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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > 荒川上流部改修から100年~これまでの100年を振り返って~

 

はじめに

首都圏を縦断する母なる川「荒川」は,その名前のとおり過去に幾度となく氾濫し,地域に洪水による被害を与えてきました。一方,荒川の水は広く農業用水や発電用水,水道用水として利用され,人々に多くの恩恵をもたらすとともに地域の発展を支えてきました。
 
この荒川は,江戸時代初期の付替工事(荒川の西遷)と明治から昭和初期の荒川放水路の建設という2つの大きな付替事業により,今日の形がほぼ作られました。
 
現在の荒川は,埼玉県秩父山地の甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)(標高2,475m)に源を発し,秩父盆地を北流して長瀞(ながとろ)渓谷を流れた後,寄居町において南東に流向を変え関東平野に入り,武蔵野台地の北西端から埼玉県中央部の平野を流下し,東京都区部と埼玉県の低地を流れ,東京湾に注いでいます。幹川流路延長173km,流域面積2,940㎢の一級河川です(図-1)。流域内人口は約970万人,水利用人口は武蔵水路経由で利根川上流ダム群から流入する水も含めると,約1,500万人とともに大規模であり,治水上も利水上も極めて重要な河川といえます。
 

【図-1 荒川流域図】




 
下流部は放水路として整備されている一方で,広大な河川敷が広がる中流部では,最長約2,500mの日本一の川幅を持つことで知られています。加えて,流向に対し垂直に設けられた25本の横よこ堤てい群や,河川敷に残る豊かな自然など多くの特徴を持っています。
 
平成30年は,大正7年(1918年)に荒川上流改修工事による荒川中流部の改修が着手されてから,100年の節目の年であり,本稿では近代の河川改修の歴史をひもときながら,治水事業の現在や荒川上流河川事務所のこれからの取り組みについてご紹介します。
 
 

明治43年の洪水と改修計画の策定

明治以降,荒川最大の出水ともいわれる明治43年の大洪水は,埼玉県内の平野部全域を浸水させ,東京の下町にも壊滅的な被害をもたらしました。被害状況は,埼玉県内の死傷者401人,住宅の全半壊・破損・流出18,147戸,非住宅10,547戸,農産物の被害は2,400万円(現在の資産価値で1,000億円)を超えたといわれています。
 
この未曾有の大水害を受け,明治政府は臨時治水調査会を設け,全国河川における抜本的な治水計画として,第一次治水計画を策定しました。荒川においては,第一次治水計画に基づき,荒川下流改修計画,荒川上流改修計画がそれぞれ策定されました。
 
 

荒川放水路開削

荒川下流改修計画に基づき,岩淵地先より下流に荒川放水路(現荒川)を開削しました(図-2)。この背景として,荒川(現隅田川)の沿川がすでに相当程度市街地として発展しており,川幅の拡幅が困難であるということ,また当時重要であった水運の便の向上が求められたことから,放水路開削による改修が実施されることとなりました。岩淵地先から約22kmの放水路の整備は,明治44年に着手され,約20年の歳月を経て昭和5年に完成となりました。放水路の整備により東京都東部・埼玉県南部の低地帯は洪水から防御され,一気に市街化が進むこととなりました。
 

【図-2 荒川放水路改修平面図】




 

荒川上流改修工事

大正7年から始まる荒川上流改修工事は,赤羽鉄橋から大里郡武川村(深谷市川本地区)に至る62.3kmと,入間(いるま)川筋の比企郡伊草村(現川島町)地先の落合橋から荒川合流部に至る5.9km,新河岸(しんがし)川筋の北足立郡新倉村(現和光市)から岩淵水門に至る11.1kmを対象に行われました(図-3)。
 

【図-3 荒川上流改修工事平面図】




 
蛇行していた河道を掘削工事により直線化することで通水力を高め,主にその掘削で生じた土砂を利用して,連続した堤防の築堤工事を行いました。また,築堤工事により設けられた広い河川敷には,治水効果を高めながら河川敷の農地を保護するために,通常の堤防に対して直角方向に築かれた横堤が27箇所整備されました(うち25箇所が現存)。
 
昭和20年の終戦,昭和22年のカスリーン台風による被害を乗り越え,昭和29年の熊谷付近の工事終了をもって,荒川上流改修計画は一応の完了となりました。
 
 

入間川改修工事

荒川にほぼ直角に合流していた支川の入間川の合流点は,本川の洪水の逆流による被害が頻発しており,その改修は荒川上流改修の一環として行われました。新たに河道を開削することで合流点を下流側に5km引き下げ,加えて荒川と入間川の間に背割堤を設け分離を図りました(図-4)。
 

【図-4 入間川改修工事】




 
また,支川である入間川・越辺(おっべ)川・小畔(こあぜ)川の合流部は,洪水時に荒川の逆流による浸水にたびたび見舞われていました。そのため新たに「入間川合流口改修計画」を策定し,荒川上流改修の一環として,入間川・越辺川・小畔川三川分流工事を昭和6年より実施しました。これは落合橋の上流で合流していた三川の合流点を,下流側に付け替える工事で,入間川と越辺川の合流点を約2km,越辺川と小畔川の合流点を約1km下流に移行したことにより,三川は明確に分離して洪水がスムースに流れるようになりました(図-5)。
 

【図-5 三川分流改修の位置図】




 
これらの入間川改修工事は,荒川上流改修が完成した昭和29年に完成を迎えました。


 

荒川総合開発計画と二瀬ダムの建設

敗戦後の日本において,毎年のように発生する風水害や食糧不足,電力不足といった深刻な問題を抱える中で,多目的ダムによる洪水調節と水資源開発の必要性が認識されるようになりました。昭和25年に国土総合開発法が制定され,主に国土保全,食糧増産,電源開発などの基礎的要求の充足に向けた国土開発が展開されました。荒川においても同様の要請に応えるべく「荒川総合開発計画」が立てられ,昭和28年より開発計画の中心事業である二瀬(ふたせ)ダムの建設事業が始まりました。
 
荒川水系で初の多目的ダムである二瀬ダムは,昭和32年10月よりダム本体の建設が始まり,4年余りの歳月を経て昭和36年12月に完成しました(図-6)。二瀬ダムは洪水調節・灌かん漑がい用水供給・発電を目的とした多目的ダムであり,洪水調節を
行うとともに,灌漑用水の供給を行うことにより復興期の食糧増産を大きく後押ししました。
 

【図-6 二瀬ダム】




 
このほか,荒川上流部のダムとしては,当時の水資源公団(現独立行政法人水資源機構)による浦山ダム(平成11年完成),滝沢ダム(平成23年完成)と,埼玉県による合角(かっかく)ダム(平成15年完成)が建設され,二瀬ダムを含むこれら4つの多目的ダムは,地域の治水安全,水の安定供給といった面で地域の発展に大きく貢献してきました。


 

荒川水系工事実施基本計画の改訂と荒川第一調節池整備

昭和40年の新河川法施行に伴い,同年に「荒川水系工事実施基本計画」を策定しましたが,これは明治44年および大正7年に策定した改修計画をおおむね踏襲したものでした。しかし,従来の改修計画の策定以降,計画を上回る規模の洪水にたびたび見舞われていたこと,荒川流域において急速に都市化が進行し,洪水氾濫に見舞われた場合に想定される被害が激増したことなどから,昭和48年に荒川水系工事実施基本計画の改定を行いました。近年の出水状況ならびに流域の開発状況を鑑み,治水計画の再検討を行い,基本高水流量・計画高水流量を新たに設定しました。この計画において,洪水調節のために河川敷内に調節池群の整備が新たに位置付けられ,昭和49年にそのひとつである荒川第一調節池の整備に着手しました(図-7)。
 

【図-7 荒川第一調節池開発事業一般平面図(羽根倉橋から貯水池の下端までが調節池)】




 
荒川第一調節池では,洪水調節機能を高めることを目的に,広大な河川敷に囲い繞ぎょう堤ていを設け,調節池を整備しました。これに加えて昭和55年度からは,洪水調節機能に加え都市用水の供給を目的とする「荒川調節池総合開発事業」が採択され,昭和56年に,調節池内を掘削することによる貯水池の整備が基本計画に加わりました。昭和56年より貯水池建設に着手し,平成9年に総貯水量1,110万㎥の荒川貯水池(彩湖)が完成しました(図-8)。また,調節容量約3,900万㎥を担う荒川第一調節池全体としては,平成16年に完成しました。
 

【図-8 荒川貯水池】




 
荒川第一調節池では,建設中であった平成11年8月の出水や完成後の平成19年9月の出水では,調節池内に洪水流を貯留することで洪水調節機能が発揮されました(図-9)。
 

【図-9 平成11年8月出水状況】




 

入間川・越辺川等緊急対策事業

近年においては,緊急対策事業として,「入間川・越辺川等緊急対策事業」を実施しました(図-10)。平成11年8月,荒川流域では断続的な豪雨に見舞われ,熊谷水位観測所,治水橋水位観測所では観測以来最大となる水位を観測し,入間川・越辺川・小畔川の合流部において浸水被害が発生しました。これを契機として,浸水被害が頻発している入間川,越辺川などの沿川地域において,平成11年の出水と同規模の洪水に対する安全を確保するために,築堤ならびに支川合流部の改修が始まりました。平成15年より事業に着手し,入間川・越辺川上流部の堤防整備を実施するとともに,越辺川の支川である大谷川・葛川・九十九(つくも)川の合流部においては,越辺川からの洪水の逆流を防ぐため,堤防の整備や水門の整備等の改修を実施しました。
 

【図-10 入間川・越辺川等緊急対策事業】




 

荒川水系河川整備計画の策定

平成9年の河川法改正によって,これまでの治水・利水に加えて,河川環境の整備と保全が,河川整備の目的として新たに加えられました。それに伴い,荒川の整備・維持管理にあたっての長期的な目標と基本的な事項を定めた「荒川水系河川整備基本方針」を平成19年3月に策定し,それに基づき河川整備の中期目標を定めた「荒川水系河川整備計画」を平成28年3月に策定しました(対象期間30年間)。河川整備にあたっては,治水・利水・環境という荒川の多面的な機能を横断的に連携して発揮させ,それぞれの目標を調和させながら達成可能で効果的な施策を検討し,総合的な視点で整備を実施していきます。
 
 

現在進行中の改修事業

荒川の堤防について,羽根倉橋付近より下流の堤防はおおむね完成堤となっていますが,羽根倉橋付近より上流の堤防は一部において堤防の幅,高さが不足している状態です。このような地区が破堤した場合,さいたま市等の主要都市において,甚大な被害をもたらす恐れがあります。「さいたま築堤」では,堤防の幅,高さを確保するための工事等を実施し,背後の市街地および下流市街地の治水安全度の向上を図っています(図-11)。
 

【図-11 さいたま築堤左岸】




 
また,さらに上流の堤防の幅,高さが不足している区間においても,「荒川中流部改修」を行い,洪水を安全に流下させるために必要な堤防の幅,高さを確保するための堤防整備を実施しています。
 
 

荒川第二・三調節池の整備

これまで,前述したようなさまざまな治水対策を進めてきたところですが,「荒川水系河川整備計画」で治水目標としている戦後最大の洪水と同程度の洪水が発生した場合に被害を防ぐための抜本的な対策として,平成30年度より荒川第二・三調節池の整備事業を実施しています。荒川の広大な河川敷は横堤による遊水機能をすでに有していますが,調節池を整備することにより,洪水流の一部を調節池に流入させ,より効率的に洪水時のピーク流量を低減させるとともに,洪水時の水位上昇を抑制することで,堤防決壊等のリスクを低減します(図-12)。
 

【図-12 荒川第二・第三調節池概要図】




 
荒川第二・三調節池は,合計面積約760ha(第二:約460ha,第三:約300ha),合計洪水調節容量約5,100万㎥(第二:約3,800万㎥,第三:約1,300万㎥)という大規模な調節池であり,洪水調節に大きな効果を発揮します。整備にあたっては,自然環境の保全や快適な河川空間の利用,適切な維持管理がなされるよう,既存の河川の生態系や利用状況に配慮し,関係者の意見を聞きながら適切な検討を行い,事業を進めていきます。


 

おわりに

当事務所では,沿川関係自治体や都県,関係機関と連携して「荒川上流部改修100周年実行委員会」を組織し,荒川上流部の改修から100周年を契機として,多くの方々に荒川の改修の歴史,地形,特性を改めて認識していただくための広報・啓発活動を進めています(図-13)。実行委員会では,沿川の市民・自治体等を対象とした記念シンポジウムやパネル展の開催,荒川のPR動画を広く募るコンテストなどを企画しています。
 
今後も調節池等の施設見学(インフラツーリズム)を行うなど,過去100年の荒川の歴史を振りかえり,未来につなげるための取り組みを展開するとともに,さいたま築堤や荒川第二・三調整池を始めとする治水施設の整備を着実に進め,次の100年に向け地域とともに歩んでまいります。
 

【図-13 荒川上流改修100 周年ポスターおよび荒川改修のストック効果】




 
 

国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所

 
 
【出典】


積算資料2018年9月号



 

最終更新日:2018-12-10

 

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