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建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 建築施工単価 > 材料からみた近代日本建築史 その18 繊維版(テックス)をはじめとするボード状建材の普及と旧足立別邸

 

モダニズムに限らない乾式構造

連載の第11 回(2015年春号)で紹介された乾式構造によるモダニズム建築は,住宅や建築の生産を工業化するというコンセプトに即し,矩形を基調とした外観と立体的でフレキシブルな空間が特徴であった。そこで使われた建材の主役が,工業的に生産された各種のボード類で,これを柱や方立等に取り付けることで壁や天井を作れるため,現場で水を扱う左官仕事やコンクリート工事よりも施工が簡便になり,コストを抑えられるばかりか,断熱性の向上,仕様の改変に対応しやすいなどの利点があった。
 
乾式構造は,W.グロピウスらモダニズムを牽引したドイツの建築家たちにより主導された側面があるため,しばしばトロッケン・バウというドイツ語の呼称が使われる。1930年代になると,蔵田周忠(くらたちかただ),土浦亀城(つちうらかめき),市浦健(いちうらけん)といった日本人建築家も欧州の先例に倣い,実践を始める。その代表的な遺構で,モダニズム建築の名作として評価が定まっている土浦による第二の自邸をはじめ,日本における取り組みについては,先の連載に詳述されているので,ここでは割愛する。
 
乾式構造による建築については,その工法や考え方,特徴的な空間デザインについて論じられてきたが,それらはモダニズムを標榜する建築家サイドからの見方に限られていたといえよう。製品としての材料をどのように構成し,新時代にふさわしい機能的かつ明快な空間の可能性がいかに探られたのかが,論旨の核であって,その前提となるボード状建材そのものの歴史については,丁寧に語られてはいない。材料の開発時期,種類,性能,建材としての多様な使用法や事例といった観点については,建築史の分野では,さほど関心が払われてこなかったと思われる。
 
そこで,かなり雑駁ではあるが,工業製品として生産されたボード状建材の戦前期における普及の様子と建築の近代化に果たした役割を述べてみたい。そのことを通して,モダニズムに限らない乾式構造の裾野の広がりに目を向け,代表例として,昭和初期に急速に普及した繊維板(テックス)を積極的に使った現存遺構・旧足立別邸(図− 1)をとり上げる。
 

【図−1 旧足立別邸外観(撮影:安野)】




 
 

さまざまなボード状建材

当時の建材カタログには,1871年のシカゴ郊外でボード状建材を使用した一万棟の住宅が建設されたことが,当該建材を世間に認知させたとある。この詳細や真偽は定かでないが,その後ドイツやスウェーデンで盛んに製造され,第一次世界大戦以来,欧州での使用が急増し,各国で製造されるようになったという。石綿板,ベニヤ板,石膏ボード,繊維板,ベークライト板などこの手の建材の種類は多様である。これらの製品は,日本でも戦前のうちに国産化されて昭和初期に著しい発展を遂げ,多くは一般の市場にも普及していた。
 
石綿は,蛇紋石(じゃもんせき),角閃石(かくせんせき)の繊維が変化して綿状になったもので,古来より洋の東西を問わず,燃えない布として珍重されてきた。19世紀後期以降,工業化的な生産が始まり,断熱用の被覆材として使われ,日本でも19世紀末に製造が始まる。
 
1900年,オーストリア人L.ハチェットにより,石綿にセメントを加えて水でこね,薄板状に乾燥させた石綿スレートが開発されると,主に屋根材として用いられるようになる。軽さと絶縁性能ゆえに汎用性が高く,次第にさまざまなサイズや形状で展開された。日本では,1904(明治37)年,神戸のトーマス邸の屋根に英国製石綿スレート瓦が葺かれ,2年後に「石綿盤」として販売されている。1913(大正2)年には,東京の浅野セメント,神戸の日本石綿盤製造で国産化された。瓦以外では,工場の外壁や屋根などに使われた波板スレートが代表的だが,遅くとも大正末には,壁や天井用に平滑な大判の板状建材も商品化されており,その後も工場から住宅まで,さまざまな建築に用いられている(図− 2,3)。
 

【図−2 浅野スレート大平板(出典:建築資料協会編『建築資料共同型録 大正十四年』同発行,1925年)】

【図−3 スレート板を用いた工場建築(出典:建築土木資料集覧刊行会編『建築土木資料集覧 昭和十年版』同発行,1935年)】




 
 
なお,1902(明治35)年,ドイツ企業による石綿板を使った組み立て式建築を,翌年に大阪で開催される内国勧業博覧会に出展したいという日本企業からの出願があったことが新聞で報じられている。記事では,防寒,防水,防火の機能があり,100坪程の建物なら8時間で建ち上がり解体も容易なため,軍事面で有益と述べられている。建材のサイズや使用箇所は記されていないが,乾式構造の主要な利点はこの時点で挙げられていた。
 
一方,「ベニヤ板」すなわち薄く剥いだ木材を木目が直行するよう重ねて圧搾した均質な強度の合板(プライウッド)の製造は,日本でも1907(明治40)年の浅野吉次郎による試みから始まる。1918(大正7)年には,日本プライウッドが創設されるなど,早くから国産化が進んだとみられる。また,新田帯革製造所を経営した新田長次郎が1919(大正8)年に設立したのが新田ベニヤ製造所である。翌年の広告では,その用途に日本家屋の天井,洋館内部装飾,和洋家具建具が挙げられている。合板については,建物だけではなく,船,車,飛行機など乗り物での需要増も生産拡大の背景にあった。
 
石膏を固めた板を紙で補強する石膏ボードは,1890年,米国のA.サケットにより発明され,1902年に本格的な生産が開始される。タイガーボード( 名称は耐火ボードに由来)として日本で発売されるのは1921( 大正10) 年頃だが, 翌年11月の広告には,東京荏原郡の東洋建材工業所が製造する製品として紹介があり,この時点ですでに国産化されていた。広告には,「三日で仕上がる壁と天井」「耐火,耐震,保温,防音,防鼠」を特徴とし,「時代の要求に由つて生れた新らしい壁及天井用材」とあり,乾式構造の主要な特徴がここでもすでに述べられている。
 
ちなみに,1922(大正11)年3 月の平和記念東京博覧会,その半年後,大阪近郊の箕面桜ヶ丘で開催された住宅改造博覧会では,展示住宅でタイガーボードが使用されていたと報じられている。植物系の繊維を圧搾して製造する繊維板(テックス)については,管見だが,米国で藁を圧搾して耐水・耐火性のある板材が開発され,シカゴに工場が建設されていると1883(明治16)年の日本の新聞に報じられている例が早い。
 
繊維板には,木材を原料とするものと砂糖きびの蔗糖(しょとう)を搾り取った残滓(ざんし/バガス)等を原料とするものがある。前者では,フィンランドのエンソボードが代表的だろう。北洋材を原料にしたパルプを硅酸ソーダで幾重にも貼り合わせ,圧搾した製品で,日本では,1923(大正12)年の関東大震災後,三稜社が輸入を始めている(図− 4)。
 

【図−4 エンソボードを応用した部屋(出典:建築資料協会編『建築資料共同型録 大正十四年』同発行,1925年)】




 
 
同社は,これを輸入品より性能を高めて製造する技術を獲得し,1927(昭和2)年初頭までに国産化している。続いて王子製紙が北海道の苫小牧工場で1931(昭和6)年頃迄に製品化するトマテックスには,製紙の過程で排出される砕木パルプの「粗粕」が活用された。
 
一方のバガスを原料にした繊維板は,米国で開発されたセロテックスが知られる。日本では,1923(大正12)年前後から浅野物産がこれを輸入していたが,1931(昭和6)年までに国産化が実現され,国産セロテックスとして発売した。これには,国産化を推奨する立場にある台湾総督府や台湾銀行の支援の下,同地の主産業となっていた製糖業で廃棄されるしかなかったバガスが活用された(図− 5)。当初はバガスから紙を造る研究がされていたが,転じて需要の高まっていた繊維板に注力されたという経緯があった。国産セロテックスは,まもなくケンテキスと名称を改める。
 

【図−5 国産セロテックスの原料とされたバガスの山(出典:『ケンテキスニュース』18号,浅野物産株式会社発行,1932年10月)】




 
 
このように,植物原料の繊維板は,大正末から輸入され,昭和初頭までに国産化が進められている。上記のほかにも,三井物産のインシュライト,富士製紙のフジテックス,野澤幸三郎商店のアルテックス,東京商会のホシテックスというように,繊維板製品が各社から相次いで発売された。しかし,需要に供給が追いつかず,生産量で圧倒する米国をはじめ諸外国からの輸入は続いたらしい。
 
 

建材の性能と活用法

以上のように,日本でボード状建材が国産化を伴って普及していくのは,おおむね大正末以降といえるが,背景には,欧州諸国が1918(大正7)年の第一次世界大戦終了以降に高騰した建築費を抑えるため,施工の合理化を進めたことに我が国も倣い,材料寸法の規格化等を進めつつあったことが考えられる。さらに,1923年9月に発生した関東大震災が契機になった。復興の過程では,工事が簡便に済むボード状建材が仮設の建築や工期の短縮に大きく貢献したと回顧されている。また,ボード類は一般に軽量で,合板や繊維板は剛性があるため,耐震化を図る上でも注目されていた。さらに,関東大震災では,都市部の火災が被害を拡大させたが,石綿板や石膏ボードは,軽量な上,耐火性の高さも持ち合わせていた。
 
ボード状建材の性能は,製品によって異なり,程度の差はあるものの,断熱や整音(遮音や吸音)といった絶縁性,漆喰や砂壁と違って経年劣化しにくい,軽量,工事が簡易という点はおおむね共通していた。なお,断熱の性能評価については,早稲田大学の宮部宏,整音については,前記の市浦健や早大の佐藤武夫らが貢献していた。
 
断熱という点では,石綿板や繊維板の性能が比較的に高い。そのため,建築の種別を問わず屋根や床の下地,内外壁材として適し,また,冷蔵庫や空調用ダクトにも使用されている(図− 6)。
 

【図−6 空調ダクトに使用されている国産セロテックス(出典:『国産セロテックスニュース』1号,浅野物産株式会社発行,1931年5月)】




 
 
特に大正以降は,住宅や建築において室内の暖房等の空調設備が重視されるようになっていたことも,繊維板をはじめとするボード状建材の需要を高めたと考えられる。暖房設備について実践的に研究した柳町政之助は自邸の床下,壁間,天井板裏,屋根下地に国産セロテックスを使用し,断熱性を確保しようとしている。
 
整音という点では,繊維板が重宝され,教育施設や講堂,映画館や劇場,ラジオ局やスタジオなどの内装材として多用されていた様子を見ることができる。この当時は,中流層が勃興し,教育施設と不特定多数が集まる都市施設が増加していた。佐藤功一による早稲田大学大隈記念講堂(1927年)の内装もセロテックス張りで,その幾何学的な意匠は材料形状の反映である(図− 7)。
 

【図−7 早稲田大学大隈記念講堂内観(撮影:内田青蔵)】




 
 
多数の小孔をうがった吸音板も,繊維板のバリエーションとして1932(昭和7)年までに製品化されていた(図− 8)。なお,整音機能は,住宅でも心地よさを高めるとされた。
 

【図−8 吸音板アコスチーケンテキス(出典:建築土木資料集覧刊行会編『建築土木資料集覧 昭和十年版』同発行,1935年)】




 
 
この種の建材は,何も鉄骨造や木造といった乾式に適した構造に使われるだけではない。鉄筋コンクリート(RC)構造においても無骨な躯体を隠し,防湿や断熱上の欠点を補う下地材や内装材として使われた(図− 9)。
 

【図−9 トマテックスの鉄筋コンクリート造での施工(出典:『吸音絶縁建築材料トマテックス』三和商会)】




 
 
内田祥三はRC造の自邸の天井に繊維板を用いて,コンクリートの「硬い感じ」を和らげるとしている。当時のカタログでは,鉄筋コンクリートの膨張や収縮を抑制する効果についても言及されている。関東大震災後の鉄筋コンクリート造建築の普及も,こうした建材の需要を高めたのではないだろうか。
 
真壁で,本来は湿式構造の日本家屋や日本間でもこの種のボード類は用いられた(図− 10)。
 

【図−10 展示会におけるケンテキスによる日本間(出典:『ケンテキスニュース』25号,浅野物産株式会社発行,1933年6月)】




 
 
繊維板には,断熱性のほか,漆喰や砂壁の劣化という日本家屋の欠点を補うことが期待されていた。小舞壁(こまいかべ)の代わりに繊維板をはめ,周囲の隙間を四分一縁で押さえつつ釘頭や継ぎ目をパテと紙で隠して水性塗装や砂摺仕上げにする例(図− 11),石膏ボードを下地に漆喰仕上げにする例,建具の襖として直接使う例など紹介記事は少なくない。ちなみに,前記した柳町邸の例も日本間での試みである。
 

【図−11 エンソボードによる日本間(出典:建築資料協会編『建築資料共同型録 大正十五年』同発行,1927年)】




 
 
一方,松屋呉服店は,離れの子ども部屋として使える小さな組み立て式の家屋を販売していた。外観は,切妻の洋風で,材料は国産セロテックスである。1937(昭和12)年には,壁と屋根に繊維板を使用して4時間で建築できる「サンマーヒュッテ」が流行しているという報道もある。これらの事例は,戦後,大和ハウスから子ども部屋として発売され,プレファブ住宅の原点とされる「ミゼットハウス」(1959年)に先駆けている。
 
ボード状建材では,その目地の処理がポイントになるが,意匠上はそれを生かした幾何学性が強調される。特に内装では,目地棒に色を付けたり,ボードの隅を面取りして影を付けたり,目地がなくなるよう端を重ねて市松模様にするなどの手法が発達していた。野村茂治は,こうした具体例を挙げながら,平滑面を目指して無理に目地を見えにくくするのではなく,それを意匠に活用すべき,と主張している。こうした手法が,当時流行していたアール・デコの直線的なデザインに親和性が高いのは,単なる偶然ではなかろう(図−12)。
 

【図−12 ダンスホール・フロリダ(出典:『ケンテキスニュース』19号,浅野物産株式会社発行,1932年11月)】




 
 
一方で,繊維板では,幾何学性の強さを和らげる工夫として,ボードに装飾用の溝を切る,風合いを出すために表面に浮き出し模様をつける(図− 13),絵柄をプリントするというように,あらかじめ意匠性に配慮する製品も見受けられる。
 

【図−13 浮き出し模様を施したエンソボード(出典:建築資料協会編『建築資料共同型録 大正十五年』同発行,1927年)】




 
 
また,そうした工夫をせずとも,下地とすることはできたし(図− 14),日本家屋やハーフティンバーなど,そもそも壁面の線材が多い様式では,そこに継ぎ目を合わせるなどしてボード状建材を目立たせずに使いこなすことができた(図− 15)。
 

【図−14 住宅におけるケンテキスの使用例(出典:『ケンテキスニュース』25号,浅野物産株式会社発行,1933年6月)】

 

【図−15 ケンテキスを使った吾嬬第二小学校講堂のヴォールト状の格天井(出典:『ケンテキスニュース』24号,浅野物産株式会社発行, 1933年4月)】




 
 
このように,多面的に展開したボード状建材は,使われ方によっては目立たない存在だが,それだけに,場所を選ばず活用され,着実に住宅をはじめとする建築や都市空間の質を大きく変えていったと考えられる。こうした建材の普及により,室内の空気環境や音環境の向上が進んだであろうし,矩形平面や直線的なデザインが目立って増えたとみられる。各種の都市施設の増加も,類縁建材の普及が後押ししたといえよう。ボード状建材は,そうした当時の建築や都市の様相を特徴付け,戦後や現代にみられる高度に調整された都市空間のありようへと方向付ける上で,極めて重要な存在であった。
 
 

ハーフティンバーの‘TROCKEN BAU’

神奈川県の葉山には,繊維板トマテックスを全面的に使用した邸宅がほぼ新築当時の姿を留めて現存している(図− 1)。施主はトマテックスを開発した王子製紙の重役足立正,設計は早稲田大学で教授を務めた建築家佐藤功一で,邸宅は1933(昭和8)年に竣工した。
 
施主の足立正は,1905(明治38)年に東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業後,三井物産に入社するが,1911年に退社し王子製紙に転職した。1917(大正6)年に北海道苫小牧工場長に就任,1920年に取締役となる。1929(昭和4)年に東京本社へ戻り,この別邸が完成する1933年に常務取締役,1942年に社長に就任している。
 
詳細は不明だが,足立が苫小牧に居た時期にトマテックスが開発されており,彼も少なからずこれに関わったものと思われる。すなわち足立は,社内での地位を着実に上げる中,本社勤務となって間もなく葉山の別邸を建設し,自社製新建材をこの邸宅に積極的に用いた。また,設計者の佐藤功一も,1930(昭和5)年までには,乾式構造や繊維板について,断熱,整音効果などから関心を持っていたようで,前記の大隈記念講堂をはじめ本作以前の案件にも繊維板を使用していた(図−8)。また,早大では,彼に師事した佐藤武夫らが繊維板の性能試験を請け負っていた。旧足立別邸は,共に繊維板開発の現場近くにいた施主と建築家の出会いにより実現した邸宅である。
 
同邸は,『国際建築』1933年9月号の王子製紙総代理店三和商会の広告記事に「トマテックスの住宅TROCKEN BAU」とあるように,ドイツに影響された乾式構造による事例として紹介があるが,その外観は,ハーフティンバーを用いた英国の伝統的な様式を基調にしていた(図− 1,16)。
 

【図−16 旧足立別邸玄関付近(撮影:安野)




 
 
本様式は,佐藤功一の言説から,彼が湘南地方の別荘の貴族的な風貌を嫌い,日本人の趣味に合う,簡易生活や中流にふさわしいと考えて採用したと推察されるが,一方で,ボード状建材の目地を目立たせないよう,線材の多いこうした様式の特徴を活かす例は他でも見られるものであった。
 
また,記事には,
 
「在來の木造洋館住宅の塗師工事の部分に乾式材をかく豊富に應用された例は珍しい。工費の點からは乾式材のための下地及び手間を可さんすると穴勝經濟的建築とは云へないかも知れぬが,遮斷材の効果から之を見た場合と工程の進度は眞に理想的なものである。…中略…日本間廻りの壁面に在來の眞壁を排してトマテックス貼りとし,其表面の割れを禦ために布張りしてその上に砂摺を施した事は新例である。…中略…現在行はれてゐる乾式構造の大部分が,外装材として石綿板を利用されてゐるのに對し,内外共その主材が一式ボード本位であることに,この住居の特色がある。」
 
とあり,「遮断材の効果」すなわち断熱や整音,防湿の効果から,住宅内外にこの材料を用いる利点に言及しつつ,洋館にこれほど積極的に「乾式材」すなわち繊維板を用いることは「珍しい」としている。一連の資料から,繊維板は,外装材や和室内の下地,浴室部分にまでに使用されていたことが分かり,遺構調査でも,1階和室や2階座敷,屋根下地,外壁に確認された。この記事からは,そうした多面的な利用を「この住居の特色」,日本間に用いて布張りかつ砂摺にしたことを「新例」と表現しており,これらの手法が必ずしも一般的ではなかったことを示唆している。
 
確かに,同時代の実例を概観すると,外装には火災に強い石綿板が充てられ,繊維板の使用は内装に限定される傾向があるように,建材の使い分けが行われているし,日本間で使用する例は相対的に少なかったか目立たなかったのかもしれない。しかし,繊維板のこうした使用の可能性は,前記したように,この邸宅ができる以前に広告等で紹介されており,一定の水準で業界に共有されていたと考えられる。
 
洋室や廊下の内壁や天井では,同材の組み合わせによる幾何学的デザインが各室に施されてお【図−16 旧足立別邸玄関付近(撮影:安野)】り,これが旧足立別邸の内装意匠の特徴といえる(図− 17)。
 

【図−17 旧足立別邸2階廊下(撮影:安野)




 
 
応接室の天井は,付属の「サンコウ目地」とみられる目地棒で幾何学性が強調され,主階段室の天井では,材料の張り方において厚さ方向に凹凸を設けて市松模様をつくりだしている(図− 18,19)。これら一連の手法についても,住宅外を含めればボード状建材を用いた他の事例でも数多く見いだせる。
 

【図−18 旧足立別邸応接室(撮影:安野)】

【図−19 旧足立別邸階段ホール見上げ(撮影:安野)】




 
 
旧足立別邸の意匠は,内外装におけるハーフティンバーを採用し,外壁に石綿スレートではなく木質系繊維板を採用するなど,同時期のモダンな乾式構造のデザインとは異なる方向性を示しているが,同時に,先鋭性とは別のところで展開されていたボード状建材を用いたさまざまなオルタナティブを集約させた空間となっている。旧足立別邸における繊維板活用の徹底ぶりは,開発に携わった可能性の高い足立の自邸ゆえに実現した特殊例かもしれないが,それだけに,設計者である佐藤功一のみならず,足立をはじめとする開発者や当時の社会が試みようとしていた繊維板やボード状建材の可能性の広がりを想像させてくれる。
 
戦後は,ボード状建材を開発した化学系の企業などが,プレファブ住宅事業に参画するが,そこで採用される様式もモダニズムとは限らない。性能を重視しつつも先鋭性を抑制した旧足立別邸は,そうした住宅メーカーによる,住み手の嗜好に応じた供給のあり方を予見しているようでもある。
 
<主な参考文献>
● 建築資料協会編『建築資料共同型録 大正十四年』同発行,1925 年
● 建築資料協会編『建築資料共同型録 大正十五年』同発行,1927 年
● 建築土木資料集覧刊行会編『建築土木資料集覧 昭和十年版』同発行,1935 年
●『 国産セロテックスニュース』(途中から『ケンテキスニュース』に改称)浅野物産株式会社,
 No.1 〜 No.30,1931 年5 月〜 1934 年1 月(欠号あり)
● 田中正義『高等建築学 第3巻 建築材料』常磐書房,1933年
●「 ボード人工板座談会」『建築資料第5輯』建築資料協会,1930 年
● 日本建築学会編『近代日本建築学発達史』丸善,1972年
● 新建築学大系編集委員会編『新建築学大系47 仕上材料と施工』彰國社,1983 年
● 須崎文代,内田青蔵,安野彰「佐藤功一設計の旧足立正氏別邸(1933年竣工)の建設経緯と建築的特徴:
 −繊維板「トマテックス」を用いた乾式構法の住宅デザイン−」日本建築学会技術報告集51 号,2016年6月
 
 

安野 彰(やすの あきら)

1971 年埼玉県生まれ。東京工業大学大学院総合理工学研究科人間環境システム専攻博士後期課程修了。博士(工学)。日本工業大学工学部建築学科教授。専門は日本近代の建築や都市の歴史。著書に『世界一美しい団地図鑑』(共著,エクスナレッジ),『住宅建築文献集成』(分担執筆,柏書房),『社宅街』(共著,学芸出版社)など。
 
 

日本工業大学 工学部     
建築学科 教授 安野 彰

 
 
 
【出典】


建築施工単価2017夏号



 

 

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