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土木構造物はその時々で、違った表情を見せてくれる。
そして、その印象的な姿を捉えることは、土木構造物を評価する一つの軸になると、私は考えている。
 
多くの土木構造物はその規模ゆえに、人の手で撮影のための演出をしようとするのはまず難しい。
いい表情を捉えるためには、天候や時間帯、季節といった自然の条件を見極める必要がある。
こうしたことは、土木構造物に限ったことではなく、街や野山を撮影する風景写真と同じだ。
 
このコーナーでは、様々なシチュエーションで私が撮影した土木構造物の中から、
風景の一部として溶け込んだ土木構造物の姿を紹介したい。
 
 

東京ゲートブリッジ 所在地:東京都江東区 2010

 
東京ゲートブリッジ
 
土木構造物がより多くの表情を見せるのは、なんと言っても施工中だ。
いいタイミングを探し当てるには、施工と撮影のその両方の知識や経験が必要になる。
すべて場数が物を言う。
 
東京ゲートブリッジは、私が長期間にわたって施工の様子を追い続けた最初の建設プロジェクトであり、そこで得たものも多い。
撮影期間は、橋が2012年に開通するまでの6年間に及ぶ。
 
写真は、航路上にトラス桁を架設したときの様子だ。
1万本以上のボルトを固定する必要があり、海上一括架設としては珍しく夜通しで施工された。
トラス桁を吊るフローティングクレーンは一昼夜動かないので、現場の変化も少ない。
どのタイミングで撮影するか考えあぐねた末、私も一昼夜現場に張り付くことにした。
 
数撮った中で、最も印象的だったのが、日の出前のカットだ。
薄暗い中、コントラストがないわずかな光を使うことで、
静まり返った海の中に幻のように姿を現した未完の橋を風景として表現することができた。
 
撮影のタイミングは、予想もしない瞬間に隠れているものだ。
この時以来、すべての時間帯を想定して、撮影するように心がけている。
 
 

琵琶湖疏水第一トンネル 所在地:滋賀県大津市 2013

 
琵琶湖疏水第一トンネル
 
施工の写真が子供の成長の記録とするならば、竣工は成人式だ。
土木遺産と呼ばれるようになるのは、人間で言えば、威厳や貫禄を備えるようになるほど齢を重ねたころを指すのかもしれない。
 
数ある土木遺産の中でも、明治期から大正期にかけて建設された物には、凝った装飾が施されたものが多い。
滋賀県の琵琶湖から京都市内までを水路で結ぶ琵琶湖疏水もそうした土木遺産の一つ。
1890(明治23)年の完成で、着工から数えると、130歳に近い。
舟運こそ廃れてしまったが、水力発電と上水道のための機能は今もなお現役だ。
 
初期に建設された第一疎水は全長約11kmあり、約3分の1をトンネルが占める。
3本のトンネルの坑口のデザインは、それぞれ全く異なる。
こうした気遣いは、明治維新後、
人口の流出と産業の衰退が著しかった京都を再建するために考え出されたプロジェクトに対する人々の期待の表れだろう。
 
最も上流側に位置する第一トンネルの東側坑口は、写真のようにギリシア神殿を彷彿とさせるデザインだ。
歳月を経て、独特の風合いを増したその佇まいからは威厳のようなものも感じられる。
 
普段は街の片隅でひっそりとしているのだが、1年に一度だけ脚光を浴びるときがある。
それは春だ。
道行く人が次々と、桜が咲き誇る疎水の風景を写真に収めていく。
まるで桜が遺産の在り処を教えているようだ。
もしかしたら、明治生まれの老紳士は、少し頬を赤らめているかも知れない。
 

トンネルは寺や神社が立ち並ぶ山を突き抜けている

トンネルは寺や神社が立ち並ぶ山を突き抜けている


 
 

野蒜築港 所在地:宮城県東松島市 2011

 
野蒜築港
 
土木事業とはいえ、プロジェクトとして失敗したり、計画が途中で頓挫したりする例は少なからずある。
土木技術が十分に発達していなかった時代なら、なおさらだ。
 
野蒜港は、熊本県の三角港と福井県の三国港に並ぶ明治三大築港の一つとされ、東北地方の物流の拠点になる計画だった。
事業は1878(明治11)年に着工。
仙台湾にそそぐ鳴瀬川河口に突堤を築き、その内側を港とし、周辺を港湾都市として造成した。
 
しかし、港は完成からわずか2年後の1884(明治17)年に台風の被害に見舞われる。
突堤は崩壊し、港口は流出した覆石などで埋まり、船舶の航行ができなくなってしまった。
明治政府は資金不足から、復旧と事業の継続を断念。
計画では、さらに外港を形成する予定だったが、すべて立ち消えになった。
 
一方、三角港と三国港は、一定の成果を収めたものの、その後にできた別の港に役割を取って代わられた。
明治期以降の経済や技術の発展のスピードはそれだけ早かったと言える。
 
私が初めて野蒜築港跡を訪れたのは、東日本大震災が発生した翌月の2011年4月。
一帯はかなり前から荒地になっていたようだが、幻の港湾都市は津波で写真のような有様だった。
そうした中、数少ない築港の遺構であるレンガ造りの橋台だけが、瓦礫のようになりながらも、この地の歴史を辛うじて物語っていた。
 

海岸線に沿って設けられた北上運河のそばに残る橋台

海岸線に沿って設けられた北上運河のそばに残る橋台


 
 

牛伏川フランス式階段工 所在地:長野県松本市 2012

 
牛伏川フランス式階段工
 
ピーカンと呼ばれるような快晴の天気は、橋やダムなどの巨大な土木構造物を撮影するのに向いている。
コントラストの強い光が土木構造物の力強さを強調してくれるからだ。
背景になる空も真っ青なほどメリハリがあってよい。
 
一方、日が当たらないような場所にある土木構造物は、写真を撮るうえで曇り空の方が好ましいことが多い。
写真が表現できる明暗の範囲は、人の目のそれよりも格段に狭い。
よって、日陰に中途半端な日が差し込むと、一部分だけが明るすぎて、白く飛んでしまう。
 
私は、西向き斜面にあって、木々に覆われているだろう牛伏川フランス式階段工は後者のパターンだと想定した。
とは言え、このためだけに曇りの日を選んで遠出をするのも、かなり効率が悪い。
そこで、日が昇る前に撮影し、日中は別の場所へ行くことを考えた。
撮影は目論見通りにいった。
積み上げられた一つ一つの石のディテールや、石に貼り付いたコケの質感は、強い日差しの下では決して表現できない。
 
付近を一通り撮影し、川に日が差し込んできたのを見計らって、撤収を考えていたそのとき、目の前に驚きの光景が広がった。
川に沿って、一直線に差し込んできた光が、階段状に並んだ堰堤を浮かび上がらせたのだ。
あれは、間違いなく神が地上に舞い降りた瞬間だった。
想定外とは、まさにこのことだろう。
 

苔生した石積みの堰堤

苔生した石積みの堰堤


 
 

白水堰堤 所在地:大分県竹田市 2011

 
白水堰堤
 
満月の夜、人里離れた山奥にある白水堰堤を訪れた。
右岸に小さな電灯が1本あるものの、月明かりの方が明るいと感じるほど、闇に閉ざされていた。
周囲には、絶え間なく水が流れ落ちる音が響き渡る。
それが少し不気味だ。
 
白水堰堤は、右岸側に武者返しの曲面流路を、左岸側に階段状の流路を持つ。
このような三次元的な形状を生み出したのは、地盤への落水の衝撃をやわらげるための工夫だとされている。
 
敢えて、真夜中に「日本一美しいダム」を訪れたのは、太陽光の代わりに月明かりを撮影に活かすためだ。
滑らかな堤体のディテールを写真で表現するには、太陽光はコントラストが強すぎると考えた。
 
月明かりは太陽光の明るさの30万分の1程度しかないが、
長時間にわたりシャッターを開いておくことで、目の前の風景を写真に収めることができる。
流れる水は無数の軌跡を描き、光と影は月の移動によって、その境界線がなくなる。
空が晴れているのにも関わらず、陰影が薄く、コントラストがない、昼間とは一味違った写真に仕上がるのだ。
 
写し出された堤体には、水が流れているにも関わらず、水の下から堤体の表面に積み上げられた石の形を浮かび上がった。
写真でしか捉えることができない土木構造物の表情は、想像をはるかに超えていた。
 

取水した水は水路を介して、遠方の田畑を潤す

取水した水は水路を介して、遠方の田畑を潤す


 
 

武甲山 所在地:埼玉県秩父市 2013

 
武甲山
 
石灰石は、国内だけで供給出来る数少ない鉱物資源だ。
そのため、石灰石を原材料とするセメントを使用するコンクリート構造物は、きわめて自給率が高い工業製品とも言える。
日本で石灰石が多く産出されるのは、石灰質の骨格を持つサンゴの死骸が海底に沈殿し、
その塊がプレートの移動によって、日本列島に隆起したからだそうだ。
 
関東地方の西側に位置する奥多摩から秩父にかけての一帯も、石灰石の一大名産地だ。
中でも、埼玉県の武甲山(1304m)は、秩父の町のいたるところから、石灰石を露天掘りしている様子を見ることができる。
本格的な採掘が始まった1940(昭和15)年以前の写真と見比べると、
山の北側斜面だけが頂上付近から大きくカットされていることが分かる。
元の山は、どことなくふっくらとしていた。
たぶん風化によって露頭した石灰岩が丸みを帯びていたのだろう。
 
山が大きな変貌を遂げたことについて、自然破壊とする見方もある。
一方、自然の恵みを人間が享受していることも事実だ。
私たちはどうしても土木構造物を造ることに目が行きがちだが、
こうした「土木の素」の姿にも注目することで、自然と土木が切っても切れない関係であることを再認識できるはずだ。
 

秩父地方で産出された石灰石を積んだ貨物列車が荒川を渡っていく

秩父地方で産出された石灰石を積んだ貨物列車が荒川を渡っていく


 
 

大崩海岸 東海道本線跡 所在地:静岡市駿河区 2010

 
大崩海岸 東海道本線跡
 
役割を全うして、人の手が離れると、土木構造物は自然に帰ろうとするのだろうか。
そのことを示すかのような事例が静岡県の大崩海岸にある。
 
ここは日本海側にある北陸道の親不知と並び称される断崖が続く海岸だ。
付近の地盤はもともと波に侵食されやすく、地名の通り、崩落が頻発する場所だった。
そのため、海岸線に沿って、1889(明治22)年に開通した東海道本線は、戦時中に別のルートに移設さ
れた。
 
線路跡が崩壊し始めたのは、線路を移設してから、わずか4年後の1948(昭和23)年に襲ったアイオン台風のときだと言われている。
今では、かつて線路の擁壁だったコンクリートやトンネルの坑門だったレンガも崩れて、海岸に散乱した状態だ。
これらは波に揉まれているうちに削られ、いつかは周りの石ころと同じようになってしまうのだろう。(了)
 

大崩海岸を抜けると、景色は一変し平地が広がる

大崩海岸を抜けると、景色は一変し平地が広がる


 

大村 拓也(おおむら たくや)

1982年生まれ。
写真家。大学で土木を専攻。
卒業後、写真撮影に針路をとる。
大学4年間で苦労して修めた構造力学の知識を生かして、雑誌取材を中心に土木の施工を撮影している。
2010年より「土木施工単価」・「積算資料」の表紙写真を連載
 
 
 
【出典】


季刊土木施工単価2014年冬号
季刊土木施工単価2014年冬号
 
 

 

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