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建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 建築施工単価 > 材料からみた近代日本建築史 その13 メタルラスと鉄鋼コンクリート

 

わが国におけるメタルラスの導入

建物の外壁は短期間で施工できる窯業系のサイディングが普及したことによって,モルタル仕上げが大きく減少した。ところが近年,左官職人が鏝(こて)から創り出すモルタルの独特な風合いが脚光を浴びるようになり,その下地に用いられているメタルラスの需要が伸びているという。
 
昭和8年に発行された『高等建築學 第3巻 建築材料(以下,高等建築學という)』には「壁,天井等の下地となる鐵製木摺を總稱してメタルラスと云い,薄鋼板より作るものと鐵線を編み合わせたものとの2種がある。前者を一般にラスと呼び後者を鐵網と稱してゐる(傍点筆者加筆)」と記されている。続けて,ラスについては「形状より云えば力骨を有するリブラスと之を有せざるもの,板に切目を入れ伸張したヱキスパンデッドメタルラスと板に孔を明けたシートラスの區別がある(傍点筆者加筆)」と分類している。
 
わが国にメタルラスを最初に紹介したのは曾禰達蔵とされ,明治24年4月発行の『建築雑誌』に「金屬製の木摺貫」のタイトルで投稿している。その形状は「金属木摺の中小さき孔を穿ちたる波形」と記してはいるものの,写真などは見当たらない。形状と年代から推測すると,曾禰が伝えたメタルラスは明治23年にアメリカのボストウィックメタルラス社が出したカタログに掲載されていたものではないかと思われる(図-1)。そして,このメタルラスはタイトルより特許を取得して商品化されたものであったことが分かる。
 
一方,わが国で最初にメタルラスを考案したのは建築家の石井敬吉であった。彼は,明治25年4月16日に「壁用鐵板」(図-2)で特許を取得した。その当時,彼は東京帝国大学で教鞭をとっていたために,海外の最新事情をいち早く入手することが可能であったと考えられる。そして近い将来,日本でメタルラスが普及することを見据えて,文献や知人などからの情報をもとに,メタルラスを考案したのではないかと思われる。
 
また,京都帝国大学で教鞭をとっていた建築家の武田五一も大正3年に「金屬板壁下地」で特許を取得している(図-3)。
 
このように,当時の建築家は建物の設計だけではなく,新たな工法にも興味を示しており,多才ぶりを発揮していたことが分かる。ただし,両者ともに考案したメタルラスが商品化された形跡は見当たらない。
 

図-1 ボストウィックメタルラス社が販売したメタルラス(出典:Bostwick Metal Lath Co., “THE BOSTWICK patent FIREPROOF IRON LATH”, New York, 1890, Building
Technology Heritage Library)】

図-2 「壁用鐵板」(特許資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】

図-3 「金屬板壁下地」(特許資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】


特許・実用新案を取得したさまざまな形状のメタルラス

石井による特許の取得をきっかけに,わが国ではさまざまな形状のメタルラスが考案された。特許・実用新案を取得したメタルラスは「ラス類」の項目に分類されていた。石井が特許を取得した明治25年から,近代の一つの区切りとなる第二次世界大戦が終結した昭和20年までに『特許分類別総目録』と『実用新案分類別総目録1』に掲載された「ラス類」は345件にものぼる。ここではどのような形状のものが考案されたのか,特徴的なものを一部紹介したい。
 
まず,エキスパンデッドメタルラスには,ドイツ人のフィリッツ・エベネルが大正2年に考案した「金屬薄鈑等ヨリ製作セル格子構材」がある。形状は薄鉄板へクランク形に切れ込みを入れ,山折りと谷折りを組み合わせ,1枚の板から細かな凹凸を創り出している(図-4)。
 
シートラスでは大正2年に鈴木富太郎が考案した「鈴木式鋼鐵板『ラス』」がある。これは波板鉄板にU字形の切れ込みを入れ突起部分となる爪を起こした形状である(図-5)。
 

図-4 「金屬薄鈑等ヨリ製作セル格子構材」(特許資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】

図-5 「鈴木式鋼鐵板『ラス』」(特許資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】


ちなみに彼は,現在の(株)LIXIL鈴木シャッターの前身となる「建築金物商会」の創業者であった。
 
リブラスでは昭和7年に星野敏郎が考案した「『リブ』附『ラス』」が実用新案へ登録されており,特徴となるリブは薄鉄板に切れ込みを入れて押し広げたエキスパンデッドメタルラスにアングルを任意の場所に取り付けられるようになっている(図-6)。
 
続いて,鐵網についてはワイヤラスとも呼ばれており,明治44年に川崎寛美が「鐵網混凝土」の名称で実用新案を取得した。これは螺旋(らせん)状に加工した番線を横方向に編み合わせたものである(図-7)。
 
『高等建築學』では,メタルラスをラスと鐵網に大別していたが,対象の「ラス類」には,この二つに分類しにくいものがある。
 
上阪友次郎は川崎が考案した「鐵網混凝土」と同じ名称で大正5年に実用新案を取得した。これはひねりを加えた帯鉄を井げた状に組み,菱形に編み込まれたワイヤラスを合体させた形状である(図-8)。
 

図-6 「『リブ』附『ラス』」(実用新案資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】

図-7 「鐵網混凝土」(実用新案資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】

図-8 「鐵網混凝土」(実用新案資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】


さらに,横河工務所にいた田中綱が大正9年に考案した「構築用下地」は,1枚の薄鉄板から突起部分を並行させるように折り曲げて,番線を井げた状に組んだ形状である(図-9)。
 
これらはエキスパンデッドメタルラスとワイヤラスを組み合わせた「鋼製複合ラス」に分類できる。そのほかには金属以外の人工材料を用いた「加工ラス」と植物を利用した「植物ラス」もある。
 
「加工ラス」については,昭和4年に瀧川鷲郎によって考案された「アスベストセメント・ラス」があり,これは,金属製のシートラスをアスベストセメントに置き換えたものである(図-10)。
 
また,大島勝市が昭和15年に考案した「壁下地」がある。これは逆台形断面の剛性材料を並列させ,全体をアスファルトシートで覆いかぶせた形状である(図-11)。
 
「植物ラス」については,昭和15年に越智隆春が特許を取得した「ラス」がある。これは,竹を一定の長さに切り揃え半割にしたものを千鳥状に並べ,番線でつなぎ合わせている(図-12)。
 

図-9 「構築用下地」(特許資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】

図-10 「アスベストセメント・ラス」(実用新案資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】


図-11 「壁下地」(特許資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】

図-12 「ラス」(特許資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】


対象とした345件の「ラス類」について,五つに分類できたものを出願年ごとにグラフに示した(図-13)。なお塗り材には,コンクリートに加えモルタルや漆喰などがあった。
 

図-13 明治25年~昭和20年までに特許・実用新案を取得した「ラス類」における出願年ごとの件数】



分析の結果,年間の平均登録件数が8.8件となっている中で,大正13年と昭和7年ならびに昭和14~15年は平均登録件数の2倍を超えており,その理由について考えてみる。
 
まず,大正13年については,前年の9月1日に起きた関東大震災での被災状況を踏まえ,防火性能の高いコンクリートやモルタルが着目されるようになり,その下地となるメタルラスの需要増加を見込んで,登録件数が増えた可能性を指摘できる。ただし「ラス類」の登録件数は大正10年から増加傾向にあったため,この頃から少しずつ着目されるようになっていたところへ関東大震災が発生し,その必要性が加速したものと考えられる。
 
昭和7年は満州国の建国に伴い大陸への進出が積極的に行われ,需要が増加することを見越した結果であったと思われる。
 
そして昭和14~15年は,戦時色が徐々に濃くなり空襲に備えて外壁の防火性能を高めようとした結果であるといえる。ところが,この時の状況は,それまでと異なり,使用材料には金属を避けた「植物ラス」や,金属であっても新しい材料から製造するのではなく,ペン先などの廃材を再利用したものであった(図-14)。
 

図-14 「ラス」(実用新案資料)(出典:特許情報プラットフォーム)】



このように考案された「ラス類」の出願数は時代の流れに大きく影響を受けていることが分かった。また,考案者は日本人だけではなく外国人もいた。さらに,建築家に加え技術者や経営者なども確認できた。ただ,同一人物が類似の形状で何点も考案している例や,問題なく施工できるのか疑問を呈する形状のものも多く見受けられた。換言すれば,考案された「ラス類」の中には耐震・耐火建築の推奨や大陸進出を背景に,一獲千金を夢見て非現実的なものが多くを占めていることが明らかとなった。
 
その一方で,特許・実用新案を取得し量産化に成功して商品化されたものもあった。そのうち,ラスについては海外で商品化されていたものが日本へ導入されたが,ワイヤラスについては,機械製造に成功し,日本ではじめて商品化へと結びつけたのは「鐵網混凝土」を考案した川崎であった。
 
 
 

鉄網コンクリートの誕生

川崎は文久3年に鹿児島で生まれた。ちなみに幼名は正熊で,16歳の時に改名している。明治39年に爵位を受けるまでの間に外務省勤務を経て,日本銀行や台湾銀行,京釜鉄道の理事を務めた後,「川崎工場」を設立した。
 
工場設立までの経緯は川崎美貴子氏によって紹介されており,要約すれば以下のとおりである。“明治41年に隠居生活を送っていた川崎のもとへ,金網製造機の発明に取り組んでいた2人の若者が資金援助を求めてきた。残念ながら,この発明は上手くいかなかったものの,今度は川崎自身が金網製造機に興味を示し発明にのめり込んでいった。その際,旧知であった「富岡鉄工所」の富岡米蔵に機械の製作を協力してもらっていたものの,経営は上手くいっていなかった。そこで,川崎は従業員を含めて「富岡鉄工所」を買収し, 明治42年に「川崎工場」としてスタートさせた。この時点では,金網製造機の「丙号」が完成し特許を取得していたが,この機械で製造されるワイヤラスの活用方法についてはめどが立っていなかったために思案していた。
 
明治43年に「服部組」の加納寅之助が鉄筋コンクリートの事業展開を計画していたところ,「川崎工場」で製造されたワイヤラスが鉄筋の補強材として活かせるのではないかということになった。また,加納の下で働いていた渡邊森平が,建築家の三橋四郎が設計した小学校の工事現場でエキスパンデッドメタルラスを使って施工していたのを見て,ワイヤラスを上手く活かせるのではないかと思い付いたという。
 
このような展開を経て明治43年7月に川崎が三橋にワイヤラスの使い道について相談したところ,土壁の下地で使用される竹小舞の代替案とすることが浮上した。そして,ワイヤラスに防火性の高いコンクリートを塗り付ける工法が検討された。その結果,ワイヤラスのピッチを骨材に合わせて作り,左官の鏝でコンクリートを塗り付け,2~3日後に裏から塗り足すことで上手くいくことが分かった。この頃,工場へ見学に来た海軍技師の西尾虎太郎によって,珪藻土をコンクリートに配合することで水密性の高いものが得られることを教えられ,実験が繰り返された。”
 
試行錯誤の末,明治43年12月に実用新案へ出願し,明治44年10月に「鐵網混凝土」の名称で登録され鉄網コンクリートが誕生した(写真-1)。工場で製造されたワイヤラスには「菱形」と「丸形」があり,前者はモルタル用で,後者はコンクリート用を基本としていた(図-15)。
 

写真-1 鉄網コンクリートの施工風景(出典:岡田重次『かはさき文庫 第二十三 金網の應用』川崎工場出版部,1921年10月,筆者所蔵)】

図-15 「川崎工場」で製造された「菱形」と「丸形」のワイヤラス(赤線筆者加筆)(出典:岡田重次『かはさき文庫 第二十三 金網の應用』川崎工場出版部,1921年10月,筆者所蔵)】


鉄網コンクリートの下地として商品化されたワイヤラス

鉄網コンクリートの下地となるワイヤラスは「川崎工場」で製造された川崎式が広く知られている。ただ『左官の知識及彫刻手引』には「鐵網は皆特許品にして製造會社に依りて異なるものなり」と記述されていることから,川崎式以外のワイヤラスも製造されていたことが分かる。ここでは『左官の知識及彫刻手引』と『左官技法壁の作り方』に掲載されていたワイヤラスのうち,パンフレットや『建築資料共同型録』などで販売が確認できた5種類について解説する。
 
まず「川崎工場」で製造されたワイヤラスは「丸形」の商品名で販売されていた(図-16)。形状は前述のとおり,番線を螺旋状に加工させたもので,コンクリートの塗り厚さに合わせて番線の太さとピッチが分かれていた。
 
「東洋鐵網製造」で製造されたワイヤラスは「大橋式鐵網」の名称で販売されていた。これは,大正9年に大橋富太郎によって考案され,「壁下金網」の名称で特許を取得している。形状は波形の番線を直交させたクリンプ金網に螺旋状の番線を組み合わせたものである(図-17)。
 
「大橋式鐵網」で使用しているワイヤラスの番線とクリンプ金網の太さが同じであるために,ワイヤラスへかかる力が均一になることで塗り付けたコンクリートにひび割れを生じにくくする特徴があった。
 
「長作金網工場」で製造されたワイヤラスは,実用新案第六六二五三号の「金網」で吉田長作が考案し大正11年に登録された。商品名は「長作式コンクリート用鐵網」で,その特徴は「菱形螺状線金ノ交叉點ニ眞直線金ヲ貫通シタル」と実用新案を取得した時の史料に記述されている。川崎式の「丸形」とは異なり,楕円状とすることで相互が繋がる番線の交点を動きにくくさせる特徴があった。なお,コンクリートの塗り厚さによって,番線の太さとピッチならびに「力骨」の間隔が異なる商品が販売されていた(図-18)。ちなみに,吉田は「力骨」のない,実用新案第九一七三八号のワイヤラスについても考案し,商品化していた。
 

図-16 「 川崎工場」で製造・販売されていた「丸形」(出典:川崎工場販売部「川崎工場月報」同発行,1921年7月,筆者所蔵)】

図-17 「 東洋鐵網製造」で製造・販売されていた「大橋式鐵網」(出典:建築土木資料集覧刊行会編『建築土木資料集覧』同発行,1939年5月,国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)】

図-18 「 長作金網工場」で製造・販売されていた「長作式コンクリート用鐵網」(出典:長作金網工場 『シーヱスラスと長作式金網』同発行,1929年10月,筆者所蔵)】


「東興鐵網製作所」で製造されたワイヤラスは大正15年に「『コンクリート』補強用金網」の名称で実用新案に登録され,「東興ダブル式鐵網」として販売された。これはクリンプ金網を2段にして螺旋状と凹凸状の番線を組み合わせ,ワイヤラス自体が動かないように堅固な形状とすることで,塗り付けたコンクリートに亀裂が入りにくくすることを目指して製作された(図-19)。
 
これらのワイヤラスは特許もしくは実用新案を取得していたことから,一定期間は独占して製造・販売することができた。その後,おのおののワイヤラスが,自社以外の工場で販売されていた件数について『建築土木資料集覧』などを用いて調査した。
 
その結果「田村商会」では川崎式の「丸形」と「長作式コンクリート鐵網」と同じ形状のワイヤラスが販売されているのを確認できた(図-20)。
 
また川崎式の「丸形」については,このほかに6カ所の工場で販売されていたことが分かった(表-1)。
 

図-19 「東興鐵網製作所」で製造・販売されていた「東興ダブル式鐵網」(出典:建築土木資料集覧刊行会編『建築土木資料集覧』同発行,1931年4月,国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)】

図-20 「田村商会」で販売されていたワイヤラス(赤線筆者加筆)(出典:建築土木資料集覧刊行会編『建築土木資料集覧』同発行,1939年5月,国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)】

表-1 商品化されたワイヤラスの名称と販売先の関係】



 

鉄網コンクリートの下地で高い人気を誇った川崎式の「丸形」

今となっては,当時のワイヤラスの生産量を確かめることはできないが,川崎式の「丸形」については限定的な史料からではあるものの,7カ所の工場で販売されていたことが確認できた。
 
ここでは「丸形」だけが,多くの工場で販売された理由について検証してみたい。まず一つには川崎美貴子氏が指摘しているように「川崎工場」による積極的な広報活動によって高い知名度を誇っていたことが挙げられる。広報誌となる『かはさき画報』や『かはさき文庫』(図-21)を定期的に発行していたことに加え,新聞などに広告を掲載してきた。
 
そのため,川崎式の「丸形」は建築関係の専門家だけではなく,一般の人々にも広くアピールでき,ほかのワイヤラスよりも人気があり多くの工場で販売されるようになった。
 
二つ目は「丸形」のワイヤラスは番線を螺旋状に加工した単純な形状であったことから,どの工場でも比較的容易に製造することができたと思われる。
 
そして三つ目は,そのほかのワイヤラスと比較して,現場での施工性が良かった点を挙げることができる。「大橋式鐵網」などで使用されていたクリンプ金網は,現場の状況に合わせて定尺物を短くする際に切断しなくてはならないが,「丸形」は螺旋状の番線を回転させて,抜き取ることで簡単に分割でき,現場で長さを調整することが容易であった。
 
また「長作式コンクリート鐵網」と「丸形」との比較では,両者に設けられていた「力骨」に違いが見られる。前者については一定の間隔で挿入されていたものが販売されていたのに対し,後者の「丸形」については「力骨」を別売りとし自由な位置に挿入できるようになっていた。すなわち,ワイヤラスが撓(たわ)まないように「力骨」を設置するが,段差が生じる部分などでは細かい間隔で「力骨」が必要となり,現場での迅速な要求に応えることができたのは,川崎式の「丸形」であった。従って,多くの需要が見込まれ,あちこちの工場や店舗で「丸形」のワイヤラスが販売されたものと推測される。
 
ちなみに,川崎は実用新案を取得した後に「川崎式混凝土鐵網」の名称で特許を取得し,その資料には「力骨」が特許の範囲とすることが明記されており「川崎工場」で製造されたワイヤラスは「力骨」が大きな特徴を示していたことが分かる。
 

図-21 「川崎工場」の広報誌『かはさき文庫』(出典:左
岡田重次『かはさき文庫 第二 鐵網混凝土建築物一覧』川崎工場出版部,1920年3月,筆者所蔵,右 岡田重次『かはさき文庫 第二十三 金網の應用』川崎工場出版部,1921年10月,筆者所蔵)】




 

鉄網コンクリートへの改修

神奈川県小田原市の旧東海道沿いに旧内野醤油店がある(写真-2)。
 
敷地内には明治36年竣工の店蔵のほかに醤油醸造に関する工場や穀蔵などが残されている。現地調査によって鉄網コンクリートが使用されている建物が現存していることを確認した(写真-3)。
 
そのうち,一部の柱側面には一定の間隔で小さな孔が設けられている箇所がある。これは土壁の木舞下地となる間渡竹(まわたしたけ)の端部をひっかけていた孔の痕跡で,竣工当初は土壁で施工されていたものが,後世の人によって川崎式の「丸形」を用いて鉄網コンクリートに改修されたものであることが分かった(写真-4)。
 
また,伊郷吉信氏は東京都文京区にある旧伊勢屋質店の蔵も,土壁から川崎式の「丸形」を用いて鉄網コンクリートに改修された建物であったことを報告している(写真-5)。
 

写真-2 旧東海道から見る旧内野醤油店の全景(左から新座敷,店蔵,袖蔵と続き,新座敷と店蔵の間に設けられた防火壁と袖蔵は鉄網コンクリートに改修された)(田中撮影)】



写真-3 鉄網コンクリートの下地となるワイヤラスの一部>が露出している防火壁の内側(田中撮影)】

写真-4 改修された工場の柱に見られる間渡竹の孔の痕跡(痕跡部分筆者加筆)(田中撮影)】


写真-5 鉄網コンクリートに改修された旧伊勢屋質店の蔵(田中撮影)】



川崎式の「丸形」は改修する際に,当初の建物の柱や間柱などの位置が等間隔でない場合や,それらが仕上げによって覆われて事前に位置を確認することが難しい場合であっても,改修工事を進めながら「力骨」を必要な位置に現場で対応しながら設けることができる。そのため,コンクリート下地となるワイヤラスが撓むことなく,しっかりと張り付けることができる。
 
これらの事例から,「川崎工場」で製造されたワイヤラスの特徴となる「力骨」は,新築だけではなく改修の現場においても有効に働いていたことが明らかとなった。
 
鉄網コンクリートを考案した川崎寛美は,燃えやすい一般の木造住宅を,火災から守りたいという信念を抱いていた。さらに,既存の木造建築を改修しやすくすることも視野に入れて川崎式のワイヤラスを考案しており,そこには建物を長く使い続けようとする彼の思いがあったと考えられる。
 
川崎は建築家でもなければ技術者でもなく,職人でもない。そんな彼が考案した鉄網コンクリートは,簡単な工法であるが故に実用新案へ出願した際に一度却下されたという話が残されている。当時は,革新的な技術であることが認識されにくかった鉄網コンクリートではあったものの,長い間大切に使われ続けたことによって価値が認められ,文化財となっているものや町のランドマークとして保存され積極的に活用が図られているケースがある。
 
現存している鉄網コンクリートの建物は,特徴的なデザインや当時の建築技術を備えた貴重な歴史的建造物であることはもちろんだが,それらは,現代の私たちが忘れてしまった「モノ」を大切にし使い続けようとする,川崎が抱き続けた思いを一生懸命に伝えようとしている気がする。
 
 
 
【参考文献】
● 伊郷吉信「災害復旧の技術をめぐって-建築家からの視点」『建築遺産保存と再生の思考』東北大学出版会,2012年。
● 川崎工場『鉄網混凝土説明 登録実用新案第二二〇五三号』同発行,1912年。
● 川崎美貴子『大正期における建築生産と広報-広報誌『川崎画報』を通して-』早稲田大学修士論文,2011年。
● 建築資料協会編『建築資料共同型録』同発行,1925年,1927年。
● 建築土木資料集覧刊行会編『建築土木資料集覧』同発行,1931年,1939年。
● 田中正義『高等建築學 第3巻 建築材料』常盤書房,1933年。
● 帝国発明家伝記刊行会編『帝国発明家伝 上巻』同発行,1930年。
● 特許庁『実用新案分類別総目録1』技報堂,1958年。
● 特許庁『特許分類別総目録』技報堂,1958年。
● 中西由造『左官の知識及彫刻手引』吉田工務所出版部,1930年。
● 森規矩郎『左官技法壁の作り方』東学社,1935年。
 
 

田中 和幸(たなか かずゆき)

1974年東京都出身。東海大学大学院博士課程修了。博士(工学)。専攻は歴史的建造物の保存・修復,近代建築技術史。建設会社勤務を経て現在,田中建築研究所一級建築士事務所代表,小田原職人学校設立推進協議会理事,都立工業高校等で非常勤講師を勤める。近代の鉄筋コンクリート造建築における技術とその保存・修復に関する研究をはじめ,歴史的建造物の調査や改修ならびに木造建築における伝統技術を有する職人の育成にあたる。
 
 
 

日本大学 理工学部 建築学科 特任教授 田中 和幸(たなか かずゆき)

 
 
 
【出典】


建築施工単価2015年秋号



 

 

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