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1. はじめに…モダニズム建築保存にあるねじれ

20世紀建築,とりわけモダニズム建築と呼称される装飾性や記念性などを有す,19世紀までとは異なった建築に対する価値観で建てられた建築物は,2016年のル・コルビュジエ(Le Corbusier1887-1965)の建築群や2019年のフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright 1865-1959)の建築群の世界文化遺産登録に見られるように,世界人類が共有する文化遺産として,日本人である私たちにとってみてもこの二人の建築家による作品が日本にもあるゆえに,身近な存在として感じられるようになってきた(写真−1,2
 

写真−1 国立西洋美術館


 

写真−2 自由学園明日館(日本にあるライト作品は今回の世界遺産登録に含まれていない)




一方,東京や大阪などの大都市圏を中心に,近代集合住宅の先駆け的存在であった同潤会アパートメントは2013年までにはすべて解体され(写真−3),高層マンションや商業施設となった。日本の近代化の役を担った多くの公共施設や事務所建築が何のためらいもなく(むしろ積極的に),経済論理に従い,開発ありきの特別区政策における容積率緩和などを受け,解体されたり,原型を大幅に変更されて改築されたり,あるいはバブル経済崩壊後の経済不況の中で使われないまま放置されているものも散見される(写真−4)。歴史的建築のような記念性や象徴性をなくすことにその存在意義を見出していたモダニズム建築が,その保存や再活用を進めるためには,目に見える形で記念性や象徴性をつくり出さなくてはならないというこのねじれともいうべき反対方向に向かう現象には,皮肉な状況が内包されているのである。
 

 
 
 
 
 
 
 

写真−3 上野下同潤会アパートメント解体工事の様子

写真−4 中銀カプセルタワービル(2020年2月)


もう一つのねじれの現象は,地方都市に近年多くみられ,東京や大阪における高度経済成長の時代背景の中,それらに追いつくべく勢いで建設されたモダニズム建築が,途中で梯子を外されたかのごとく,過疎化に伴う人口減少や産業構造の変化,さらに地方創生という美辞麗句によって,コンパクト化の下,解体されたり,原型の利点を生かされないまま,改築されたりしていることにある(写真−5)。とりわけ残念なのは,地方だけでなく都心にもみられるが,それらが解体された後,無用に広い駐車場や空き地となっている光景を目撃することである。
 

写真−5 都城市民会館解体工事の様子




このなんとも言えない気持ちの悪いねじれ現象には,本来,新しい世界を作り出そうとしたモダニズム建築が,半世紀ほど時間が経過するにつれ,機能性や耐震性,設備機器の更新,RCの劣化などの物理的性能に応えることができなくなったという一見わかりやす理由と,常に新しさを求めるモダニズム建築自体が,時間を経ることで歴史的な存在としてみなされてしまうという自己矛盾を抱えてしまったことが理由にあると考える。おそらくこれらの理由を見つめ直さない限り,私たちが今感じているモダニズム建築の保存や再活用に対する気持ち悪さは解消しないだろう。
 
前者の理由である物理的性能への対応に関しては,まだコスト的な制約はあるものの,近年,レトロフィットの耐震改修の事例が増えており(写真−6),またモダニズム建築の最大の弱点とされる開口部周辺の環境性能やRCの中性化に対する新たな見解やそれらの改修と補修に関しても,海外を含めてその技術は進化しており,国内外の学術的な会議や研究会でその成果がケーススタディとして発表されている(写真−7,8)。
 

写真−6 山梨文化会館(2016年10月)


 

写真−7 第14回DOCOMOMO国際会議での筆者による発表

写真−8 第15回DOCOMOMO国際会議でのポスターセッション



しかしながら,このような改修や修復といった目に見える形においては,AI化社会への変化とともに,そのデータ分析による技術的進歩による解決はある程度予測できるのであるが,後者のモダニズム建築自体が抱える矛盾に対しては,モダニズム建築の保存とは何か,何のために保存するのか,といういわば目に見えない哲学的,文化的な人間としての問いを投げかけない限り,前述した捻れ現象に存在する問題は,必ずブーメランのように勢いを増して戻ってくるに違いない。おそらくそれはAI機械と人間という,今よりさらに厄介な矛盾を抱えているはずである。
 
そこで本稿では,モダニズム建築の保存・活用について,以上のような問題意識を持ちながら,今から150年前の19世紀半ば,イギリスにおける繁栄と衰退が同時に進むという社会的矛盾の中,美術評論家・文明批評家であり,『建築の七燈』(1849)や『ヴェネツィアの石』(1851-53)を通して,広くその後の建築家たちに影響を与えたとされるジョン・ラスキン(JohnRuskin 1819-1900)の言動を振り返りつつ,筆者が関わっているモダニズム建築の保存を進める国際組織DOCOMOMO(ドコモモ)の活動を通して,保存のもつ本質を考えていきたいと思う。
 
 
 

2. なぜ「修復とは破壊の最悪の方法」なのか

150年前のイギリスに注目する理由は三つある。一つは19世紀において,イギリスがいち早く産業革命を達成し,社会の価値観が手作りから機械化への変化,つまり古い価値観が失われ,新しい価値観が現れることに人々が感じていた不安と,2020年から起こったCOVID-19により今までの価値観が大きく揺らぎ,このまま2045年の達成が予想されるシンギュラリティを受け入れ,AI化社会へこのまま本当に向かっていいのかという不安とが,類似しているのではないかと考えるからである。二つ目は,イギリスにおける当時の人々の不安を反映するように,時代に合った建築様式が模索される中で,多くの歴史的建築物が時代に合わないものとして破壊され,あるいは修復の名の下に表面が剥ぎ取られていく様子に対し,新しいものへの期待と同時にそれが本当に正しい姿なのか,ひいては建築とは何か,社会のために建築はいかにあるべきかという問いがなされたからである。三つ目は,当時イギリスにおいて,社会的価値観の変化に対する建築家の職能のあり方が問われ,日本を含めて現在へとつながる建築家の職能制度と教育制度の基盤ができたことにある。つまり社会的価値観が変わる際に建築家は何を学び何を行わなければならないのかが問われたからである。
 
ジョン・ラスキンは,30歳になった1849年に『建築の七燈』を出版している。著作の内容を考えるならば,改めてその早熟さに驚くのであるが,この第2章「真実の燈」で述べられた材料に対する建築家の倫理的姿勢が,その後,ル・コルビュジエやその弟子である前川國男の建築観,すなわちモダニズム建築の理念に影響したことは有名な話である。
 
ここで注目したいのが,第6章「記憶の燈」における格言27「建築は歴史の伝承になるものとして造られなければならない。過去の時代の建築を私たちの祖先からの遺産の中の最も貴重なものとして残さなければならない」と,格言31「いわゆる修復とは破壊の最悪の方法である」の二つである。
 
格言27は,いわゆるモダニズム建築を含めて古今東西の建築を保存する際に,それらが,時代の記憶を語り,あるいは人類共通の遺産として,未来に継承すべきであるという,世界文化遺産の価値観にもなっているように,現在の私たちでも容易に理解できる考え方ではないだろうか。一方で,格言31は,未来に継承するためにほぼ100パーセント行われるであろう修復行為を厳に戒める内容となっている。ラスキンは,「修復は始めから終わりまで一箇の『嘘』である」と主張する。当時イギリスにおいて行われていたことは,前述したように,古い建築物の表面を削り取って(言葉を変えるならお化粧をして),新たな様式や装飾を付加することであった。ラスキンのこの戒めを受け継いで1877年に古建築保護協会を設立したのが,弟子のウィリアム・モリスであることは周知の事実である。
 
しかしなぜラスキンはこのように修復行為を戒めたのだろうか? ここにモダニズム建築を含めて建築物の保存に対する本質的な問いがあると考える。「記憶の燈」をよく読めば,ラスキンが修復に必ずしも反対しているのではないことがわかる。ラスキンは,格言27で過去の建築,現在の建築が一体誰のためにあるのか,誰のものであるのかを問いかけているのである。それらは決して今ある私たちのためのものではなく,私たちのものでもなく,過去に作った人のものであり,未来にそれを使う人たちのためのものであると訴えているのである。ラスキンはそれらを勝手に修復したり,改変したりする権利が私たちにはないとまで言う。これは1970年代から高度経済成長に反対し,環境倫理を主張するディープエコロジストの思想を想起させるが,ただラスキンが廃墟趣味のようにそれらに手をつけず壊れていく姿を黙って見ていけば良いと言っているのではない。ラスキンは,保存し修復する前に次のように言う。
 
「適当な時機に数葉の鉛板を持って屋根を修理し,適当な時機に若干の枯葉や枯枝を水路から取り除いたなら,屋根も壁も朽廃から救われるであろう。古い建物はよくよく注意して大切にせよ,諸君の最善を尽くし,如何なる価を持ってしてもあらゆる破損の力よりそれを保護せよ…その弛める処は鉄を以って結束せよ,その傾ける処は木を以って支えよ,補助物の不体裁の如きは気にせぬが良い。失った手足より鹿杖の方が優しである,愛情を込めて,尊敬の念を以って絶えず続けて,これをやるがよい…」
 
つまり日頃から建築に対して気遣いを怠らず,古くなったところは修繕しながら大事に使っていきなさいとラスキンは訴えているのである。これは特にモダニズム建築の保存や再生を主張する者にとって,耳の痛い話であり,これまで解体されたり,改築されたモダニズム建築の多くは,保存の話が出るまで使いっぱなしで,日常的なメンテナンスがなされていなかったケースがあるのは事実である。
 
ラスキンは,『建築の七燈』を発表した8年後の1857年1月23日,当時イギリスにおける建築家教育の中心的存在となっていたロンドンの建築協会(Architectural Association)に集まった会員(その多くが建築事務所の徒弟たち)に対して,「建築における想像力の効果」というタイトルで講演会を行なっている(写真−9)。ラスキンは,前述した建築が有する意義を,建築家が持つべき資質である「共感」と「想像力」の中に見出している。
 

写真−9 1850年代に建築協会があったライアンズ・イン・ホール




「こうして諸君の手になった物がいかに長く世に伝わり,いかに多くの人に仰ぎ見られるかを考えたならば,諸君はいかにその業が大切であるのか,その責任が重大であるかを顧慮しなければなるまい…諸君の意を用いて建てた建物は500〜600年以上決して壊れることのないところにある…もし諸君の共感が欠乏し,不健全な空想が勢力をたくましくし,軽浮の調子を多く帯び,不忠実な研究ぶりのみであったならば,その影響は人の心より伝わり,諸君の世を去った後も非常に長い間,非常に多くの人を損なうであろう」
 
500〜600年持つというのは大げさかもしれないが,50〜60年で壊れてしまうような建築を建てるのではない,命をかけて仕事に取り組めとラスキンは若い建築の徒弟に対して言っているのである。
 
さらにラスキンは,建築を設計するにあたって大切なこととして次のように主張している。
 
「諸君がそのこと(建築の設計)に当たる際には,いつも自ら進んで,その作品をなすのに悦びを感ずるようでなければならない。そうでなければこの作品によって人を悦ばすことができるはずはない。私の最も高尚な動機と言うのはすなわち愛である。諸君の選んだ道に対する愛,諸君の住む世界に対する愛,諸君の交わる人に対する愛,この三方面の愛がなければならない」
 
言い換えるならば,この「愛」とは共感と想像力に支えられた感情であり,建築という職業(労働)に対する愛,生活する人間への愛,建築を共に実現する建築家(同僚や後輩)や構造,設備,施工を行う人たち,画家や彫刻家など芸術家への愛である。
 
ラスキンは,産業革命に成功し,19世紀イギリスにおける価値観となっている功利主義的な考え方を認めながらも,建築家にとって大切なことは,金儲けに走ったり,自己顕示欲から他人を妬んだりする利己主義的な姿勢を第一とするのではなく,深い歴史観に基づいた社会や公共的福祉の立場を優先する利他主義的姿勢だと説いたのであった。
 
この共感と想像力によって生み出される利他的博愛主義的姿勢こそ,最初に取り上げたモダニズム建築の保存に内包するねじれを元に戻すために必要なことであり,なぜモダニズム建築を保存するのかという問いへの答えもそこにあるのではないかと考えている。
 
 
 

3. DOCOMOMOという運動体

前述したモダニズム建築への共感と想像力によって,特に歴史性への考慮に基づいて,保存や改修がなされるのかが,DOCOMOMOの目指すところである。DOCOMOMO,すなわちDocumentation and Conservation of buildings,sites and neighbourhoods of the Modern Movement「モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の調査記録および保存」であり,1988年にオランダのアイントホーヘンで設立された(写真−10)。当時は,オランダを含めいわゆるモダニズム建築の流布に貢献していた欧米諸国のモダニズム建築が,老朽化や使われなくなったことから壊されたり,廃墟となっている状態が目立つようになっていた。
 

写真−10 第4回DOCOMOMO国際会議参加者(筆者初参加)




しかし,ある意味これは当然の結果とも言える。なぜなら,前述したようにモダニズム建築の誕生は,既存の古めかしい規則・様式や趣味趣向を反映した建築に対する反抗がその動機であり,まだ構造方式や材料などの使用は実験的な段階であったからである。世界文化遺産となったル・コルビュジエによる,パリ郊外にあるサヴォア邸は,第二次世界大戦中,ナチスドイツの侵攻により,住み手が離れ,1950年代後半からはほとんど廃墟のような状態であった(写真−11)。また,DOCOMOMO設立のある意味シンボルとなった,オランダのヒルベルサム郊外にある結核患者のための施設,ゾンネストラール・サナトリウムは,結核という病がなくなったことでその施設が不要になり,当時,新しい材料であった鉄筋コンクリートやスチール・サッシュが劣化したことで廃墟のような状態であった(写真−12)。
 

写真−11 荒廃していたサヴォア邸

写真−12 荒廃していたゾンネストラール・サナトリウム



このように1920年代から欧米を中心に,中南米,日本やアジア諸国でも建てられるようになった装飾的要素や歴史的様式を用いない,いわゆるモダニズム建築は,その理念であった機能主義(使いやすさと効率性)や合理主義(個人の趣味趣向,感情ではなく科学的な基準)に基づいていたことから,その機能の役割を終えたり,構造的,材料的な劣化と耐震性や耐火性への問題があれば建築としての役目を終えていると判断され,およそ建築から30年から50年が経った1970年代後半から,世界各国で解体,改築されるようになったのである。
 
前述したラスキン的な思想を表面的に捉えるのなら,これらのモダニズム建築は朽ちていくことを黙って見るということになるのだが,本当にそれでいいのだろうか。そうではないはずである。事実,サヴォア邸に関しては,ル・コルビュジエ本人が設計をした当事者としてこの建築を記憶とともに残し続けたいという思いから,またゾンネストラールは,当時アントホーヘン工科大学で教えていた二人の建築家の,自国の建築家によるモダニズム建築の代表作を解体から救いたいという建築への共感と,どのような使われ方をすれば良いのかという想像力から,この二つの建築は命が吹き込まれていく(写真−13)。
 

写真−13 再生したゾンネストラール螺旋階段室




後日,ゾンネストラールの保存・再生に関わった二人の建築家のうちユーベル・フォン・ヘンケットが会長として,ヴェセル・ヨンヘがセクレタリーとして1988年にDOCOMOMOが設立されるのである(写真−14)。
 

写真−14 DOCOMOMOを創設したヘンケット氏(左)とヨンへ氏




このように20世紀の文化としてのモダニズム建築の存続への危機意識とそれらに対する深い共感と想像力が,DOCOMOMO設立の契機となっている。DOCOMOMOの設立を大きく時代の流れで捉えるならば,全世界的に共通する問題,すなわち「近代」という時代の思想や社会に基づいた価値観を考え直す現象=ポストモダンの一つだと考えられる。
 
筆者とDOCOMOMOの出会いは1990年代,筆者がイギリスに留学した際に,イギリスの近代建築の変遷に関心を持ち,その研究の延長からDOCOMOMOの活動に興味を持ったことである。日本でも同じような活動が必要だと感じ,1998年の帰国を契機に現在の活動に至っている。ちょうどその頃,横浜桜木町にある前川國男の設計による神奈川県立音楽堂・図書館(1954)が,まだ使われているにもかかわらず,役目を終えたというモダニズム建築解体の論理によって,壊されようとしていた。当時,日本建築家協会(JIA)に所属する建築家らが,この建築が市民に愛され使い続けられていることや前川作品の中でもコンサートホールとしての質の高さと戦後神奈川県の復興の証であった文化的価値を訴えた結果,経済的な落ち込みもあり,解体,新しい建築の建設計画は立ち消えとなった。現在では,前川建築設計事務所の監修のもと,保存と修復が行われ,新しい命が吹き込まれたことで,以前にも増して市民に愛される建築となっている(写真−15)。
 

写真−15 改修工事後の神奈川県立音楽堂ホール内




また,ル・コルビュジエの日本人二人目の弟子である坂倉準三による鎌倉の神奈川県立近代美術館(1951)は,前述した神奈川県立音楽堂・図書館とともに,2000年のDOCOMOMO Japanによる近代美術館での展覧会(DOCOMOMO20JAPAN文化遺産としてのモダニズム建築展)の開催を契機に,20年間にわたる同美術館に対する多くの人たちの献身的な共感と想像力によって2019年に鎌倉鶴岡ミュージアムとして再生し,2020年に重要文化財に指定された(写真−16)。
 

写真−16 鎌倉文華館鶴岡ミュージアム




DOCOMOMOは国際組織であるが,具体的な活動は,現在世界70カ国と地域に広がった支部組織によって行われている。無論,各国によってモダン・ムーブメント(近代運動)やモダニズム建築の定義が異なるため,DOCOMOMOが1990年第1回アイントホーヘン大会と2014年第13回ソウル大会で採択された以下に示すアイントホーヘン・ソウル宣言の理念を共有しながら,各支部が独自の活動を行っている。
 
1. モダン・ムーブメントの建築に関する重要性を,一般市民,行政当局,専門家,教育機関に広めること。
2. モダン・ムーブメントの建築作品の調査を進め,学術的価値を位置づけること。
3. モダン・ムーブメントの建築,環境群の保存とリユース(再利用)を推し進めること。
4. モダン・ムーブメントの貴重な建築作品の破壊と毀損に反対すること。
5. 保存とリユース(再利用)に対する適正な技術や手段の開発と専門知識の伝達を行うこと。
6. 保存とリユース(再利用)の調査のための基金の調達を図ること。
7. モダン・ムーブメントという過去の挑戦に基づいて形成された建築環境を,将来に継承すべく持続可能なものとして探求しながら,新しいアイデアを展開していくこと。
 
DOCOMOMO Japanではその活動に5つの柱を設けている。
 
一つは,国内にあるモダニズム建築のリストアップを行い,その中から毎年10件前後を選定建築物として,建築物の歴史的,社会的,技術的,地域的価値を調査し,公表することである。この調査と公表は,建物がいざ解体されようとする時に,それらを保存し,再活用する上での大切な学術的な根拠となる(写真−17)。
 

写真−17 DOCOMOMO Japan 選定評価書(埼玉会館)




二つには,モダニズム建築の解体等が発表された際,保存の要望書を作成し,再活用の指針などを提言することである。
 
三つには,一般に対するモダニズム建築の重要性をレクチャー,シンポジウム,見学会などの開催や国際的な交流を実施しながら,広く伝えることである(写真−18)。
 

写真−18 自由学園明日館で開催された講演会と見学会




四つには,建築や都市計画における専門家,行政,施工技術者,社会学者などの広い領域の中で,総合的に保存,再活用についての研究,調査を進めることである。
 
五つには,上記の活動を若い世代に伝え,大学,専門学校などの専門教育機関での教育プログラムの設置はもとより,小中学校・高等学校における環境教育としての位置付けを行うことである (写真−19)。
 

写真−19 タイバンコクで開催された学生ワークショップ(左から
4人目がDOCOMOMO会長のアナ・トストエス氏)




DOCOMOMOは,1990年の第1回アイントホーヘン大会から2020年の第16回東京大会(コロナ禍の影響で2021年に延期)で30年の歴史を有する,20世紀におけるモダニズム建築の保存や調査を専門とする世界で唯一の国際組織である。しかし,その活動において,これまでの歴史的建築物の保存において見られたように,歴史的学術調査や専門的で閉鎖的な性格を,2000 年代までは有していたのは事実である。その中で,2010年代から,世界遺産の登録に関わるユネスコへの専門諮問機関であるICOMOS(イコモス)内部で20世紀を対象とする専門委員会によって「リビングヘリテージ」という概念が提唱された。これにより文化遺産として使い続けることの重要性が広くDOCOMOMO への活動に影響を与えていった(写真−20)。その現れが,アイントホーヘン・ソウル宣言の5,6,7条にある「リユース(再利用)」と「持続可能性」という概念である。つまり,DOCOMOMO 自体の活動が,学術的な研究機関から,設計実務を行う建築家や保存修復家,構造技術者や施工技術者,社会学者などによる,モダニズム建築と20世紀の私たちの日常の大切さを未来に伝えるための,緩やかな保存=活用を目指すものへと変化していっていることを示している。
 

写真−20 ICOMOS20世紀委員会によるマドリッド・ドキュメント




 

4. まとめ:共感と想像力の回復と創造

最初に掲げたモダニズム建築を保存することに対する矛盾を抱えたねじれのような現象は,なぜモダニズム建築を保存するのかという本質的な問いが内包されており,それに対して私たちが答えを見つけられないもどかしさに由来する。モダニズム建築自体が誕生した理由をその歴史を振り返って見るならば,19世紀までの建築の価値観とは異なった,より快適で健康的で身の丈にあった生活を安心しておくり,将来への希望を育むことができるような建築空間を世界中の人々が手軽に実現することにあった。現在失われようとしているモダニズム建築には,ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトなどの巨匠が手がけたものだけでなく,数多くの建築家や技術者,工事施工者たちが,ラスキンが主張した建築に対する共感と想像力をもって命がけで取り組んだ建築物が含まれているのである。私たちが行うべきことは,そのようなモダニズム建築に込められた共感と想像力にできるだけ光を当て,それがどのように建築に命を吹き込んでいるかを明らかにし,それらを20世紀という時代の記憶として,私たち自身の共感と想像力によって未来に繋げることではないだろうか。私たちがこのような姿勢を取るならば,なぜモダニズム建築を保存するのかという問いは決して生まれないであろう。
 
最後に日本文化や日本建築に並々ならぬ共感と想像力を抱いたジョサイア・コンドルの言葉を取り上げたい。コンドルは,まさにラスキンがイギリスの建築社会に提言をしていた時代に建築を学んでおり,工部大学校造家学科の教授に就任する際,『建築の七燈』の初版を最初に日本に持ち込んだとされている(写真−21)。コンドルは,来日1年目に辰野金吾ら学生を前にして「建築におけるいくつかの注意点」(A Few Remarks uponArchitecture)という講義を行った。
 

写真−21 コンドルが持ってきたとされるラスキンの『建築の七燈』初版本】




「諸君は全世界において過去に建てられた同様な建物を注意深く観察することによって,あるいは他の建築家が開発した創作物を観察することによって,この力(芸術的構想)を身につけるであろう…諸君は地方的偏見,文化,あるいは宗教上の相違,によって生じたこれらの形態と同様に,気候,習慣,及び必然的に産み出された形態上の相違,を比較するために分析の精神をもつことを決してやめてはいけない…さらに諸君は想像力豊かな精神と,本物の趣味(taste)を常に醸成することをやめてはいけない。偉大な建築家,画家,彫刻家はすべからく想像力の探求と追求とを喜んだ人々であり,それによって自分の創作力を大きくもし新しくもしたのである…諸君は彼の感性に参入することのできる精神を持ち,彼の理念を感知する想像力を持たねばならない」
 
いうまでもなくここでコンドルが言う「感性に参入する」ということは「共感をもつ」と同じ意味として受け取れるだろう。ラスキンに影響を受けたであろうコンドルの建築に対する姿勢は,モダニズム建築の保存に対して私たちに多くのヒントを与えているのである。
 
 

文中に引用したラスキンに関するものは,ラスキン(高橋松川訳),『建築の七燈』,岩波文庫,1991(1930)並びにジョン・ラスキン(小林一郎訳),『二ツの道』 4.建築に於ける想像力の効果,玄黄社,1925(1917),コンドルに関するものは,ジョサイア・コンドル(清水慶一訳),建築学概説,建築史学4号,pp.116-124,1985によるが,若干表現を変えている。

 
 
 

東海大学 工学部 建築学科 教授  渡邉 研司

 
 
 
【出典】


積算資料公表価格版2021年1月号



 

 

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