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建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料公表価格版 > 関西国際空港連絡橋の復旧について(報告)

 

はじめに

2018年9月の関西国際空港連絡橋へのタンカーの衝突事故と被災状況,その後の復旧の様子については,ニュースで大きく取り上げられ,また専門誌を含め多くの媒体で紹介されました。事故後の復旧事業には,道路管理者としての西日本高速道路株式会社のほか,橋梁メーカーやその架設協力会社,サルベージ会社など多くの企業や,それぞれの持ち場を受け持つエンジニア,オペレーター,溶接工,とび職などのプロ集団が参加し,早期復旧というミッションを成し遂げました。
 
本稿では,既報との重複をお許しいただきつつ,筆者の在籍する一般社団法人日本橋梁建設協会の会員会社で,今般の復旧事業に参加した株式会社IHIインフラシステムからの報告を元に,報道等によるNEXCO西日本など関係者の活動を含め,復旧までの概要を報告します(この項を含め,会社名等の敬称を略させていただきますこと,ご容赦ください)。
 
 

1. 被災当日,2018年9月4日の様子

2018年の9月4日は,一般社団法人日本橋梁建設協会(主に鉄製の橋,すなわち鋼橋の製作や架設工事を受注する企業が集まる業界団体。以下,「橋建協」と記す。)と沖縄総合事務局との年に一度の意見交換会の日でした。その日,台風21号は非常に強い勢力を維持したまま,四国から近畿地方を横断するように移動し,各地に大きな被害をもたらしたことは読者の皆様のご承知のとおりです。
 
「沖縄への飛行機はちゃんと飛ぶだろうか。」数日前からの橋建協の心配をよそに,飛行機は順調に羽田を発って那覇空港に着陸し,意見交換会会場の沖縄総合事務局には午後3時頃到着。意見交換会が始まるまで,ロビーの壁にかけられた大きなテレビ画面をボンヤリと眺めていました。NHKは台風報道の特番を放送していました。午後3時半頃,アナウンサーはしきりに関西国際空港で高潮による浸水被害が起きている旨を繰り返し読み上げているのですが,画面ではさっきから読み上げられる内容とは別のシーンを映し出しているようでした。
 
その映像に違和感を覚えたので,一旦,頭からアナウンサーの声を遮断し,映像に集中してみることにしました。すると映像(今から思うと,空港島から対岸に向かって橋軸方向に,連絡橋の下り車線側を中心に映し出していました)では道路の白線が途中でカクンと折れ曲がって,というか不連続になっており,ちょうどその不連続な辺りは右側から道路に何か大きなものが接触しているように見えました。もう少し注意深くみると「接触している」ものは船で,橋の上部構造が船の操舵室(ブリッジ)のようなところに食い込んでいるように見えました(実際は逆に操舵室の辺りが橋の上部構造に食い込んでいたのだと思います)。「これはエライことだ!」と頭が反応するまで1〜2分ほどかかったかもしれません。
 
意見交換会の会場準備をしていた橋建協のスタッフ(会員会社の役員・社員で,ほとんどが橋の設計や架設のプロ)に声をかけ,大急ぎでロビーのテレビ映像を見てもらいましたが,「詳細は分からないが,大変な事態であることは間違いない。」との意見でした。このように,関西国際空港連絡橋(以下,「関空連絡橋」と記す)の被災については,多くの会員会社の幹部が集まっていた沖縄で,ほぼ同時に知ることになりました。これがある意味で功を奏し,最初の建設時における施工会社に関する情報をはじめ,いくつかの重要な情報がごく短時間で集まり,橋建協,特にその後の復旧作業に当たることとなる株式会社IHIインフラシステム(以下,IISと記します)や高田機工株式会社の迅速な初動につながった側面もあろうかと思います。
 
後の報道等を整理すると,関空連絡橋へのタンカー衝突事故のあらましは,およそ次のとおりです。
 
関西国際空港に航空燃料を運ぶタンカー「宝運丸(ほううんまる:全長89m,2,591トン)」は,9月4日午前中,台風の到来に備えて関空連絡橋の南約2kmの地点で錨を下ろして停泊していましたが,強風が激しさを増す中,同日午後1時頃から北方向に向かって走錨(錨を下ろした状態で船舶が流されること)が始まりました。タンカーはこれに抗するべく,風上側(南方向)へ全力で前進を試みましたが走錨をくい止めることはできず,同1時40分頃,関空連絡橋の下り線側道路橋(りんくうタウン→空港島方向)の関空島付近(後述するA1〜P2周辺)に右舷から衝突しました(図表−1,2)。
 

図表−1 タンカー船衝突位置図(西日本高速道路株式会社提供)


 

図表−2 タンカー船衝突箇所(西日本高速道路株式会社提供)




 

2. 連絡橋の位置づけと建設・管理の経緯

関空連絡橋は,複線の鉄道橋と上下各3車線の道路橋が併設された3,750mの橋で,関西国際空港株式会社が事業主体となって1987年から建設が開始され1991年に竣工,空港開港の1994年に供用されました。建設には多くの橋梁メーカーが参画しましたが,タンカーが衝突した箇所周辺の区間は鋼床版箱桁構造で,松尾橋梁株式会社,株式会社栗本鐵工所(橋梁部門)など,現在はIISに統合された会社や高田機工株式会社等で構成されるJV(ジョイントベンチャー)が橋の工事(製作・架設)を担当しました。
 
道路橋の部分は当初,空港施設の一部として運営され,橋の所有者である関西国際空港株式会社が管理者でしたが,2009年に,道路資産については有償で独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構に移管され,その管理については西日本高速道路株式会社(以下「NEXCO西日本」と記す)に引き継がれました。法律上は,「道路法に基づく一般国道(481号)の自動車専用道路」(有料)という位置づけで,このカテゴリーの道路としては,例えば第三京浜道路(一般国道466号,東日本高速道路株式会社管理)などがあります。
 
以上のような経緯を背景として,タンカー衝突後の,緊急の自動車交通手段の確保やその後の復旧工事は,道路,とりわけ自動車専用道路の管理のプロ集団であるNEXCO西日本の統括の下,橋建協会員会社であるIISや高田機工株式会社などが参加して展開されることとなりました。
 
 

3. 被災状況等

3-1 上り線側道路の緊急点検と救出開始,対面通行

タンカーが衝突する以前から関空連絡橋は強風時の運用として通行止めとなっていましたが,衝突による桁の損傷によって鉄道・道路ともに通行不能となり,結果的に関西国際空港は(運用としてだけではなく)物理的にも陸路を断たれ,孤立することとなりました。
 
空港に取り残された約8千人の救出の上でも,また今後の空港と対岸(りんくうタウン)をつなぐ唯一のルートの確保という意味でも,タンカーが直接衝突したのとは反対側,すなわち上り線側(空港島→りんくうタウン方向)の道路橋の被災の有無,健全度の確認が最優先とされました。このため強風が収まるとすぐに上り線側の点検を始めましたが,橋と共に損傷したガス管(添架)から漏れ出したガスのために点検の中断を余儀なくされるなどの困難を伴ったものの,幸いにも上り線側道路橋には大きな損傷は認められず,5日午前零時40分頃から,上り線を活用した片側交互通行により空港に取り残された方々の対岸への移送が始まりました。
 
退避が終了した後,被災箇所のりんくうタウン側で上下線連絡用の渡り線を構築するなど,当面の交通運用のための改良工事が施され,9月7日の明け方からは(マイカー規制は講じられたものの),上り線側道路橋を活用した対面通行が開始されることとなりました。
 
このような,被災状況に照らした暫定的(緊急的)交通運用計画の企画立案,当該交通運用に必要な既存構造物への改造設計,当該設計に基づく工事の実施,工事に係る関係機関との交渉・調整。これら一連のプロセスを,ほぼ丸2日という短時間で処理したことはまさに「離れ技(はなれわざ)」の領域であり,実に驚くべきことです。NEXCO西日本の中枢から,現地で土木工事を担当する会社のオペレーターや作業員に至るまで,全ての関係者の間で,必要な情報の伝達・共有化,迅速な意思決定,明確な作業指示等のシステムがしっかりと働いていたものと思われます。

3-2 下り線側道路橋の破損状況と撤去の判断

被災翌日(5日)には橋脚,箱桁,船上などから橋の損傷状況の調査が始まりました。その結果,空港側の橋台1(Abutment1:A1)から対岸(りんくうタウン)に向かって最初の橋脚(Pier1:P1)までのスパンの桁(L=90m,以下「第1スパン桁」と記します),P1からその次の橋脚(P2)までのスパンの桁(L=98m,同「第2スパン桁」)が,タンカー衝突による深刻なダメージを受けていました。
 


  • 図表−3 桁の横ズレ状況(P1付近)
    (西日本高速道路株式会社提供)


  • 図表−4 桁の横ズレ状況(P2付近)
    (西日本高速道路株式会社提供)



第1スパン桁はP1地点で約1.5mの横ずれをしていました(図表−3)。また第2スパン桁はP2地点で約4m横ずれし,鉄道橋のブラケットにぶつかって鉄道橋を約0.5m横ずれさせていました(図表−4)。これらの横ずれを生じさせる強い衝撃力が作用した結果,第1スパン桁では延長方向で約3分の1強にブラケットおよびウェブの破断・変形が,また第2スパンでは延長方向の約3分の1程度にブラケットの,また延長方向のほぼ全域にわたってウェブの,それぞれ破断・変形が認められました(図表−5)。これらの桁の支承,伸縮装置(ジョイント),舗装,ガードレール,標識柱,照明柱などの付帯施設も大きく変形・破損していました(図表−6,7,8)。
 

図表−5 大きく横ズレし損傷した第2スパン桁(P2付近)(株式会社IHIインフラシステム提供)


 

図表−6 破損した支承(株式会社IHIインフラシステム提供)


 

図表−7 破損した伸縮装置(株式会社IHIインフラシステム提供)


 

図表−8 破損・変形した標識柱(株式会社IHIインフラシステム提供)



目視によるだけでも,2つのスパン桁を作業制約の多い現地(海上)で,しかも短期間のうちに,詳細な点検診断とその結果を踏まえた修復を行い,再び供用に付することはおよそ不可能と判断されました。さらに,横ずれした鉄道橋を元に戻し必要な補修を加えて鉄道の早期運行再開を図るには,そのための作業にとって空間的障害となる道路橋の2つのスパン桁を除去する必要があります。
 
以上の状況から,下り線側道路橋の2つのスパン桁を撤去するとの判断は,被災翌日の5日には決定し,その当日から具体的な撤去方法に関する検討が始められました。
 
 

4. 復旧作業

4-1 被災した道路橋2スパン桁の撤去

被災した2つのスパン桁の撤去の方針が決まった5日の時点で,IISではスパン桁を吊り上げるための起重機船(Floating Crane:FC船)や,それを工場のある岸壁まで運ぶ台船の手配を始めると共に,撤去に係る詳細な施工計画の検討に入りました。
 
FC船による桁の吊り上げには,それに先立って,桁の寸法や重量・重心,吊り金具を設置すべき箇所の部材強度など多くのデータと,それに基づく吊り上げ,吊り下げ時の安定計算や解析など膨大な作業が必要です。日本の橋梁事業では当然視されているとはいえ,関空連絡橋建設時の工事関係図書が,建設を担当した松尾橋梁株式会社や株式会社栗本鐵工所,等のJVから統合後のIISにしっかりと引き継がれ,的確に整理・管理されていたことは,桁の構造や寸法,重量,強度等の把握のための現地での調査時間を節約し,施工計画の立案に対して大きく貢献しました。仮にこれらの工事図書が散逸していたり,整理・管理状態が悪かったりした場合,現地での計測や測量,それを踏まえた計算等で膨大な作業が強いられたはずであり,桁の撤去,ひいてはその後の鉄道の運行再開は大幅に遅れていたに違いありません。
 
今回の復旧事業で,主役級の大きな役割を演じることとなった大型FC船「武蔵」の参加を得ることができたのも,大変幸運なことでした。「武蔵」は最大吊り能力が3,700tという国内最大級のFC船で,建設当時の桁の重量に舗装や標識等の重さが加わって1,000tを超える現在の(吊り上げ対象の)桁を,一定の仰角の下で,隣接する健全な桁にぶつけることなく吊り上げ,安全にしかも効率的に作業を行うには是非とも参加してほしいマシーンですが,全国多くの現場で作業需要が多く(要するに引っ張りだこで),運が悪ければ何か月も待たなければならない(あるいは,もっとリスクが高く,時間を要する工法や資機材を検討するしかない)ところでした。
 
また桁の撤去作業においては,作業を行う「武蔵」の位置を関空連絡橋や空港島に対して相対的に固定する必要があり,海中や空港島とのアンカーリング計画の立案,それに先行しての水深調査,陸上部の基盤調査等,ここでも膨大な調査や解析が必要となりました。
 
これらの調査,検討,解析を経て,吊り上げ対象となるスパン桁への吊り金具の設置,吊り上げ時の崩落を防止するための補強材の設置,吊り上げに支障となる構造のガス切断やボルト撤去など,事前の準備を整え,第1スパン桁は9月12日,第2スパン桁は同14日にそれぞれ撤去,台船に降置され,前者は和歌山県海南市の高田機工株式会社の和歌山工場へ,後者は大阪府堺市のIISの堺工場へと持ち込まれました(図表−9)。
 
なお道路橋スパン桁の撤去後,鉄道橋の補修が始まり,9月18日には鉄道の運行が再開されましたが,この鉄道橋の補修についても,橋建協の会員企業である株式会社横河ブリッジが参画しました。
 

図表−9 FC船で吊り上げられ撤去される損傷した桁(株式会社IHIインフラシステム提供)



4-2 桁の補修・再製作

高田機工株式会社の和歌山工場に持ち込まれた第1スパン桁については,工場での詳細な点検・診断が行われ,先述のとおり全体の3分の1強は損傷が大きく,再製作が必要と判断されました。残りの3分の2弱については損傷が軽微またはほとんど確認されない状況だったため,部分的な補修を施しつつ再利用することとしました。一方,IISの堺工場に持ち込まれた第2スパン桁については,全体が再利用困難と判断され,全面的に再製作を行うこととしました。補修や再製作に必要な材料手配については,時間ロスを回避するため,桁が各工場に持ち込まれる直前から既に暫定的・概算的に開始されていました。
 
再製作に必要な厚板を供給する鉄鋼メーカーや支承メーカーをはじめ,多くの資機材メーカーが,今回の復旧事業の重要性に理解を示し,最速での供給要請に応じてくれたことは,早期復旧にとって大きな力となりました。特に,(本稿を執筆した2019年9月の今も続いていますが)不足しがちな高力ボルトを,今回の事業における必要なタイミングで必要な量を確保できたことの意味は大きいものでした。
 
IIS,高田機工株式会社の両工場では,工場内のラインや人員について特別体制を敷くとともに,最新の技術や知見を踏まえつつ,製作工程の短縮につながる部材や構造の変更にも取り組み,同時に,疲労耐久性や耐防食性の向上を図り得るものについては,最新基準類の適用にも努めました。
 
こうした工程短縮の努力とサプライヤーの協力もあり,2つのスパン桁については,9月中旬の資材手配に必要な図面照査開始から約5か月後の翌年2月初旬には地組立てを終え,架設現場である関空連絡橋への搬出を待つばかりとなりました。

4-3 桁の架設

2019年2月12日夜から翌13日未明までの時間帯に第1スパン桁,その翌日には同じく夜間に第2スパン桁の架設が行われました(図表−10)。鉄道の「き電停止」と,滑走路の運用停止が可能な時間帯の中で,確実に,安全に架設を行う観点から,撤去時と同じくFC船「武蔵」を用いての施工となりました。
 
第2スパン桁架設のタイムテーブルをみると,午後11時30分からFC船の架設現場付近への移動に約30分,FC船の位置決め(係留)に約40分,桁の振れ止めに約10分,ケーブル巻き下げ(吊り下げ)に約40分,桁位置調整に約30分,荷重開放(桁の諸定位置への設置)に約15分,吊り具開放・ケーブル巻き上げに約15分,FC船の移送に約30分で,午前3時過ぎには所定の作業を終了しており,鉄道の「き電停止」が終了する午前4時30分(許容される工事時間帯)に対し,一定の余裕をもって架設工事を終了することができました。
 
なお,橋梁(第1,第2スパン桁)に設置される標識,照明柱,ガス管等については工場での地組立ての段階で予め桁本体に装着されたほか,後工程で必要となる伸縮装置等の資材も桁上に搭載したうえで,これらを一括して架設作業が行われました。このような工夫も,作業の効率化と工程の短縮,ひいては道路の早期供用に寄与したものと考えます。
 

図表−10 FC船で架設される再製された桁(株式会社IHIインフラシステム提供)



4-4 供用再開まで

架設が終了すると,直ちに吊り金具の撤去,伸縮装置の装着,ショットブラストによる鋼床版の研掃,舗装など,下り線側の供用に向けた作業が着々と進行し,2月27日の夜には復旧した下り線側の運用が開始されました。
 
これらの進行に合わせて,衝突事故以来,上下対面通行で運用されてきた上り線側の道路橋について,本来の上り線3車線運用に戻すための工事も進められ,4月8日には上下線各3車線,計6車線での運用が再開され,関空連絡橋は衝突事故以前の,本来の機能を取り戻すこととなりました。衝突事故から約7か月でした。
 
 

5. 危機管理と関係者間の連携

NEXCO西日本は,旧道路公団時代の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災:1995年)や分割民営化後の熊本地震(2016年)などの大きな災害のほか,大雨による法面崩落など,道路構造の破損や交通止めを伴う災害を幾度も経験してきました。そのたびに,早期の交通開放に向けた復旧活動を展開することになりますが,全面的な復旧に長期間を要する場合などは被災を免れた道路構造(今回の件では上り線側の道路橋)を活用して暫定的に(例えば対面通行などで)供用を図るケースも多くあります。これは,NEXCO西日本が管理する道路が,単に日常的物流や観光に関する交通を支えているだけではなく,被災した地域の救難や復興,経済再生等に不可欠なインフラとして期待されているからであり,万一交通開放が遅延すれば,被災地の復興にとって致命的なダメージとなりかねないからです。
 
このような被災と,その後の復旧に係る数々の経験は,NEXCO西日本という組織に高い危機管理意識を醸成し,早期の交通開放や復旧を実現する上での高度なノウハウを蓄積してきたのだと思います。これは,かつて旧日本道路公団やNEXCO各社とともに,道路計画や災害復旧事業などに係わった筆者の経験に基づく実感でもあります。
 
今回の関空連絡橋の復旧事業における,事故直後の対面通行による暫定供用,5か月半後(2月27日)の下り線側道路橋の運用,約7か月後(4月8日)の完全復旧(6車線開放)という経過も,同社の危機管理体制と,IISをはじめとする関係企業群に対する指揮や関係機関との調整等で発揮された高度なノウハウによってもたらされたものだと思います。
 
また今回の復旧事業では,参加した企業のいずれも,それぞれが担うこととなったミッションの遂行に強い責任と使命感を持つとともに,企業相互が信頼関係の下で必要な情報を共有し,IISの明確な指示の下で機動的に仕事をこなせたことが,事業の早期完遂につながったのではないかと思います。
 
例えば,被災した桁の撤去や再製作された桁の架設に活躍したFC船については,事前の水深の調査,位置決めのための係留計画の立案やそれに基づく措置,漁業関係者や他の航行船舶との調整など,極めて多様で煩雑な事前準備が必要ですが,これはFC船を所有する深田サルベージ建設株式会社が担当しました。
 
また今回の復旧事業では,例えば被災桁の吊り上げに先行しての吊り金具の溶接設置,再製作桁の架設後の吊り金具の切断,吊り上げの前後の玉掛作業,事故直後や復旧最終段階での交通の切り替えに必要な諸工事など,およそ全ての工程で大小さまざまの,大変手間のかかる仕事が必要でした。これらを確実に施工するためには,とび職をはじめとした高い技量を有するたくさんの職人などが必要ですが,その動員を含め,これらの仕事を主に担ったのは,IISの協力会社である株式会社松和工業でした。
 
そしてこれらの協力会社を束ね,それぞれの会社にミッションを具体的かつ明確に伝え,各会社の仕事を有機的につなぎ,復旧工事を総合的にマネージしたのがIISということになります。実に多くの企業,エンジニア,職人の参加により復旧事業が完了しました。
 
 

おわりに

平成と令和の時代を跨いだ今年(2019年)のゴールデンウィークには,関西国際空港は海外からのお客様や,海外へ出かけるお客様でにぎわいました。また6月末の「G20大阪サミット2019」では,各国首脳をはじめ,たくさんの参加者を迎えることとなりました。このような日程を控える中で,復旧事業に関わった全ての関係者は,精神的にも肉体的にも強いストレスを感じる日々が続いたものと思います。特に,被災状況が明らかではなく,作業方針が必ずしも確定していなかった事故直後は大変だったと思いますが,それを克服して早期復旧につなげた方々に深く敬意を表します。またその中で,私ども橋建協の会員企業が大きな役割を果たしてくれたことを誇りに思っておりますことを述べて,報告を終わります。
 
 
 

一般社団法人 日本橋梁建設協会 副会長兼専務理事  吉﨑 収

 
 
 
【出典】


積算資料公表価格版2020年1月号



 
 

 

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