建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料公表価格版 > 東日本大震災からの公園・緑地の復興および国営追悼・祈念施設の整備

 

はじめに

平成23年3月11日14時46分,三陸沖を震源としてわが国観測史上最大規模のマグニチュード9.0,最大震度7の東日本大震災が発生した。
東日本大震災は,被災地域が広範で,極めて多数の犠牲者を出すとともに,地震・津波・原発事故による複合的な災害であり,国民生活にも多大な影響を及ぼした。
 
政府は,当初,復興期間を令和2年度までの10年間と定め,復興需要が高まる平成27年度までの5年間を「集中復興期間」として,復旧・復興に向けて,総力を挙げて取り組んできた。
さらに,平成28年度から令和2年度を「復興・創生期間」と位置付け,復興期間の復旧・復興事業の財源として,10年間の総額で32兆円程度を確保して,取り組みをしてきた。
 
公園緑地分野においても,東日本大震災の発生により,多くの公園が被災を受けた。一方で,一部の公園緑地では津波被害を軽減する機能を発揮したところも見られた。
 
その後の復興では,被災地において多くの公園緑地の整備が行われ,国では,東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂,震災の記憶と教訓の後世への伝承とともに,国内外に向けた復興に対する強い意志の発信のため,岩手県,宮城県および福島県において,地方公共団体が設置する復興祈念公園の中に,国営追悼・祈念施設として中核的施設の整備を進めている。
岩手県と宮城県の同施設は,令和3年3月末に整備を完了した。
 
令和3年3月で被災地は震災から10年を迎えたところである。被災地における公園緑地に関するこれまでの取組みについて報告したい。

 
 

1. 復興まちづくりにおける公園・緑地

東日本大震災からの復旧,そして将来を見据えた復興に向け,被災地では津波災害に強い復興まちづくりが進められ,「減災」の考え方に基づき,海岸部から内陸までさまざまな施設による多重的な防御が検討された。
この中で,公園緑地は,復興まちづくりにおける良好な生活環境の確保等の平常時の機能に加え,避難地・防災拠点の機能や津波エネルギーの減衰効果を発揮する重要な社会基盤として,計画的な配置等の検討が進められてきた。(図−1
 
東日本大震災からの復興においては,被災市町村等における復興まちづくりの中で整備を進めることとなった公園緑地の整備に対して,国は,東日本大震災復興交付金(以下,「復興交付金」という)の基幹事業や,社会資本整備総合交付金の復興枠等により,予算面での支援を行ってきた。
 
復興交付金の基幹事業(都市公園事業)では,原則として浸水区域内で,津波災害からの避難地としての機能を持つ防災公園(避難築山など),後背市街地の津波被害を軽減する機能を持つ津波防災緑地の整備に対して支援を行ってきた。
宮城県岩沼市の沿岸地域においては,防災公園の整備に早期に着手。
当該公園では,津波時に一時避難場所となる「千年希望の丘」の整備を行った(図−2)。
また福島県の沿岸地域においては,海岸堤防や二線堤機能を持つ道路と一体となって面的な多重防御を果たす重要な施設として,防災緑地を整備することとし,主に県事業により11地区の津波防災緑地の整備を行っている。
 
社会資本整備総合交付金の復興枠においても,浸水区域外で浸水被害を受けた市街地からの避難地や防災拠点となる防災公園の整備に対し支援を行っている。
宮城県石巻市の石巻市総合運動公園は,東日本大震災発生時,自衛隊等の活動場所として機能した。
一部区画を除き,社会資本整備総合交付金の復興枠を活用し,災害時に備えた避難場所や防災拠点としての機能拡充を図っている。
 
上記のように防災・減災に資する公園緑地の整備の他,被災地では犠牲者への追悼と鎮魂,震災の記憶と教訓を広く後世に伝えるための公園,また,スポーツやレクリエーション,定住促進のための住民利便性の向上のための公園も,災害復旧事業や復興交付金の効果促進事業,福島加速化交付金等を活用し,整備されている。
 
岩手県釜石市では,鵜住居運動公園内に「釜石鵜住居復興スタジアム」が整備された(図−3)。
同スタジアムは,ラグビーワールドカップ2019日本大会の会場となり,大会開催を通じ,震災の支援に対する感謝と力強い復興の姿を世界に発信し,復興の象徴となっているところである。

  • 東日本大震災で見られた公園緑地の効果
    図−1 東日本大震災で見られた公園緑地の効果

  • 岩沼市 千年希望の丘
    図−2 岩沼市 千年希望の丘
  • 鵜住居運動公園
    図−3 鵜住居運動公園


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    2. 復興祈念公園と国営追悼・祈念施設

    平成23年6月,政府の東日本大震災復興構想会議は「復興への提言」をとりまとめた。
    この提言で示された「復興構想7原則」の1番目に,「失われたおびただしい「いのち」への追悼と鎮魂こそ,私たち生き残った者にとって復興の起点である」との観点から,「鎮魂の森やモニュメントを含め,大震災の記録を永遠に残し」,「教訓を次世代に伝承し,国内外に発信する」ことが掲げられた。
    東日本大震災復興対策本部は平成23年7月,「東日本大震災からの復興の基本方針」に,「地元発意による鎮魂と復興の象徴となる森や丘や施設の整備を検討する」ことを位置づけた。
     
    国土交通省は平成24年1月,関係機関と被災3県による「東日本大震災復興祈念公園検討会議」,有識者による技術的検討を行う「震災復興祈念公園基本構想検討会」を設置し,同年3月に「震災復興祈念公園の基本的考え方」を整理した。
    この基本的考え方において,国と地方との役割分担は「震災復興祈念公園は,原則として地方公共団体が整備するもの」とした。
    他方で,「一の地域を越え,広域にわたり甚大な被害が生じた未曾有の大災害である」ことから,「全ての犠牲者への追悼と鎮魂」,「日本の再生に向けた復興への強い意志を国内外に向けて明確に示すこと」,「震災からの復興を成し遂げた地域のすがたを示すこと」といった「役割が国にも求められる」とし,国と地域が連携して検討を進めることとされた。
     
    地元の意向などを踏まえ,岩手県は陸前高田市,宮城県は石巻市を復興祈念公園の候補地に決定した。
    平成25年秋に有識者,国と地方の関係行政機関で構成する「復興祈念公園基本構想検討調査有識者委員会」を岩手県,宮城県に設置。
    公園づくりのあり方を地域とともに考えるため,国,地元県・市の共催で市民フォーラム等を開催した。
    多くの関係者と意見交換を重ね,平成26年に岩手,宮城各県の公園基本構想が策定された。
     
    この基本構想を受け,岩手県陸前高田市,宮城県石巻市に国営追悼・祈念施設を設置することが平成26年10月に閣議決定された。
    具体には,地方公共団体が整備する復興祈念公園(都市公園)の中に,国が設置する公共空地として,国土交通省が中核的施設となる丘や広場等を整備することとした。
     
    福島県は,原子力災害への対応を優先する必要があり,復興祈念公園の候補地を双葉郡双葉町及び浪江町に決定したのは平成27年4月となった。
    有識者委員会での検討,シンポジウムを経て,平成29年7月に福島県の公園基本構想が策定され,同年9月に国営追悼・祈念施設を福島県双葉郡浪江町に設置することが閣議決定された。

     

    「東日本大震災からの復興の象徴となる国営追悼・祈念施設(仮称)の設置について」
    (平成26年10月31日閣議決定,平成29年9月1日一部変更)
     
    東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂や,震災の記憶と教訓の後世への伝承とともに,国内外に向けた復興に対する強い意志の発信のため,国は,地方公共団体との連携の下,岩手県陸前高田市,宮城県石巻市及び福島県双葉郡浪江町の一部の区域に,国営追悼・祈念施設(仮称)を設置する。

     
     

    3. 高田松原津波復興祈念公園(岩手県陸前高田市)

    陸前高田市は,岩手県太平洋側の最南端,気仙川の河口部に発展した地域である。
    高田松原地区には,約7万本の松や砂浜が広がる白砂青松の名勝高田松原があり,海水浴場や重点道の駅「タピック45」等に多くの観光客が訪れていた。
     
    東日本大震災により同市は甚大な被害を受け,死者・行方不明者は約1,800名にのぼり,岩手県内最大の被災市町村となった。
    津波により名勝高田松原は消失したが,唯一生き残った「奇跡の一本松」は復興のシンボルとして国内外の多くの人々を勇気づけた。
    平成24年5月に松の枯死が確認されたが,同市は世界中からの募金によりモニュメントとして保存整備した。
     
    平成26年6月策定の高田松原津波復興公園の基本構想には,次の基本理念が掲げられている。

     

    奇跡の一本松が残ったこの場所で
    犠牲者への追悼と鎮魂の思いとともに
    震災の教訓とそこからの復興の姿を
    高田松原の再生と重ね合わせ未来に伝えていく

     

    公園の基本方針には,「失われたすべての生命の追悼・鎮魂」の場とするとともに,奇跡の一本松とともに「復興への強い意志と力の発信」を国内外に行い,津波被害を乗り越えて自然と共生する「津波防災文化の継承」の場とすることが示された。
    名勝高田松原や古川沼などの「歴史的風土と自然環境の再生」を図るとともに,「市街地の再生と連携したまちの賑わい創出」に貢献し,公園の計画段階から「多様な主体の参加・協働と交流」の場とすることなども位置づけられた。
     
    平成27年8月策定の公園基本計画に基づき,岩手県と陸前高田市が復興祈念公園(約130ha)を整備し,国が「追悼の広場」,「海を望む場」等(約10ha)を整備。
    国のエントランスや管理棟,市の「道の駅高田松原」および県の「東日本大震災津波伝承館」は,公園事業と道路事業の連携により,国が一体的かつ象徴的な建築物として施工した。
     
     
    公園の空間構成として,「祈りの軸」と「復興の軸」の2つの軸を設定している。
    「祈りの軸」は,津波の来襲した広田湾の方向と津波が遡上した気仙川の上流方向を結ぶ主軸である。
    「復興の軸」は,旧道の駅タピック45,気仙中学校等の震災遺構,教訓と伝承の場となる東日本震災津波伝承館,暮らしと未来の象徴として再生する新たな道の駅高田松原をつなぐ軸である。
     
    2つの軸の交点を公園のエントランスとし,津波と復興を想起させる水盤を配した。祈りの軸上には,「追悼の広場」として築山に包まれた静謐な空間を整備し,広場中央には「献花の場」を配置。
    祈りの軸の先端に当たる防潮堤の上には,津波が来襲した広田湾,再生していく高田松原や復興に向かうまちの姿を望むことができる「海を望む場」を設けた(図−4,5)。
     
    市民,NPO,企業など多様な主体との協働による公園の管理運営を目指し,28の市民グループが松原の再生や震災伝承等に取り組んでいる。
    「高田松原を守る会」は,松原の再生に向けてボランティアによる松苗の育成や防災教育に取り組んでいる。これらの取組みは公園内に留まらず,地域の復興に向けた活動につながっている。
     
    令和元年9月,ラグビーワールドカップ2019釜石開催に合わせ,国営追悼・祈念施設の一部,道の駅高田松原および東日本大震災津波伝承館は利用を開始した。
    コロナ禍にも関わらず1年間で約60万人の来場者を迎え,復興ツーリズムや修学旅行での防災・減災学習の拠点として,県外からも多くの人々が訪れている。
     
    三陸沿岸地域へのゲートウェイ(玄関口)として,国内外の防災力向上と地域の活性化への貢献が期待されており,産官学の連携による広域的な震災伝承ネットワークの形成に向けた取組みが進められている。

  • 高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設(令和2年7月)
    図−4 高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設(令和2年7月)
  • 高田松原津波復興祈念公園のエントランスから望む「祈りの軸」
    図−5 高田松原津波復興祈念公園のエントランスから望む「祈りの軸」


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    4. 石巻南浜津波復興祈念公園(宮城県石巻市)

    石巻市の南浜地区は,旧北上川の河口部の平野に位置し,1960年以前は水田や湿地,砂浜と松原が広がっていた。
    高度経済成長期に区画整理事業が施行され,震災前は約4,500名が暮らす市街地が形成されていた。
     
    東日本大震災による石巻市の死者・行方不明者数は約4,000名であり,石巻市は宮城県最大の被災自治体となった。
    中でも南浜地区は津波の襲来と火災の延焼により被害が集中し,500名以上の方が亡くなられた。
    地震と津波により地盤沈下し,地区の一部は湿地化した。同市は復興計画に基づき,南浜地区を災害危険区域に指定し,防災集団移転促進事業を実施し,跡地を復興のシンボルとなる公園として位置づけた。
     
     
    平成26年3月策定の石巻南浜津波復興祈念公園の基本構想には,次の基本理念が掲げられている。
     

    東日本大震災により犠牲となったすべての生命(いのち)への追悼と鎮魂の思いとともに,
     ● まちと震災の記憶をつたえ
     ● 生命(いのち)のいとなみの杜をつくり
     ● 人の絆(きずな)をつむぐ

     

    公園の基本方針として,震災で失われたすべての生命,これまでの暮らしやまちに対して思いを寄せ,復興を祈念する場として,多くの人が集うことのできる「追悼と鎮魂の場を構築する」ことが示された。
     
    次に,震災の脅威や被害の大きさ,避難の必要性など「被災の実情と教訓を後世に伝承する」場を整備すること,自然への敬意や犠牲者の追悼の思いとともに,人々の絆をつむぐために樹木を植え,美しい杜へと時間をかけて再生することにより「復興の象徴の場としてメッセージを国内外に発信する」ことが示された。
     
    住宅移転によるコミュニティの衰退が懸念される一方,復興に携わる新たな人の絆も生まれつつあった。
    人と人のつながりの再生が真の復興につながるとの考えのもと,公園の計画段階から「多様な主体の参画・協働の場を構築」し,将来にわたって安定的に管理運営を行う体制の構築も基本方針に記された。
     
    平成27年8月策定の公園基本計画に基づき,宮城県と石巻市が復興祈念公園(約40ha)を整備し,国が「追悼の広場」,「中核的施設」等(約10ha)を整備。
    中核的施設内では,県が「みやぎ東日本大震災津波伝承館」として震災伝承のための展示整備を行っている。
     
     
    南浜地区は,湿地や松原などの土地の履歴が示すかつての「浜」であり,半世紀にわたり住宅地として多くの人々が暮らす「街」であった。
    そして,震災により,犠牲者を追悼し次世代に教訓の伝承と復興の意志を伝え続ける「祈念公園」となった。
    この「浜」,「街」,「祈念公園」の3つの場所性を尊重し,重ね合わせることを空間構成の基本コンセプトとした。
     
    「浜」の場として,かつて善海田と呼ばれ,震災後に湿地が表出した場所に池や湿地を整備するとともに,松原の復元により土地本来の自然環境を再生している。
    「街」の場として,骨格的な街路を幹線園路として残し,建物の基礎や堀を保存するとともに,この地の歴史を伝える善海田稲荷,濡仏等を公園区域から除外することで存置した。
    「祈念公園」の場としては,公園の中心に「追悼の広場」と献花のための「祈りの場」,震災伝承の場やビジターセンターとなる「中核的施設」を整備し,追悼の広場から公園に隣接する震災遺構「旧門脇小学校」,多くの方が避難した日和山までを一体的に望むことができる空間とした(図−6,7)。
     
     
    南浜地区では震災後,公園の工事前から市民やNPOが主体で,「がんばろう!石巻」看板や「南浜つなぐ館」での追悼や震災伝承,杜づくりのための育苗などの取組みが行われてきた。
    多様な主体の参画・協働による活動を今後も継続していくための中心的な場として,公園内に「市民活動拠点」を位置づけた。
     
    平成28年10月,公園の管理運営のあり方を公民協働で検討する「参加型維持管理運営検討協議会」が設立され,市民活動団体やNPO,企業などが参画した。
    同協議会の主催,企業や行政の共催により,平成29年から「石巻復興の森づくり植樹祭」が開催されている。
    市内外のボランティアなどによる苗木の植樹が行われ,10年間で15万本の植樹を目指している。
    令和3年2月,開園に向けて同協議会の活動を継承・発展する体制として,公募による23団体が参画する「参加型運営協議会」が設立された。
     
    石巻南浜津波復興祈念公園は,令和3年3月28日に開園した。
    国・県・市の連携による一元的管理とともに,協議会をはじめ多様な主体との公民協働の運営による公園の管理運営に取り組んでいく。

  • 石巻南浜津波復興祈念公園の整備状況
    図−6 石巻南浜津波復興祈念公園の整備状況(令和2年12月)
  • 「追悼の広場」から日和山までの一体的な伝承空間
    図−7 「追悼の広場」から日和山までの一体的な伝承空間


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    5. 福島県復興祈念公園(福島県双葉町・浪江町)

    双葉郡は福島県浜通りに位置し,前田川を境に南に双葉町,北に浪江町が位置しており,沿岸部には漁業・農業集落や田畑が広がっていた。
     
    東日本大震災により,双葉町では最大高さ16.5m,浪江町では最大高さ15.5mの津波が襲来し,双葉町中野地区,浪江町両竹地区等の集落は壊滅的な被害を受けた。
    さらに,福島第一原子力発電所の事故による避難指示で,双葉・浪江両町は全町避難を余儀なくされ,震災と原子力災害の複合災害を象徴する場所となった。
     
    平成29年7月に策定された福島県復興祈念公園の基本構想には,次の基本理念が掲げられている。
     

    生命(いのち)をいたみ,事実をつたえ,縁(よすが)をつなぎ,息吹よみがえる

     

    公園の基本方針では,基本理念を踏まえ4つの方針が示された。
    「生命をいたむ」では,隣接地で除染土壌等の中間貯蔵施設の整備が進められるなど,福島県の複合災害を俯瞰できるこの場所において,震災により犠牲となったすべての生命への追悼と鎮魂の場となることとし,「事実をつたえる」では,公園周辺の震災遺構「請戸小学校」,県が整備するアーカイブ拠点施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」等と連携した,震災の記憶と教訓の伝承を行うこととした。
    「縁をつなぐ」では,震災前からの地域の歴史文化を継承し,心を癒やす花の風景づくり等の市民活動の拠点を形成し,原子力災害により避難されている人々を含め,人々が支え合い助け合うための心の拠り所となる場を整備することとし,「息吹よみがえる」では,地域の生業の再生と軌を一にして,訪れた人々が地域の再生プロセスに関わり,国内外に向けた復興に対する強い意志を発信する場を整備することとした。
     
    平成30年7月に公園基本計画が策定され,福島県が復興祈念公園(面積約50ha)を整備し,国が「追悼と鎮魂の丘」等(面積約10ha)の整備を進めている。
     
    公園の施設配置計画(令和2年7月)では,時代が変化しても保ち続けるべき公園の骨格(スケルトン)と,時代の要請に合わせ進化する部分(インフィル)を設定した。
    また,「追悼と鎮魂の丘」は,公園の骨格をなす中核的施設である。
    すべての生命を悼む人々の想い,震災の事実や実情に意識を向ける「求心」の場とともに,復興への想いが波紋のように同心円状に広がっていく,復興への希望を「発信」する場となることをコンセプトに,中心に円筒形の空間を有する高さ16.5mの丘の整備を進めている。
    丘の上には津波が来襲した海や被災した集落跡を望む場,丘の中腹には花の風景を望む献花の場を設ける。丘の内部には,来訪者が震災前から震災直後,復興に向けた時間軸を感じ,想いを寄せることができる屋内空間の整備を行う(図−8)。
     
    令和2年9月,双葉町において福島県が整備する東日本大震災・原子力災害伝承館が開館し,隣接する復興祈念公園の広場等も一部利用を開始した。
    また,公園の整備状況や復興に向かう地域を望む場として,令和3年1月より国営追悼・祈念施設の一部を暫定利用している。
    福島県内では現在も,段階的な避難指示解除に伴い,住民の帰還や地域産業の再生等に向けた取組みが続けられている。
    地域のまちづくりと連携し,復興の時間軸に合わせた公園の整備・管理を進めていく。

  • 福島県復興祈念公園の整備イメージ
    図−8 福島県復興祈念公園の整備イメージ


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    おわりに

    東日本大震災から10年目が経過し,復興まちづくりも進んできたところである。
    各地で整備された公園が地域の核として機能し,また,復興祈念公園が,追悼と鎮魂,震災の記憶と教訓の伝承,復興に向けた意志の発信の象徴空間として,その役割を将来にわたって果たしていくことを期待したい。
     
     
     

    国土交通省 東北地方整備局 建政部 都市調整官
    峰嵜 悠

     
     
    【出典】


    積算資料公表価格版2021年8月号



     
     

     

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