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建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 建築施工単価 > 材料からみた近代日本建築史 その12 戦後建築に見るタイル -巨匠たちのタイル作法-

 

三つの話題作

1950年代初頭,戦後のスタートを飾るにふさわしい三つの建築が誕生して建築界の話題を集めた。『リーダーズ・ダイジェスト東京支社』(1951年)と『日本相互銀行本店』(1952年),そして『日活国際会館』(1952年,写真-1),いずれも日本建築学会賞を受賞した建築である。
 

写真-1 日活国際会館(『日本の技術100年 6建築・土木』筑摩書房1989年)】



『リーダーズ・ダイジェスト東京支社』は,本連載においても度々取り上げられてきた戦後建築の名作である。設計者のA・レーモンドは戦前期より鉄筋コンクリート造に取り組み,霊南坂の自邸においては打ち放し仕上げにも挑戦していた。一時帰国していた米国において,さらに進んだ鉄筋コンクリート造技術を習得,その表現とディテールに磨きをかけていた。この建築にみるピロティ,キャンティレバー,カーテンウォール,打ち放しコンクリートといった技術と表現はその成果であった。
 
『日本相互銀行本店』は,レーモンドの下から独立して独自に日本の近代建築を模索していた前川國男にとって戦後のスタートを飾る作品となった。“工業化”と“軽量化”を最大の目標として,全溶接の鉄骨とアルミのカーテンウォール,そして軽量コンクリートによるプレキャストパネルなど日本初の数々の新技術を取り入れた意欲作であった。その設計姿勢である“テクニカル・アプローチ”は戦後モダニズムを推進する上での一つの指針ともなった。そして,打ち放しコンクリートとアルミのカーテンウォール,そしてプレキャストパネルは戦後建築の外観を決定づけるものとなった。
 
もう一つの『日活国際会館』は,竹中工務店の設計施工による商業とオフィスとホテルからなる大規模複合施設であり,軟弱地盤に対応する地下工法として発案された“潜函工法”に対して高い評価が与えられた建築である。外観デザインにおいてもパステルカラーのタイルと白ペンキの塗られたスチールサッシ,大きなガラスの開口部などを特徴とするモダニズム建築であったが,前二者と比べるとデザインの評価は高くはなかった。その理由は全面タイル張りの表現にあったといわれている。
 
設計の担当者である伴野三千良(とものみちろ)は,村野藤吾の事務所から竹中工務店に移籍,戦後の設計部の中核を担った人物である。つまり『日活国際会館』は,戦前期の村野の代表作である『森五ビル』や『宇部市渡辺翁記念会館』といった作品の流れを汲むものであった。にもかかわらず,外観デザイン上の評価を得られなかったのはなぜか。戦後は“虚飾”を廃することをスローガンに掲げたモダニズムの価値観が大きな主流となっていたからである。
 
1960年代においても,竹中工務店設計部は外装のタイル表現にこだわり続けた。その中心にいたのは『国立劇場』のコンペで名をはせた岩本博行である。村野藤吾に心酔していた岩本にはタイルを用いた二つの名建築がある。有田焼のタイルを用いて色と素材の魅力を示した博多の『天神ビル』(1960年)と大阪の『御堂ビル』(1965年)である。竹中工務店の本社が入る『御堂ビル』の外壁には茶褐色の小口タイルが張られているが,岩本自身はこの茶褐色を「木の古くなった色」でイチョウの葉との対比が美しいことを強調している。並木の美しい御堂筋に建つ名建築の一つである。日本の伝統的な統一美を重視する岩本の設計理念は設計部内において“岩本イズム”といわれていた。そこには建築家たちが追求していた打ち放しコンクリートのもつ“作品性”よりも,ゼネコン設計部としての“堅実性”を重視した上で美を追求する姿勢が見受けられるのである。
 
 
 

“建材としてのタイル”と“表現としてのタイル”

タイルという外装材に対する近代建築家たちの反応は複雑である。戦前期においては,当初は小口タイルを張り巡らせたドイツ系(バウハウス系)のモダニズム建築が隆盛であったが,徐々にドイツ系モダニズムを“衛生陶器”と揶揄(やゆ)するフランス系(コルビュジエ系)の若手建築家たちが登場してくる。戦後建築界をけん引することになる前川國男,坂倉準三,丹下健三といった人々であり,さらに先輩としてA・レーモンドの存在もあった。彼らは,虚飾としてのタイル表現を嫌い,打ち放しコンクリートやガラスのカーテンウォールなどの表現へと向かっていった。
 
こうした先駆的な建築家たちの動向にあっては,外装タイルの使用には劣勢の感があるが,コンクリートの保護を目的とした外装タイルは着実に建築界に浸透していったことも事実である。外装材をめぐる戦後の建築活動は“建材としてのタイル”と“表現としてのタイル”との葛藤の歴史と捉えることもできる。
 
戦後のタイル産業そのものは順調な伸びをみせた。戦争によっていったんは中断されたタイル製造は,進駐軍からの大量発注による需要がきっかけで息を吹き返した。中でも台所や浴室,便所といった衛生関連施設へのタイルの使用は,その普及を一気に促すものであった。“タイルと衛生”はイメージの上でも強く結びついていた。タイルが日本の一般家庭にも広がる契機となったのは1955年に発足した日本住宅公団である。“ステンレス流し”,“シリンダー錠”,そして憧れの“ダイニングキッチン”といった装置とセットになって台所やトイレを住宅の中に組み込んでいった。
 
1960年代に入るとタイルの分野においても技術革新が進み,成形工程での機械化,自動化,高速化が確立した。さらに1970年頃からはイタリアを中心としたデザインタイルとその生産方式も浸透し,内外装にわたる“建材としてのタイル”は大きな販路を獲得していったのである。
 
一方,建築家の作品世界ではどう扱われていたのか。1958年の伝統論争をきっかけとして,鉄筋コンクリート造の表現にさまざまな試みが展開された。また建築と美術の融合という観点から,打ち放しコンクリートと装飾タイルとを共存させる試みなども行われた。丹下健三の『旧東京都庁舎』(1957年)は鉄骨造による柱梁の美しい外観が人々を魅了しただけでなく,市民の憩いの場である1階ピロティの壁面に岡本太郎の陶壁画[日の壁]と[月の壁]が描かれ,無機質なモダニズム建築に彩りを添えた作品であった。また『香川県庁舎』(1958年,写真-2)には,1階ロビーの壁面に猪熊弦一郎による[和・敬・静・寂]の4文字が陶壁画で描かれ市民の話題を集めていた。1960年代後半になると,明治建築に対する研究の進展に伴い,建築界では赤煉瓦の再評価が語られるようになり,さらに一般社会においても“煉瓦色”に明治のノスタルジックな雰囲気を感じとる風潮が高まると,煉瓦色の外装や床タイルなどが新築の建築にも使われるようになってくる。特に外装タイルの窯変ものや色ものは,根強い理解者に支えられていたのである。
 

写真-2 香川県庁舎(撮影:大川)】



こうした中,建築家たちは“表現としてのタイル”にどのように取り組んできたのか。打ち放しコンクリートとガラスのカーテンウォールの表現に不信感を抱いていた建築家の試みを個別にたどってみたい。
 
 
 

村野藤吾のモザイクタイル

村野藤吾の戦後初の作品は『世界平和記念聖堂』(1954年,写真-3)である。この作品は鉄,ガラス,コンクリートを主とした戦後モダニズム建築に対し,常に一定の距離をとり続けた村野の出発点となった。その外観は,鉄筋コンクリート造の外壁に垂直水平の柱型と梁型をつけて格子状とし,その格子枠の壁面部分に煉瓦やタイル,セメントブロックなどを張りつけ,壁面に独特の陰影と色調を生み出している。
 

写真-3 世界平和記念聖堂(撮影:大川)】



村野の戦後作品には,戦前の『宇部市渡辺翁記念会館』(1937年)のように建築全体をタイルが覆い尽くすような作品は少なくなり,コンクリートとの組み合わせを積極的に展開している。『米子市公会堂』(1958年,写真-4)では打ち放しコンクリートの柱と梁に対し,ボーダーの枠組みを伴ったタイルが使われているが,『世界平和記念聖堂』で採用した煉瓦の延長上にタイルが位置付けられていることがわかる。この手法は『横浜市庁舎』(1959年)や『関西大学図書館(現 簡文館)』(1955年),そして『早稲田大学文学部校舎』(1962年)などに継承されている。
 

写真-4 米子市公会堂(撮影:大川)】



村野建築の特徴の一つとして華やかなモザイクタイルの使用がある。好例はデパート建築に多く,見どころはファサードとエントランス,そしてエレベーターおよび階段回りに集約される。『そごう大阪本店』(1935年,写真-5-1)ではラジオのグリルを模した斬新な外観とエントランスの天井に描かれたガラスモザイク(写真-5-2)が人々の注目を集めた。名古屋の『丸栄本館』(1953年,写真-6-1)は村野にとってデパート建築の戦後第1号となった。日本建築学会賞を受賞した唯一のデパート建築であり,村野自身が自らの出世作と呼んでいる作品でもある。見どころとなるファサードは2カ所,第1期に造られた北側ファサードと第2期の西側ファサード(写真-6-2)である。
 

写真-5-1 そごう大阪本店(撮影:大川)】

写真-6-1 丸栄本館(『建築モダニズム』エクスナレッジ2001年)】


写真-5-2 そごう大阪本店 ガラスモザイクの天井(撮影:大川)】

写真-6-2 丸栄本館 西側(『建築モダニズム』エクスナレッジ2001年)】


北側の外観は,柱間に柱幅に準じた小壁を均等に配してリズミカルな縦のラインを形成させ,それを各階のスラブの位置と小壁間の開口部のグリッドラインと重ね合わせることで端正かつ洗練されたファサードを創り出している。縦ライン部分にある薄紫色のモザイクタイルは,上層にいくほど徐々に色味が薄くなり,全部で8段階の色調に変化するカラーコンディショニングが施され,しかもこのラインを人造石のグリッドが引き締めている。この手法は,各種の顔料を用いて着色させた“カラコン・モザイク”として広く流行した。日本建築学会賞の受賞理由では「作者独自の奔放雄大な構想と繊細巧緻な成果」と評されている。10年後に創られた『日本生命日比谷ビル』(1963年,写真-7)では,有機的な内部空間とアコヤ貝を用いた華麗なインテリアをもつ劇場空間を生み出したが,モダニズムを標榜(ひょうぼう)する評論家や建築家たちからは非難の声も上がった。
 

写真-7 日本生命日比谷ビル(撮影:大川)】



佐藤武夫の煉瓦タイル

村野の大学時代の後輩にあたる佐藤武夫もまた,建築の外装に肌理(きめ)のある表現を求め続けた建築家である。村野が外装デザインに多種多様な手法を展開したのと比べると,佐藤の場合は“煉瓦タイル”へのこだわりに特徴がある。代表作である『旭川市庁舎』(1958年)を始めとして全国各地に端正な庁舎建築を創り続けたが,特に寒冷地に建つ建築の場合には独特の温かみを与える要素として煉瓦タイルが使われている。最晩年の作品である『北海道開拓記念館』(1970年)は,深い軒の出と袖壁に囲まれた矩形の建物で,その内外にわたって煉瓦タイルが張り巡らされており,佐藤の煉瓦タイルの総決算ともいうべき作品となっている。
 
 
 

谷口吉郎のボーダータイル

金沢出身で,九谷焼の窯元の出である谷口吉郎の作品に“硬質の抒情(じょじょう)”を感じとる人も多い。焼物好きであることから,その作品にはさまざまな陶製の材料や使用法が提案されている。またコンクリート,ガラス,木,石,タイルなど,多くの材料を用いながらも,そこに全体的なハーモニーを展開させるところに谷口の巧みさがある。陶物(すえもの)を使う場合もセラミックの特質の一つである艶(つや)のある釉肌を嫌い,土の素地のもつ乾いた味わいを大切にする点も特徴の一つである。
 
谷口のタイル作品は『帝国劇場』(1966年,写真-8)を境に大きく変化したといわれる。その後の作品を特徴づける“縦長のボーダータイル”の大々的な採用である。『帝国劇場』の外観では,上部のカーテンウォールのステンレスと艶消しボーダータイルとが対比的,効果的に使われている。日本の伝統的な味わいの追求から選ばれたという“埴輪(はにわ)色”がロビーの壁面に落ち着きを与える。猪熊弦一郎らの美術家による作品も一体となって華やかな劇場空間を生み出している。まさしく建築空間の工芸的扱いの名手といえる。
 

写真-8 帝国劇場のファサード(撮影:大川)】



上野の東京国立博物館の構内に建つ『東洋館』(1968年,写真-9)は,日本的な佇(ただず)まいを見せる現代建築である。日本趣味建築の本館との対比も興味深く,戦前と戦後の建築家の“日本的なるもの”の理解の推移を示す好例である。水平方向に伸びやかに広がる外観,建具に見られる縦長のプロポーション,そしてボーダータイルに包まれた柔らかな表面。ゆるぎない端正さを見せる作品である。
 

写真-9-1 東京国立博物館東洋館(撮影:大川)】

写真-9-2 東京国立博物館東洋館のボーダータイル(撮影:大川)】


彩色された粗面ボーダータイルの総決算が上野の『日本学士院会館』(1974年,写真-10)で,朱泥のボーダータイルの目地模様は,まるで織物のようにも見える。1階ロビーには灰褐色の表面をもつシャモット入りのボーダータイルが使われて渋さと軽快さを演出している。
 

写真-10-1 日本学士院会館(撮影:大川)】

写真-10-2 日本学士院会館(撮影:大川)】


谷口建築の神髄は優れたプロポーションにあることは大勢の識者によって指摘されている。その研ぎ澄まされた比例感覚から生まれた厳しい構成美に柔らかな感触を与えているのが,ボーダータイルによる陶片の壁なのである。
 
 
 

今井兼次の装飾タイル

建築の表層を飾る材料であったタイルが,建築そのものを侵食し,主役の座を占めるようになった,そんな印象を与えるのが今井兼次の装飾タイルの作品である。きっかけはいうまでもなくA・ガウディの作品である。『大多喜町役場』(1959年,写真-11)はコンクリート打ち放しでスチールサッシの大きなガラス開口部をもつモダニズム建築であるが,人の目に付かない屋上に陶片モザイクが描かれている。町の人々の日常雑器を寄せ集めて造られた陶片モザイクは,建築に生命を注ぎ込むための行為として行われたものである。
 

写真-11 大多喜町役場(撮影:大川)】



建築を創る行為に,祈りにも似た精神的な営みを感じ取る姿勢から,日本における稀有(けう)なガウディ風の作品『日本二十六聖人記念聖堂』(1962年,写真-12)が誕生した。この試みは,さらに皇居の敷地内に建つ皇室専用の音楽堂『桃華楽堂』(1966年)にまで続いている。現場において納得がいくまで何度となく,やり直しを繰り返す建築家とタイル職人との葛藤は,伝説として語り継がれている。今井兼次にみる装飾タイルの存在は,近代化を推し進めてきた日本のタイル業界の課題である工業化,規格化,省力化に対する最大のアンチテーゼとなっているのである。
 

写真-12-1 日本二十六聖人記念聖堂(撮影:大川)】

写真-12-2 日本二十六聖人記念聖堂(撮影:大川)】


前川國男の打ち込みタイル

芸術作品そのものと化したかのような今井兼次の装飾タイルとは対照的に,日本の気候風土に適した近代建築を模索し続けてきた闘将・前川國男にとっての外装タイルはどのような意味をもっていたのか。冒頭で紹介した『日本相互銀行本店』に始まる前川國男の建築活動は,後半生には打ち込みタイルの表現へ,工業製品から焼物への変化である。
 
工業化と軽量化を目的とした近代建築の試みに変化が現れるのは『京都会館』(1960年,写真-13)からである。伝統的な街並みの中に建つ近代建築という大きな課題に取り組んだ前川は,街路からピロティへ,さらに中庭へと続く動線を軸とする配置と回廊の構成による日本的な空間を演出してみせた。外壁には朱色とチョコレート色のラフな肌合いをもつ煉瓦サイズのタイルが張られ,床には網代張りされたセラミックの床材が使われ,外壁と床面に陶物仕上げによる豊かな表現が生み出されている。近代建築の闘将としてスタートした前川の回心(かいしん)と後期の方法を暗示する作品となった。
 

写真-13-1 京都会館(撮影:大川)】

写真-13-2 京都会館(撮影:大川)】


『東京文化会館』(1961年,写真-14)は前川の最高傑作と評される作品。コンクリート打ち放しのダイナミックな大庇が外観を特徴づけているが,実は多くの陶物の使用がその魅力を引立てている。城の石垣を想わせるホールの外壁はプレキャストコンクリート板に細石を埋め込んだもので,タイル先付け工法の先駆である。大ホールのロビーから,その前庭テラスにおよぶ床面の陶物構成,白と濃淡の数種の色合いをもち,しかも素面のものと平滑面のものがある三角タイルを巧みに組み合わせて敷き詰めている。ロビーのダイナミックな空間構成と床面のパターンとが見事に融合している。人々は落葉を踏みしめるような感覚でロビーの中を歩き回る。ランダムに配された天井からの光は,おそらく木漏れ日のような印象を人々に与える。上野公園の散策の途中に音楽堂に出会ったかのような想いを抱くに違いない。
 

写真-14-1 東京文化会館 ロビー(撮影:大川)】

写真-14-2 東京文化会館 床タイル(撮影:大川)】


『紀伊国屋ビル』(1964年)もタイル建築の名作の一つであろう。新宿の雑踏の中,落ち着きのあるタイルに身を包んだ長身の貴婦人の趣がある。打ち込みタイルの両側壁とそれらをつなぐプレキャストコンクリートの反りのついた庇,その足元にポケットパークのような小さな広場空間を生み出し,裏通りへと続く胎内化されたプロムナードの構成など,単なる商業ビルを越えた魅力をもっている。
 
1970年に書かれた論考の中で前川は,「近代建築がその草創期に似非(えせ)古典主義を否定し,裸になれと言ったことは正しかったと思います。しかし裸になっただけで建築が誕生すると思うことも早合点に過ぎました」と述べている。建築の外皮がもつ意味と,さらに都市空間への展開を予見した言葉である。堂々たる体躯をみせる『東京文化会館』の14年後に建てられた『東京都美術館』(1975年,写真-15)は打ち込みタイルを身にまとい地中深く静かに佇む姿となった。さらに『埼玉会館』(1966年)や『埼玉県立博物館』(1971年)では,都市空間において主役となった広場空間とそれを支える脇役の建築との関係へとたどり着く。そこでは外部である広場空間を温かく演出する素材としてタイルが活かされている。
 

写真-15-1 東京都美術館(撮影:大川)】

写真-15-2 東京都美術館の打ち込みタイル(撮影:大川)】


前川の提案した現場打ち込みタイルは,性能劣化や剥落という欠点をもつ在来の後張り工法を克服するために発案されたものである。タイルをあらかじめ外型枠に釘止めし,コンクリートを流し込み,コンクリート躯体とタイルを一体化させるものである。前川は,1960年代からその開発に取り組み,作品ごとに土の材質,焼き方,釉薬のかけ方,タイルの大きさなどについて試作を繰り返し,その表情を確認しながら製作にあたった。長い時間の中で,風合いを増す窯業製品に対して大きな魅力を感じていたのである。
 
晩年の前川は,コルビュジエの思い描く近代世界ではなく,W・モリスの中世主義に強く惹(ひ)かれていたことはよく知られている。前川の打ち込みタイルには“工業化社会におけるモノづくり”という近代の命題への深い問いかけが込められているのである。

 
 
 
【参考文献】
●『日本のタイル工業史』INAX,1991年
●『日本のタイル文化』淡陶,1976年
●『装飾タイル研究 第4巻』志野陶石出版部,1978年
●『建築家 前川國男の仕事』美術出版社,2006年
●『谷口吉郎著作集』全5巻,淡交社,1981年
●『村野藤吾のファサードデザイン』京都工芸繊維大学美術工芸資料館,2013年

 
 

大川 三雄(おおかわ みつお)

1950年群馬県生まれ。日本大学理工学部建築学科卒。同大学院理工学研究科修士課程修了。現在,日本大学理工学部特任教授。博士(工学)。主な著書に「近代日本の異色建築家」(朝日新聞社),「日本の技術100年6建築・土木」(筑摩書房),「近代和風建築 -伝統を超えた世界-」(建築知識社),「図説 近代建築の系譜」(彰国社),「建築モダニズム」(エクスナレッジ),「図説 近代日本住宅史」(鹿島出版会)など。
 
 
 

日本大学 理工学部 建築学科 特任教授 大川 三雄(おおかわ みつお)

 
 
 
【出典】


建築施工単価2015年夏号



 

 

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