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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料公表価格版 > 特集 景観と文化の保全 > 長野県松本文化会館(キッセイ 文化ホール)の大規模改修工事 ~設計者の視点から~

 

はじめに

長野県松本文化会館は,長野県内で長野市,伊那市に続く3館目の県立文化会館として1992年7月18日に開館し,以来29年にわたる文化の歴史を刻んできた(2012年7月にネーミングライツ導入により「キッセイ文化ホール」に名称変更。以下,キッセイ文化ホールと記載(写真-1))。
 
キッセイ文化ホールが歩んできた29年間は,長野県民の文化振興に貢献してきた歴史であるとともに,世界的指揮者の小澤征爾氏が創立した音楽フェスティバルとともに歩んできた歴史とも言える。新築工事中に突然現場を訪れた小澤征爾氏から発案された音楽祭は,長野県および松本市の深い理解を得て,開館年の1992年夏に『サイトウ・キネン・フェスティバル松本』としてスタートした。2015年からは『セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)』に改称され,毎年夏になると世界中から優れた音楽家が結集し,沢山の音楽ファンが松本を訪れる世界的な音楽フェスティバルとして定着している。
 

写真-1キッセイ文化ホール外観


 

【キッセイ文化ホール 施設概要】
所在地:長野県松本市水汲69-2
敷地面積:20,902㎡
構造:SRC造,一部RC造,S造
階数:地上5階,地下1階
建築面積:8,768㎡
延べ面積:16,497㎡
主要施設:大ホール/プロセニアム形式,固定席2,000席(1階席1,354席,2階席646席)
      中ホール/平土間形式,移動席746席
      国際会議室/最大248名(同時通訳設備)会議室,リハーサル室,レストラン,他



 

1. 大規模改修工事の概要

このように長野県そして世界の文化の殿堂としての役割を担ってきたキッセイ文化ホールは,開館後約30年を迎えるにあたり,大地震発生時の天井脱落防止対策や経年劣化状況の改善対策等を行い,今後さらに長きにわたってその使命を果たしていくために,2019年9月から2020年7月までの約10カ月間,ホール等の利用を休止して,大規模改修工事が実施された(表-1
 

表-1 大規模改修工事と設計・施工体制




 

2. 設計の考え方

キッセイ文化ホールは,『セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)』の主会場となる長野県を代表する文化施設であることから,大規模改修工事の設計を進めるにあたっては,音響をはじめとする各種性能や施設価値を維持し,かつ向上させることに努めた。
 
内・外装のデザインについては,長い間長野県民に親しまれてきたキッセイ文化ホールの佇まいを継承することが望まれていたため,基本的にはキープコンセプトを念頭に仕上材料や色彩の選定を行った。その結果,改修によって姿を変えるというよりも,変わらない佇まいのままで若返った印象を得られることを意図した。
 
設計者の立場で言えば,1989年の新築工事設計完了から約30年の時を経て,大規模改修工事の設計・監理も担当できることは感無量であり,またその責任の重大さも常に認識しながら業務を遂行した。
 
 
 

3. 天井脱落防止対策工事

今回の大規模改修工事の主たる目的の一つが,ホール等の天井脱落防止対策である。2011年3月11日に発生した東日本大震災では,被災地域でホールや体育館など大規模空間の天井が脱落する事故が多数発生した。これを受けて2013年8月5日公布の国土交通省告示第771号「特定天井及び特定天井の構造耐力上安全な構造方法を定める件」などによって,建築物における天井脱落対策に係る技術基準等が定められた。
 
この天井脱落対策は,新築建築物はもとより,利用者や職員の安全性を向上させるために,既存建築物についても速やかな対策が求められるものである。長野県立文化会館では,長野市に続き松本市が対策を実施した2館目となり,そして現在,伊那市で改修工事が進められている。
 
キッセイ文化ホールでは,大ホール客席,中ホール,国際会議室,エントランスホール,階段ロビーの5つの空間が特定天井に該当したことから,それぞれの空間に適合した手法によって,天井脱落防止対策工事を実施した。
 

●大ホール客席 「高い評価を受けてきた音響の継承」

キッセイ文化ホールの中でも,特に大ホールは『セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)』のコンサート会場として高い評価を得てきたホールであるため,音響特性を継承し向上させることが必須条件であった。
 
そのため,天井改修にあたっては,天井および天井内の建築設備・非構造部材を含む天井構成材全体を撤去したうえで,原則として天井の形状や材料を変えずに,音響特性に最も影響の少ない準構造天井方式で新設した(写真-2,3)。
 
※準構造天井方式:吊り天井方式ではなく,建物の構造体と一体になった鉄骨下地に天井板を直接張る方式(別称:直張天井方式)
 

写真-2 大ホール 改修前 改修工事の概要


 

写真-3 大ホール 改修後の天井内



その結果,改修後の音響特性は改修前とほぼ変わることがなく,むしろ天井の剛性向上によって低音域などの響きが豊かになった。これは,音響測定による客観的データで確認されているとともに,OMF関係者の実演による音確認でも評価されたものである。
 
また,今回の改修工事では大ホールの客席椅子をすべて現代の人間工学や法令に基づく新たなものに更新したが,事前に椅子の吸音力試験を繰り返し,音響への影響がない形状や材質であることを確認したうえで設置した。なお,新たな椅子のデザインや色調も既存イメージを継承しながら選定したものである(写真-4)。
 

写真-4 大ホール 改修後



●中ホール 「より使いやすいホール空間の形成」

平土間形式の中ホールの既存天井は,下部のメッシュ天井と上部の吊り天井で構成されていたが,メッシュ天井については舞台照明への影響が懸念されていたため撤去することとし,上部の吊り天井のみを準構造天井方式(直張天井方式)で新設することとした(写真-5)。
 

写真-5 中ホール 改修前 改修工事の概要




天井改修にあたっては,改修前の音響特性を大きく変えないことを前提としつつ,中ホールの主用途である講演会や展示会により適した音の響きにすることを目標とした。その結果,改修後の音響特性は講演会,展示会をはじめ電気音響演奏などさらに多目的に使いやすいホールの響きを得ることができた(写真-6)。
 

写真-6 中ホール 改修後



●国際会議室 「山並みのデザインイメージの継承」

国際会議室のデザインは,山並みをイメージした山型天井と自然の風合いを活かした色彩計画を特徴としている。改修にあたっては,県民に長年親しまれてきたこのデザインイメージを継承することを大切に考え,天井脱落防止対策として天井高を下げ,天井下地補強やスリットを施した天井形式で新設した。
 
そして,床カーペットや壁クロスを張り替えることによって,やや色褪せていた空間が当初のデザインイメージに蘇り,調光調色可能なLED照明の採用とともに明るさも増すことができた(写真-7)。
 

写真-7 国際会議室 改修後



●エントランスホール・階段ロビー 「安心・安全で明るい空間の確保」

多数のホール利用者が行き交いそして交流するエントランスホールや階段ロビーは,より耐震安全性の高い空間とするために,法改正に基づく技術基準に準拠した天井形式で新設した。
 
天井の改修によって,安心と安全を確保するとともに,天井照明の色温度レベルを維持しながら新しいLED照明を設置することで,フレッシュな明るさを持った空間となった(写真-8)。
 

写真-8 エントランスホール 改修後




 

4. 外壁・屋根改修工事

経年劣化対策で顕著に目に見えるものが,外壁と屋根の改修工事である。竣工からの経年によって,キッセイ文化ホールの外壁と屋根はそれぞれ劣化が進み,随時行なってきた部分改修では抜本的な解決には至らない状態になっていたため,ホール等の休止期間を利用して全面的な改修を行うこととなった。そして,これらの外装改修にあたっても,県民が慣れ親しんだ建物の佇まいや周辺環境と調和した景観を変えることとなく,機能性や耐久性を高めることが大きなテーマであった(写真-9)。
 

写真-9 外壁・屋根 改修前 改修工事の概要



●外壁改修 「石面調仕上材でデザインを継承」

キッセイ文化ホールの外壁は,基壇部の一部に花崗岩を採用し,それ以外は全面的に45二丁掛磁器質タイルを張っていた。竣工後の一定期間経過後,定期的に外壁診断調査とその結果に対応した改修工事が行われてきたが,大規模改修工事実施設計前の診断調査では,タイルの浮きやひび割れが相当に進行していることが確認された。
 
そのため,外壁改修では将来に向けてタイル剥離・落下への不安を払拭し,安全性を確保することが最も望ましいとの判断に至ったことから,全面的な改修工事を行うこととなった。
 
全面的な外壁改修にあたっては,さまざまな手法を検討した結果,タイル剥離補修をした上でアンカーピンネット工法によってタイルの落下を防止し,その上に石調吹付材で仕上げるという手法を採用した。
 
この手法は,既存タイルがもともと御影石をイメージした表情を持つ特注仕様の製品だったため,外観デザインイメージの継承がしやすいことが採用のポイントとなった。さらには,この手法を構成するアンカーピンネット工法,石調吹付材,およびシーリング材に20年保証が付与できるため,将来的な品質保全に安心感を持てることも大きな要素だった。
 
石調吹付材の使用にあたっては,外壁の表情が単調にならないように500mmピッチの横目地を設け,基壇部には奥行きのある目地処理を施した。ただし,既存のタイルや花崗岩の持つ色彩や表情に合わせて石調吹付材の色の混合や肌合いを決めるためには多くの労力を必要とし,現場で何度も繰り返しサンプルを作成して検討を重ね,ようやく最終的な仕上がりを決定することができた。
 
こうして改修が完成した外壁は,もともと新築の時からそうであったかのように,全く違和感のない佇まいがあり,周辺環境とも調和したものになったと考えている(写真-10,11)。
 

写真-10 外壁 改修後の全景


 

写真-11 外壁 改修後の近景



●屋根改修 「既存グリーン色でデザインを復活」

屋根は,経年劣化による屋根材の腐食が進み,雨漏りも発生していたため,利用者の安全性・快適性の観点からも全面的な改修工事が必要な状態であった。
 
屋根の全面改修方法の選定にあたっては,屋根の荷重条件に適合できること,そして漏水をできる限り防止できる仕様とすることが必要だった。そこで,荷重条件をクリアするためにカバー工法は採用せずに金属屋根材を撤去・新設することとし,既存の横葺き屋根を雨水がよりスムーズに流れやすい縦葺き屋根に変更した。なお,屋根材撤去時に下地材等に支障がある場合は新品に交換することを前提とした。
 
屋根材の色彩については,自然界の山並みや樹々の緑を活かす当初のデザインイメージを復活させることとした。屋根はかなり退色が進行していたが,新築時に採用したスペックと全く同じグリーン色を採用することで,周辺環境との調和を意図した屋根が若返った姿を現した(写真-12)。
 

写真-12 屋根 改修後の全景



●松本市景観計画への対応 「新築時から自然環境に調和する色彩」

キッセイ文化ホールの敷地は,松本市が定める松本市景観計画の市街地景観区域(⑱松本北地区)にあるため,外壁や屋根の改修にあたっては,その制限の中で色彩を決定することが必要だった。しかし,新築時から自然環境に調和する色彩を採用していたため,特に色彩を検討し直す必要は生じなかった(図-1,2)。
 

図-1 松本市景観計画に対応した屋根の色彩計画


 

図-2 松本市景観計画に対応した外壁の色彩計画



5. その他の改修工事

キッセイ文化ホールの大規模改修工事では,前述の項目以外にも数多くの改修工事が実施された。これらによって,機能面の改善や新たな機能追加がなされ,施設の長寿命化に寄与する改修工事になった。

●設備分野の改修工事 「文化施設を常に健全な状態に保つ」

設備分野の改修工事のほとんどは,経年劣化が進み動作不良や故障が発生している設備類の更新工事であった。このように,あらゆる部位を常に健全な状態に保つことが,文化を継承していく施設にとって大変重要である。

●昇降機の改修・新設工事 「最新設備による順法化とバリアフリー化」

キッセイ文化ホールの既存昇降機は,既に交換部品の手配に苦慮する状況にあり,管制運転や遮煙性能などは最新法令には適合していなかったため,機械室レスの最新機種で全更新した。
 
また,大ホールのホワイエが4層構成になっているため高齢の方などは移動に苦労されていたが,それを解消するために各階のホワイエをつなぐ昇降機を新設した(写真-13)。
 

写真-13 大ホールホワイエ 新設昇降機



●トイレの改修工事 「洋便器化とデザインリニューアル」

キッセイ文化ホールのトイレは,洋式便器と和式便器が混在した構成だったが,今回の改修工事ですべて洋式便器とした。また,来場者用トイレについてはデザインを一新し,明るくスマートな印象のデザインに生まれ変わった(写真-14)。
 

写真-14 来場者用トイレ 改修後




 

おわりに

キッセイ文化ホールの大規模改修工事は無事完成し,2020年8月からは通常の運営が再開されている。しかしながら,リニューアルオープンを飾るはずだった『セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)』が中止になったように,新型コロナウイルス感染拡大の影響で施設が本来の運営状況になっていないのは残念である。
 
文化は人から人へと伝えられていくが,その文化を伝えるための場を提供するのが文化施設である。つまり,文化施設そのものを適切に維持し,文化を発信し続けられる状態に保つこともまた文化の継承と言えよう。単純な比較はできないが,著名なホールであるウィーン楽友協会は1870年の竣工以来約150年間,世界トップレベルの名声を保ったまま使い続けられている。
 
キッセイ文化ホールが,今後も計画的保全を進め,将来にわたって長野県そして世界の人々から愛され続けることを期待している。

(山下 稔)



 
 

株式会社山下設計 建築設計部門 リニューアル設計部 アーキテクト  小関 昌弘
株式会社山下テクノス 代表取締役社長  山下  稔

 
 
 
【出典】


積算資料公表価格版2021年1月号



 

最終更新日:2023-07-07

 

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