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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > 教訓そして再生へ(1) 東日本大震災から学び伝えたいこと

 

伝えられていた津波

平成23年3月11日(金)14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、
波高10m以上、最大遡上高40.5mにも上る大津波を発生させ、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。
日本の地震観測史上最大の、マグニチュード9.0を記録し、
震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及んだ。
この地震により、大津波以外に液状化現象、地盤沈下、河川堤防の損傷、ダムの決壊などによって、
東北と関東の広大な範囲で被害が発生、各種ライフラインも寸断された。
震災による死者・行方不明者は約2万人、建築物の全壊・半壊は合わせて35万戸以上、ピーク時の避難者は40万人以上、
停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上に上った。
震災による被害額は16兆円から25兆円と試算されている。
まさに未曾有の大災害であった。
 
しかし、今回の大震災は全てが想定外だったのだろうか?
もちろん寺田寅彦の「天災は忘れられたる頃来る」との言葉もあるが、
見方を変えればあらかじめ予測されていた災害だったとも言えるのではないだろうか。
それは、これまで誰もが両親や祖父母から聞かされていた言い伝えの中に、
この大災害の発生を予知していた歴史が語り継がれていたのである。
50年前の昭和35年5月、142名の犠牲者を出したチリ津波。
昭和8年3月、3,064名の死者行方不明者の昭和三陸津波、
そして明治29年6月、2万1,959人の死者行方不明者を数えた明治三陸津波。
そして遠く遡れば慶長16(1611)年10月の慶長津波、貞観11(869)年5月の貞観津波と、
その恐ろしさや多くの命が犠牲になったことが、繰り返し語り継がれてきた。
しかし今回またもや大きな犠牲を払うことになってしまったのはなぜだろうか?
 
東北の地域には津波石とも呼ばれる津波記念碑が、いたる所に設置されている。
これらの記念碑は、津波の到達した高さを明示することにより、
この石よりも下に家を建てれば、津波に襲われてまた犠牲者が出るかもしれない、
この石よりも下には住んではいけないという、後世の人々に対する先人からの強烈な啓示である。
 

写真-1:岩手県岩泉町小本地区の海嘯記念碑

写真-1:岩手県岩泉町小本地区の海嘯記念碑


 
写真-2:岩手県宮古市姉吉地区の大津波記念碑

写真-2:岩手県宮古市姉吉地区の大津波記念碑


 
これらの石が語る真意は、
もう二度とこれからの子や孫の世代にはこの災害を味あわせたくない、
将来の後世の人々には安心して暮らせるところに住んでほしいという、当時の方々の切なる願いだったに違いない。
しかしなぜそれが守られ続けなかったのだろう?
なぜ、危険を冒してまで低い土地に降りてしまったのだろうか?
 
 

女川原発はなぜ無事だったのか?

私は今、宮城県女川町の復興まちづくり計画策定のお手伝いをしている。
女川町は今回の震災・津波により死者行方不明者827名、住宅建物被害3,934棟、
津波による浸水面積320ha(以上平成25年3月11日女川町HPより)、直接被害総額約800億円という大被害であった。
 
このように津波で大きな被害を被った地域であるが、
女川町にある「東北電力女川原子力発電所」は今回の東日本大震災にあって原子炉の冷温停止に成功し無事だった。
なぜなのだろうか?
地元に住むお年寄りから、次のような話を伺った。
 

写真-3:女川原子力発電所 (写真提供:東北電力)

写真-3:女川原子力発電所 (写真提供:東北電力)


 
女川町で原子力発電所の受け入れが決まり建設計画の説明会が開かれた際に、最初に住民に提示された計画案で女川原発は、
今回大きな事故になった「東京電力福島第一発電所」と同じような海岸線の低い標高に計画されていたそうである。
これを聞いていたお年寄りの方から、
「あんた達は若いんだね。そんな場所は物を建てるところじゃないよ。」
という声がかかったそうである。
そしてそのお年寄りは
「あそこにしなさい。あそこの高台にしなきゃだめだよ!そんな低い場所は昔から波をかぶって来たところだよ!」
「昔から津波から逃げるときはあそこへいけ!あの高台ならば大丈夫といわれてきたんだよ。」
と高台を指差したそうである。
 
写真-4:女川原子力発電所(写真提供:東北電力)

写真-4:女川原子力発電所(写真提供:東北電力)


 
すなわちその高台とは、長い歴史の中で、幾度となく襲ってきた津波に耐えて残った場所なのである。
お年寄りの言葉はそのような地域にある特別な災害情報として伝承されてきた「知恵」なのである。
「これは毒キノコ」「これは毒のある魚」「毒のある植物」、
「あそこは山が崩れる」「あそこは波が来る」「あそこには住んではいけない」などこれらは皆、
地域に伝えられた大切な戒め、大切な決まりごとなのである。
 
これは非常に大切なことで、
地域に住む人々が長い時間をかけ数多くの命の犠牲を払い獲得した大切な生活の知恵、
生活する上で大切な安全情報なのである。
 
その後、東北電力はこの地域に伝わる言い伝えを検証、文献調査、現地調査、ボーリング調査などを行い、
その結果お年寄りの言っていた通り、地域に伝わる「言い伝えは正しい」とし、女川原子力発電所の計画案を変更し、
硬い岩盤が確認出来たその高台に原子力発電所の計画を変更したそうである。
結果として女川原子力発電所の最も大切な基幹的部分は今回の津波の被災を免れ、安全に冷温停止することが出来たのである。
 
さらには、このような経緯により建設された原子力発電所だったことから、
多くの町民が津波の災害から身を守るためにこの女川原子力発電所に逃げ込み、避難所として頼りにしたそうである。
原子力発電所では震災後の停電もなく、水の備蓄もあったので、
厚生施設の体育館に360人の被災者を受け入れ、食事も提供していたそうである。
お隣の石巻市から避難してきた方は
「安全なところに避難しようと思った時に、原発のことが真っ先に浮かんだ。」
と言っていたそうである。
これは原子力発電所が安全だということ以前に、
発電所が立地した高台地そのものが、長い歴史の中で安全な場所だと信じられていたことにあるのだと思う。
 
写真-5:宮城県女川町(平成23年7月)

写真-5:宮城県女川町(平成23年7月)


 
写真-6:宮城県女川町(高台にあった病院の1階部分が水没した。平成23年7月)

写真-6:宮城県女川町(高台にあった病院の1階部分が水没した。平成23年7月)


 
津波に襲われた福島第一原発で、多くの住民がいまだに家に帰れない長期的広域避難という最悪の状況に陥り、
一方、最大震度の震源地により近い女川原子力発電所の方が安全に停止した上に、
被災した周辺住民が避難所として頼りにして逃げ込んだ。
この違いはどこにあったのだろうか。
福島第一原発が想定した津波は最高5.7m。
しかし、実際にやってきた津波は14mもの高さに及び、海岸線に設置したタンクやパイプの設備を流し去り、
最も大切な非常用発電機が破壊され、原子炉は冷温停止状態を維持できなくなってしまった。
福島第一原発は、
「津波想定に設計当時の最新の知見と予測を取り入れたが、今回の津波はそれをはるかに超えるものとなってしまった。」
のである。
 
一方、女川原発で想定した津波は9.1mに対し、敷地の造成高さを14.8mとして建設した。
結果として襲ってきた津波は、敷地の高さと同じ14.8m。
女川原発は1号機から3号機まであり、2号機の原子炉建屋の地下が浸水したがその他の重要施設が津波に襲われることは無かった。
2号機の非常用発電機の一部が動かなくなったが、きちんと別のバックアップの発電機が起動し、冷温停止することが出来たのだという。
 
これら2つの原子力発電所の明暗を分けたのは何だろうか。
福島第一原発が「設計当時の最新の知見を取り入れた」のに対し、
女川原発が「古くからの先祖の言い伝えを守った」ことにあったのではないだろうか。
そしてまた、それを受け入れた技術者がいたのである。
 
 

無事だった神社仏閣

今回の震災で東北地方のたくさんの神社仏閣が被災を免れたことが報告されている。
多くの地域で8~9割以上という高い率であったということである。
このことを昔の人たちが神社仏閣を建立する際に津波の到達点を予測して場所を選んだとか、
神社や寺はどこまで津波が来るか分かっていたのだとする話があった。
しかし現地のお年寄りにこのことを聞いてみると、全く違う答えが返ってきた。
長い歴史の中で神社仏閣は幾度となく多くの津波にあってきたというのである。
社は流され墓は倒され、ことごとくが壊滅するような災害に何度も何度も遭って来たというのである。
今回無事だったのは、
神社や寺を再建する際には、今度こそ神様やご先祖様が水に浸からないところへ、
津波に流されないところへと、高いところへ、もっと高い所へと
、場所を選び時代を重ね幾度となく建て替えられて来た結果なのだということであった。
今回の津波で被災を免れた神社仏閣は、長い歴史の中で多くの犠牲を払いながら試行錯誤してきたことの証しだったのである。
 

写真-7:宮城県南三陸町(高い所へ遷された神社)

写真-7:宮城県南三陸町(高い所へ遷された神社)


 
写真-8:岩手県陸前高田市(高い所へ遷された寺)

写真-8:岩手県陸前高田市(高い所へ遷された寺)


 
このことから先人たちから学ばなければならない知恵とは、
もう二度と同じような目に子や孫の世代にはさせてはならないという思いで
神社や寺を再建し集落を移し造り直してきたという事実である。
工学として使われる言葉に「既往最大」という言葉があるが、まさに先人たちが行ってきた災害対策とはこのことである。
もう二度と同じような津波で犠牲者は出さない、自分たちと同じような辛い目を、子や孫には味あわせたくないという思いである。
その結果が今回8割とも9割とも言われる神社仏閣が無事だったという事実になったのである。
そこで、私たちが次の世代に伝えなければならないことは、
まず今回被災した神社仏閣をもっと高い場所へもっと安全な場所へ遷すことである。
そうしなければ先人たちが私たちに伝えてくれた、
「もう二度と同じ思いを次の世代にさせてはならない」ということを後世に伝えたことにならない。
 
東北の各都市を復興する際にもう一度思い出したいのは昭和三陸津波の後出された宮城県の建築規制である。
震災から約4カ月後宮城県は「海嘯罹災地(かいしょうりさいち)建築取締規則」を公布・施行した。
この条例は、津波被害の可能性がある地区内に建築物を設置することを原則禁止しており、
住宅を建てる場合には知事の認可を必要とし、
工場や倉庫を建てる場合には「非住家 ココニスンデハ キケンデス」の表示を義務付けたのだ。
違反者は拘留あるいは科料に処すとの罰則規定まであった。
要は津波被災地には何びとも住まわせないという宣言である。
 
私たち人類は近世、急激に科学技術を発展させてきた。
先人たちが災害の体験から、ここへは住んではならないというメッセージを津波石や、
神社の社などに託し始めてから考えると極めて短い時間に科学文明を発達させた。
その究極として私たちは災害の発生を予測し確率を計算し、
災害はこの範囲で起こる、災害はいつごろ起こるなどという未来を予測できなければ科学ではない、工学ではないと
考えるようになってしまってはいないだろうか。
文明を手に入れ始めた時代に感じていた、自然への恐れを忘れてはいないだろうか。
技術や工学が市民のためのものであった時代に踏襲してきた大切なことを忘れてしまってはいないだろうか。
それは二度と同じ怖い目には遭いたくない。
二度と同じ災害には遭うのは嫌だという極めて単純な動物的感覚である。
そして未来を見た時に思うのは、後世の人たち、子や孫たちを同じ目に遭わせてはいけないという激烈なる決心である。
 
多くの神社仏閣が被災を免れた事実をきちんと踏襲できれば、
この次に来る大津波の際に一人の犠牲者も出さない復興まちづくりを実現できるのだと思う。
このことが伝承された結果として女川原発が無事だったことを忘れてはならない。
年寄りの知恵とはすなわち長い歴史の継承なのである。
 
 

東日本大震災に学び未来へ向けたまちづくり

津波記念碑を無視してまちが発展し幾度となく繰り返してきた津波災害、先祖の言い伝えを守って安全だった「女川原発」。
これらが語るのは何だろうか。
それは、きちんと今回の東日本大震災から学び、今を生きる我々が、
後世に胸を張って伝えられるまちづくりをすることではないだろうか。
これまで日本は度重なる大災害に遭い、その都度多くの犠牲を払ってきた。
今度こそこれらの歴史から確実に学ばなければならない。
その上で未来の世代に日本という国を引き継がなければならない。
これから生まれ出ずる命に対して、いまだ声を発することの出来ない次の世代に対する責務として、
これまでよりも安全な日本を引き継がなければならない。
今回失われた多くの犠牲が無駄にならないように、二度と命を失うことのないまちづくりを目指さなければならないのだ。
この「安全なまちづくり」こそが、平成という時を生きる私たちが設置する「津波記念碑」なのである。
 

写真-9:被災した陸前高田市役所(平成23年4月)

写真-9:被災した陸前高田市役所(平成23年4月)


 
写真-10:宮城県名取市閖上地区(平成23年4月)

写真-10:宮城県名取市閖上地区(平成23年4月)


 
写真-11 :宮城県気仙沼市(平成24年7月)

写真-11 :宮城県気仙沼市(平成24年7月)


 
 
 

筆者

公益財団法人 えどがわ環境財団 理事長 土屋 信行
 
1950年埼玉県生まれ。
技術士(建設部門・総合技術監理部門)、土地区画整理士。
公益財団法人えどがわ環境財団理事長、公益財団法人リバーフロント研究所理事、一般財団法人全日本土地区画整理士会理事。
1975年東京都入都。
下水道局、建設局を経て建設局区画整理部移転工事課長、建設局道路建設部街路課長を歴任。
03年から江戸川区土木部長を務め、11年より現職。
現在も各自治体の復興まちづくり検討の学識経験者委員をはじめ、幅広く災害対策に取り組んでいる。
 
 
 
【出典】


月刊積算資料2013年4月号
月刊積算資料2013年4月号
 
 

最終更新日:2016-03-17

 

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