢を課さなかったのです。しかし,明治政府は,これに課税を始めてしまったのです。課税を始めたら,ここに税金を払う人は,「何で私たちだけ水につかって税金まで払うのか,私たちも同じように守れ」となった。そのため,二番堤を撤去して,一番堤だけをどんどん高くしていったのです。
 

江戸時代の堤防は低いものでしたが,明治以降の改修で,どんどん高くしていった。私たちは,改修の失敗をしたわけです。ゾーンを潰してしまった。
 
今後はもっと気象は厳しくなりますから,いかに水位を下げるかを考えなければなりません。具体的には,放水路を造ったり,ダムを造ったり,遊水池を造ったり。今一番立派なのは荒川です。荒川は広い河川敷があって,それを潰さなかった。利根川と違って潰さずに今でもある。

 
─埼玉県の彩湖(さいこ)も一例ですね。
そうです。彩湖があったから今救われている。何でこんな場所があったのかというと,潰さないでたまたま残していたからです。地主さんがなぜか売らなかった。これはよいというので,慌てて旧建設省が買いました。
 
インフラを力学的に強化する方法もありますが,環境や分散や多様性という概念を取り入れたインフラをやらなければいけない。一番のベースは,洪水に関しては,ゾーンをつくれということです。
 
 
 

教養とインフラ・ストラクチャー

─土木技術者の方を支えるために,技術より教養を大切にしなさいという話がありました。
なぜ「教養」と言ったかというと,知識はインターネットでいくらでも入手できます。「インフラ・ストラクチャー」というのは,「Infra」と書きます。インフラとは,社会基盤といいますが,下部構造です。こういう言葉がある。「Infrared」。これは,赤外線。赤く見えるのは,ただ色を塗っているだけで,赤外線は見えない。「Infrasonic」は不可聴音。聞こえない音。波長としては存在しているけれども,聞こえない。
 
つまり,インフラ・ストラクチャーというのは,人々には見えない構造物なのです。道路を造っても,テープカットをした瞬間に道路が見えなくなる。みんなの意識からなくなっていくのです。それまでは造ろう,造ろうと一生懸命で道路が見えるけれども,完成した時点でもう空気のように,あるけれど見えなくなってしまうのです。つまり,洪水が堤防の中で収まったら,洪水はないのです。堤防の外に流出したら「洪水だ」と言うのです。インフラは何も起こらなければ,ないのです。君たちが人生を投入するのは,人々から見えない構造物を造ることなのです。みんなの意識から離れてしまい,忘れ去られるのです。インフラを説明するということは,見えない構造物を説明することなのです。
 
ですから,知識があっても,「こんな大きなものがあります。こんなスーパー堤防があります。こんな高速道路があります」と,その構造物,ストラクチャーを言ってはいけないのです。ファンクション,機能を言わないと。これがあることによって,どのように役に立つのか,トンネルがあることによって,隣の町とこんなに近くなったなど,私たちは,その機能を言わなくてはいけないのです。
 
 

─連載第39回では,「第一級の国際人」という,上手に機能を説明している事例を出されました。
そうです。構造物を説明していない,一生懸命機能を説明していた。この人は教養があるなと思った。
 
私が大好きな福田恆存(つねあり)(注1)さんが言った言葉ですが,生涯忘れられません。「教養というのは物を知っていることではない,馬を合わせられるかどうか」と。教養があるというのは,相手を見ながらしゃべる,相手を見ながらプレーする。自分勝手にやっているのではないということです。
 
ダムや道路を造るに当たって,なぜあなた方が犠牲になってダムを造らなければいけないのか,なぜあなた方が犠牲になって,道路を造らなければいけないのか,土木技術者は住民の方々に説明するときに,何を心配しているかを見極めて説明しなければいけません。
 
つまり,教養というのは何かというと,どんな人が相手であっても,相手の話を聴いて,何を考えているのか,不安を感じ取って,それに対して丁寧に話をしていくということなのです。それが,「相手と馬を合わせられる」ということです。
 
大学時代に哲学者である九鬼周造(注2)さんの『「いき」の構造』という,「粋」という言葉を立方体の構造で示した本を読みました。「あいつは粋だね」の「いき」。私が感動したのは,哲学者が「いき」の構造を図で示したということです。私はこれで全てのものを図の構造で説明できると思ったのです。
 
だから,「文明の構造」を作ったとき,私は嬉しかった。年代は全然違うけれども,私は九鬼さんにライバル心を持って,この人と競争して作ったつもりになりました。だから,私の文章はとても図が多いのです。
 
私は,図を説明しているのです,地形を説明しているのです。浮世絵でこれはこうですと,その絵を説明しているのです。
 
 
 

広重の浮世絵を使用する理由

【図−4 広重 真乳山山谷堀夜景】


─先生は広重の浮世絵をよく使われています。文明とインフラを説明する際,どうして浮世絵につながっていったのでしょうか。
400年前に徳川家康がつくった江戸時代ですが,そこからいろいろな情報がとれるのです。戦国時代はあまり情報がない。絵が一番分かる。しかも江戸時代からの浮世絵が一番分かるのです。
 
この浮世絵ですが(図−4), この絵を見てショックを受けました。なぜ私は浮世絵を出すかというと,原点はこれなのです。これを見ていて,あれ,おかしいなと思って。タイトルは「名所江戸百景」の真乳山。隅田川越しに真乳山が描かれています。その前を芸子さんがふっと通り過ぎているのです。あと2〜3秒したらいなくなってしまうでしょう。星が隅田川に光って,きれいに光っている絵なのだけれども,これは向島です。浅草寺のところに真乳山ってあるのです。「まっちゃやま」と読みます。このタイトルで,この芸子さんを描いているのではない。芸子さんを描くのなら芸子って書く。でも,通り過ぎてしまった。「あっ,浮世絵は当時の写真だったんだ」広重は写真を撮っていたのだと私は勝手に判断したわけです。
 
絵を描いていたのだけど,彼はその瞬間,瞬間のある場面を描いていたのだと私は理解しました。
 
そうしてもう一回見直してみると,とても面白い。一個一個に意味がある。広重の浮世絵ほど瞬間,瞬間をきれいに。例えばこの東海道五十三次の品川宿(図−5),みんな人間を見てしまうけれど,私は,向こうの背景を見る。次の神奈川宿(図−6),飯盛女が「寄ってらっしゃいよ」と言っている。こっちが面白いからついこっちに目が行ってしまうけれど,この船がいっぱい来て,もう夕方だから,小船がこっちへ来て宿屋へ泊まろうかと。
 
ということで,私には,歌麿のエロチックな浮世絵ではなくて,広重の浮世絵の背景を見ることで,非常に役に立ったのです。
 

 
【図−5,6 広重 東海道五十三次(品川宿),(神奈川宿)】

─連載第8回では,今の品川と神奈川の絵を使って,東京のネットワークは,当時,船が中心だという話でした。
これは,東海道五十三次の由比の峠(図−7)ですが,ここに人間がいるのです。由比の峠は,現在,高速道路が海岸に沿って回っている。つまり,東海道は「けもの道」だったのです。街道ではない。ということで,逆に船がいかに物流の中心だったことが分かる。この絵を見ているだけで文章が1,000字ぐらい書けます。これを題材にして,「なぜ江戸時代は船が重要だったか」とか,「東海道というのはこんなものだから,みんな苦しんで歩いていたのだ」とか。
 
浮世絵は,江戸時代から近代にかけていかに変遷したかが分かる。だから,由比の峠やこの高速道路を知っている人は,昔の大変さが分かって,今のインフラにつながるのです。
 

【図−7 広重 東海道五十三次(由比宿)】




 

治水事業について

─治水事業についてお話しください。
利根川や淀川などの大河川はチームで守るということです。一つの構造物では守れない。ゾーンでも守れない。この場合,チームで守るしかない。
 
どういうことかというと,以前,淀川水系の大戸川ダム建設の可否の議論がありました。建設反対派が淀川の堤防のところで,17cmの棒を立てているのです。これしかダムの効果がない。だからダムは意味がない,堤防を強化しなさいと。
 
でも,淀川の水害を守るには,いろいろなダムがチームになって洪水の水位をカットしているのです。上流でダムが一生懸命ため込んで,堤防にはこれだけ負荷をかけている。つまり,このダムをやめるということは,堤防に負荷がかかるのです。私の言う,「1cmでも10cmでも水位を低くしろ」という原則論と外れてしまうのです。堤防を高くすればよいではないかというのは,また明治の失敗と同じになってしまうのです。一番安全なのは,堤防がないことなのです。
 
伊達政宗が400年前に仙台をつくりました。仙台市の旧市街は,広瀬川をずっと下まで見られるのです。つまり,仙台には堤防がない。水害に対しては無限に安全なのです。何しろ,壊れるところがないのですから。
 
堤防があるということが危険なのです。だから水位を1cmでも10cmでも下げるのが治水の原則だと言っているのです。堤防がないほうが安全だと,今さら言っても仕方がない。江戸時代にもう堤防を造ってしまったので。なぜ造ったのかというと,それはやはり豊かになりたかったからです。
 
これは国土交通省の図面(図−8)ですが,この八岐大蛇(やまたのおろち)を1本の川の中に押し込んでしまった。本来はこういう八岐大蛇が自然な形なのですが,日本人は1本の川に押し込んでしまった。だから,とても無理なことからスタートしてしまった。
 

出典:四国地方整備局
【図−8 那賀川流域水害地形分類図】



─日本の地形の狭さゆえというのもありますよね。
もちろんそうです。だから仕方がない,みんなで力を合わせて堤防を造った。なぜかというと,400年前に徳川家康が平和な世の中にしたから,安心してみんな堤防を造ったのです。
 
戦国時代であったら,おお,よいところがあるなと,すぐ奪われてしまう。だから,国土というのは平和でないとつくれない。
 
徳川家康が江戸幕府をつくって,みんなを流域の中に閉じ込めて,流域の中だったら何をやってもよいと。隣の尾根を越えてはいけないと。何をやってもよいと言ったら,彼らはこの八岐大蛇を1本の川に押し込めて,豊かな土地をつくった。そして,日本はものすごく豊かになったわけです。もし戦国時代が続いていて,黒船を迎えたら,日本はあっという間にやられてしまい,植民地になってしまったでしょう。260年間も江戸時代が平和であったから,黒船が来たとき,各藩はすでに鉄砲や大砲を大量に用意していたのです。ものすごいお金があった。蓄積があった。戦う態勢をすぐとれた。長州や薩摩はイギリスと戦争を始めたけれども,どの藩でも,やるならやるぞという準備はしたのです。
 
だから,江戸時代にこういう無理をしてやったのは,誰のせいでもない。祖先のせいにしては絶対にいけない。祖先のおかげで今私たちはあるのだから。でも,この堤防というのは極めて危険なのです,信用できないのです,下に八岐大蛇が住んでいるから,なるべく水位を下げようという結論に辿り着くのです。
 
 
 

インフラに対する認識の変化

─連載が始まってすぐに東日本大震災がありました。世間のインフラに対する考え方や認識は,震災の前後で変わりましたか。
がらりと変わりました。なぜかというと,震災前まで1/100の洪水という概念が分からなかったのです。なぜ100年に1回の洪水のためにスーパー堤防を造るのか,こんなに投資をするのかと,大きく新聞に出たことがありました。100年に1回という確率論が,1/100というのは1/2×1/50でしょう。ここに全財産を投入して家を建て,50年間住んでいたら,この人が被災する確率は1/2なのです。100年に1回というのは,100年に1回来るということではないのです。
 
ところが,仙台の大震災は,3,000年に1回と言われているのです。
 
3,000年に1回という概念が分かってきたと。だんだん,100年に1回なんて,あっ,小さいなと。3,000年に1回は来るということをマスコミは分かったのです。日本人には確率論がすっと入った。自分の人生で,たった70年か80年の人生の中で,3,000年に1回という事象があるということを分かったのです。
 
あんな津波は見たことない。私たちは今生きていて,3,000年に1回という概念を知ることができました。
 
 
 

今後のインフラについて


─今回の新型コロナウイルス感染拡大の影響で,やはりインフラに対する考え方や認識が変わるようなことはあるでしょうか。
私が日本で初めて,民間と一緒にした事業について「未来社会は行政予算の制約が待ち構えています。その未来,国土のインフラ整備を官・民の発想力と技術力と資金で解決していく先端事例となることを切に祈っています」とコメントしました。
 
これは何をしたかというと,2016年の台風10号により,岩手県の小本川で大量発生した土砂をためるのではなく,民間が売っていきましょうという概念で始めた事業です。プラントを造って,ふるい分けて。民間がかなり設備投資しているのです。この川から発生した土砂をどんどん売っていこうと。これで約90億円の税金を助けた。
 
今までの災害復旧は,全て官が実施していましたが,川から土砂を取ってどこかへ置く。そのために土地を取得して土砂を置いておくとすると,膨大なお金がかかったのです。しかし,そうではないのです。災害復旧は,ゼネコンが受注したら,こちらへ持ってきてください。あとで処分してやりましょうという,官民が一緒になった,民間資本が一緒になった。民間は結構リスクを取っているのです。それで,土砂を船であちこちへ持っていこうと。それまでは,そういう概念がなかったのです。


 

─NPOとかボランティアとか,最近は官と民で一緒にいろいろな物事を解決していこうという話が出てきています。
そうです。それを一生懸命やっていたのは,当時,利根川上流河川事務所の三橋所長でした。「民間の力を借りなければダメです」という言葉に触発されて私も目が覚めたのです。
 
民間資金はあるのです。民間の力を入れたら強いのです。ただ内部留保を銀行に置いておくのではなくて,銀行がそれをうまく利用して一緒になってやっていくような工夫をしなければ,公共事業は先へ進まない,維持管理はできないのです。
 
全国の市町村の2,000〜3,000橋が老朽化により,通行規制となっています。あれを例えば「民間資本でこの橋を5,000万円かけて修繕しましょう。返済は20年でよいです」と言ったら,みんな喜びます。5,000万円÷20年,1年間250万円。250万円ならば,交付金が来るから安心です。
 
 

─今後,追求していきたいテーマとなると,官と民との連携を普及していくようなことになりますか。
そのとおりです。もう公共事業の予算は増えません。どんどん減る一方です。この新型コロナウイルス以降。悲惨なことになると思います。税収がないのですから。
 
公共事業は税収でやるのが基本です。赤字国債では限度があります。
 
 
 

時代の流れと次世代へのメッセージ

これは,私が作成したGDP の図です(図−9)。1970〜1990年代で一気に上がっています。私が生まれたのは昭和20年です。その前に生まれた人は一次世代(1G)と言っているのですが,1930年代に生まれた人は,戦争を体験して価値観が否が応でも変わってしまいました。教科書を黒く塗り潰されて,信用できるものは何もなくなって,40〜60代の働き盛りの20年間が1970〜1990年代なのです。彼らが日本をつくったと私は思っています。彼らはすごいのです。いろいろな発想力があったのです。
 
ところが,二次世代(2G),私の世代は,戦後生まれです。そうすると,20〜40代は先輩たち一次世代の姿を見ているのです。40〜60代のときは,もう成長が止まった時代を経験している。
 
今度は三次世代(3G)。1960年で生まれた人は,20代からずっと先輩たちを見て,40歳からずっと60歳の定年まで成長はないのです。リーマン・ショックがありました。新型コロナウイルスの影響も今後でてくるでしょう。
 
四次世代(4G)というのは1980年生まれ。この世代が40〜60代で社会のリーダーになるときは,成長を経験していない世代なのです。成長を全く経験していない人が社会のリーダーになるので,成長の仕方が分からない。成長の仕掛けを考えられないのです。
 
私は,20〜40代のときは一次世代の下にいました。だから,一次世代の背中を見ているのです。40〜60代のリーダーになったとき,そのにおいが残っているのです。新しいことをしなさいと。
 
新しいことをやらなければダメですということを言うのだけど,それは私たちの単なる苛立ちだけであって,本当の言葉になっていないなと思っています。
 
私たちは,どうやって先輩と違うダムを造ろうかと,いつも考えていました。そして宮ヶ瀬ダムを造ったのです。堤体の中に人が入れるように,宮ヶ瀬ダムの施工計画で,ギャラリーを造り,エレベーターを2本も造ってしまいました。
 
 
─それを設計段階で考えるという発想がないですよね。
みんな,「何でエレベーターを2本造ったのか」と。当時は,観光用とは言えないから,本当は,ダムは安全なのですが,「このダムは危ないから,いつでもボーリングマシンを持って飛び込めるようにしたのです」と。そうしたら,「しようがないですね」と。
 
ダムが完成した頃には,世の中が変わっているのではないかなと私は思っていました。そうしたら,あそこのドアを開けようと。それまでは閉めておこうと。
 
国民の税金でつくったものは国民に還元しようと。ダムも当然,役目,機能を果たしているけれども,構造物そのものを国民に還元しようと。
 
いつか,そういう時代が来るのではないかなと,20年後はそういう時代ではないかなという考えは当たりました。大当たりです。自分で威張るわけではないけれども,先輩と同じことをやったらダメだと言われていたから,どうやって先輩を乗り越えようか,先輩のやったことを変えようかということが私のテーマだったのです。そんなこと,今,誰も言ってくれないでしょう。
 
 
─そうすると,これからもまた新しいものを求めていくということですね。期待しています。長い時間本当にありがとうございました。
 
 


(注1) 福 田恆存(1912〜1994年)評論家,翻訳家,劇作家,演出家
(注2)九鬼周造(1888 〜1941 年)哲学者

 
 
 

特定非営利活動法人 日本水フォーラム (認定NPO法人)         
代表理事・事務局長 
竹村 公太郎

 
 
【出典】


積算資料2020年10月号



 
 

 

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