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建設資材データベーストップ > 特集記事資料館 > 積算資料 > 水との共生の歴史〜命を守る公共事業〜《後編》

 

公益財団法人 えどがわ環境財団 理事長
土屋 信行

 

4.新たな流域治水

明治43年の「東京大水害」は利根川、荒川、多摩川水系の広範囲に渡り河川が氾濫し各地で堤防が決壊した。
これを契機に河道内に洪水を閉じ込めて流すために、荒川放水路と江戸川放水路が新たに開削された。
両水路とも昭和5年に完成し、現在私達が「荒川」「江戸川」と呼んでいる川がこれらの放水路である。
従来の川は現在「隅田川」「旧江戸川」と名づけている。
 
本来、「河道内流下方式」は下流域の堤防を全て十分な川幅に拡幅することと、堤防の高さと強度を補強しなければならず、
膨大な用地買収と工事費が必要となる。
この「河道内流下方式」が未完成のうちに発生したのが、昭和22(1947)年のカスリーン台風である。
1,930名の死者・行方不明者、経済被害は約70億円(現在の再来予測額34兆円)に及んだ。
「中条堤」という遊水池を失った関東地方では、河道のみで洪水を受け止めることの限界を示した洪水であった。
 

写真-4 昭和22年カスリーン台風(江戸川区)

写真-4 昭和22年カスリーン台風(江戸川区)


 
このときの洪水は利根川の右岸側、埼玉県の栗橋で決壊し、
江戸川の右岸とこの時完成していた荒川放水路の左岸で囲まれた地域を水浸しにした。
荒川放水路の左岸堤は、カスリーン台風により溢れ出た洪水が東京都心部へ流入することを見事に防ぎ、水害を食い止めた。
しかしその分足立区、葛飾区、江戸川区に、カスリーン台風の大きな爪痕を残すことにもなったのである。
もはや「河道内流下方式」だけでは対応できないことは明らかだった。
利根川、江戸川の下流域の沿川には密集した市街地が発達しており、
ここを河川拡幅のために用地買収すれば2兆円以上の費用が必要となる。
そこで検討されたのが、上流域の降雨はダムで一時貯留するということであった。
利根川の中流域の八斗島から下流域までと、分流した江戸川の堤防を加えた総延長は合計約230km以上に連なる。
この長い河川堤防による防御ラインに、ダムによる防御を組み込むことになったのである。
 
現在では利根川水系においては、上流域は矢木沢ダム、下久保ダムなどのダム群で、
中流域は渡良瀬遊水池、田中遊水池、稲戸井遊水池などの遊水池群、下流域は放水路や堤防補強で、
また荒川水系においては、上流域は二瀬ダム、滝沢ダムなどのダム群で、中流域は荒川第1調整池などの遊水池、
下流域は荒川放水路で守るという役割分担による洪水調節が確定したのである。
 
「コンクリートから人へ」の大号令の下、象徴的に廃止された八ッ場ダムとは、
この利根川の上流ダム群を構成するダムのうちの一つだった。
八ッ場ダムを廃止することは「中条堤」を中心とした地域・流域全体で洪水被害を分担するシステムが崩壊した後、
再構成された上流域はダム群で、中流域は遊水池、下流域は河道と放水路でという、
洪水を調節する方式が再び崩壊することになってしまうことを意味した。
 
 

5.スーパー堤防は避難高台地

さらには東京東部の低地帯では江戸時代から明治時代へと発展していく過程で必要となった水資源を求め、
たくさんの井戸が掘られ地下水を汲み上げた。
この地下水にほとんど不純物を含まない高品質の天然ガス(メタンガス)が溶け込んでいることが分かると、
多くの事業者が井戸を掘り、最盛期には東京低地帯には200本以上のガス井が、江東区、江戸川区などに林立した。
その結果この地域は最大で5mにも及ぶ地盤沈下が起こることとなった。
今でいう「ゼロメートル地帯」の形成である。
 
ゼロメートル地帯とは海抜ゼロメートルの場所という意味ではない。
海抜よりも地盤が低い所という意味で、どんなに低くても全て0m(ゼロメートル)と表現している。
この地域で最も低いところでは海抜−3mもある。
東京湾の満潮位は概ね+2mなのでその差は5mにもなる。
もし堤防が首都直下型地震などで被災すれば5mの高さの水の壁がこの地帯を襲うことになる。
さらにこの水は無尽蔵の海の水なので、海水面と同じ高さになるまでゼロメートル地帯に浸入し続けることになる。
浸入した海水はそのままでは海に戻って行ってはくれない。
機械的にポンプで強制的に排水しない限りこの地域は永遠に水没したままなのである。
この地域で命を繋ぐためにはなんとしても必要になるのが、水没しない高さの地盤か、または堅牢な4階建て以上の建物である。
この東京の東部地域に位置するゼロメートル地域には2つの異なった地域がある。
江東区、墨田区では高層ビルやマンションが数多く存在していて、
浸水時の避難には建物に頼ることができるので垂直避難が中心となる。
一方、荒川の東側に位置する足立区、葛飾区、江戸川区では木造低層住宅が多く、
垂直避難しようにも十分な高さの建物が圧倒的に少ない。
人口68万人を擁する江戸川区では避難民一人1.0㎡の面積で計算しても、住民の概ね半分の避難床面積しかないのが現実である。
 

図-4 江戸川区側と都心側の堤防の違い

図-4 江戸川区側と都心側の堤防の違い


 
このような地域での堤防は、地域住民の命の綱である。
海水面から地域を守っている防御壁としての役割と、堤防が決壊した時に避難ができる高さを持っている避難高台という役割である。
過去の洪水の例を見ても、結局は最終的に水害で被災した住民は堤防の上に逃げているのである。
 
「スーパー堤防」とはこのような背景を持った地域での唯一といっても良い、住民の命がかかった壊れない堤防なのである。
その堤防をいともたやすく「スーパー堤防は、スーパー無駄使い!」と切り捨てたのが、あの時の事業仕分けだったのである。
まさに事業が仕分けられたのではなく、国民の「命」が仕分けられた瞬間である。
この地域の人々が「八ッ場ダム、スーパー堤防」の事業存続を求めたことを、
「無駄使い」と切り捨てることは、棄地、棄民ということになりはしないのだろうか。
 
 

6.東京に存在する遊水池と「論所堤」

実はこの地域にはさらなる十字架が背負わされているのだ。
荒川左岸側(江戸川区)の堤防のほうが右岸側(江東区)の堤防よりも高さが低く、さらに堤体厚が薄くできているのである。
もし大規模な洪水が発生すれば江戸川区側のほうが先に越流し、洪水流が浸入するのである。
「中条堤」が負担していたことと同じ遊水機能を、荒川の最下流部の江戸川区が担うことになるのである。
東京の中に遊水池があるようなものである。
その面積はまさに中条堤に酷似した約50㎢の広さである。
 
今、この地域に住む人々は、上流域と中流域、下流域が治水という点で連携していることを知り、上流域の人々と交流を図っている。
荒川の最上流の秩父、二瀬ダム、利根川の最上流の八ッ場ダムをもっと知ろうと、現場見学会を何度も開催している。
荒川水系では秩父の最上流三峰神社の宿坊に泊まり、利根川水系では吾妻川の最上流の川原湯温泉に泊まり、
大いに住民交歓をしている。
 

写真-5 八ッ場ダム周辺の住民の方々と

写真-5 八ッ場ダム周辺の住民の方々と


 
勉強会に参加した方がおっしゃっていた。
「今さら私達は右岸側と同じ高さの堤防がほしいとは言いません。
 それでは明治時代に中条堤を失った時と同じ、水争いの時代に遡ってしまいますから。
 でもせめて水が来た時に逃げられる高台がほしいのです。
 スーパー堤防とは水を流すために連続堤として繋がっていなくても、壊れない高台として頼りになる避難場所なんです。
 その逃げ場所がほしいだけなのです。スーパー堤防は現代の「論所堤」なんです。」
 
 
水との共生の歴史〜命を守る公共事業〜《前編》
水との共生の歴史〜命を守る公共事業〜《後編》
 
 
 

土屋 信行(つちや のぶゆき)

1950年埼玉県生まれ。
博士(工学)、技術士(建設部門・総合技術監理部門)、土地区画整理士。
公益財団法人えどがわ環境財団理事長、公益財団法人リバーフロント研究所理事、
一般財団法人全日本土地区画整理士会理事。
1975年東京都入都。
下水道局、建設局を経て建設局区画整理部移転工事課長、建設局道路建設部街路課長を歴任。
03年から江戸川区土木部長を務め、11年より現職。
現在も各自治体の復興まちづくり検討の学識経験者委員をはじめ、幅広く災害対策に取り組んでいる。
 
 
 
【出典】


月刊積算資料2014年4月号
月刊積算資料2014年4月号
 
 

 

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