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ホーム > 建設情報クリップ > 積算資料 > 黒部川第二発電所─ 峡谷に佇む初期モダニズム ─

 

白い箱と赤い橋の二重唱

前回(2018年9月号),初期モダニズムの名作住宅〈土浦邸〉を取り上げ,旧状を今に伝える日本で唯一の作であることも述べた。では,住宅以外にはどんな初期モダニズムが残っているんだろうか。
 
残存状況は住宅に負けず劣らず惨めなもので,わずかに一棟が飛騨山脈の奥地に人知れず立ちつくすのみ。
 
北陸新幹線を富山県の黒部宇奈月温泉駅で降り,富山地方鉄道本線に乗り換え,終点の宇奈月温泉で降りる。ここまでは順調だが,ここからがその日の天候次第。台風が近づいたり雨が多いと危ない。冬の降雪期は交通途絶。台風後のその日は2時間ほど待ってから通行が可能になった。
 
黒部川の電源開発工事のために敷かれた黒部峡谷鉄道というトロッコに毛の生えたような簡便な作りの電車で進む。
 
手には地図,肩にはカメラという軽装の建築探偵は,ヘルメットに作業着の工事関係者と重いリュックの登山客の間に肩身を狭くして座り,ガタゴトガタゴト黒部川の山肌を,時々トンネルをくぐりながら上へ上へと辿(たど)り,「本日は水量が多いからここまで」のアナウンスで降りると,眼前には黒部川の水がダムに堰(せき)止められて渦を巻きながら貯まり,その先には鮮やかな力強い建築の光景があった。
 
正面には白い横長の黒部川第二発電所。右手には真っ赤な鉄橋。
 

【黒部川の上流にある第二発電所と橋。橋の下をオーバーフローした水が流れ落ちる】




 
黒部川の水と岩と緑の中に点ぜられた真っ赤な色に誘われるようにして橋に近づき,立ち止まる。下を流れ落ちる水の轟音の大きさの割には小さくて細い鉄橋に足がすくんだこともあるが,それ以上に橋のデザインが普通ではなかったからだ。
 

【実用性に基づきながら,それを超える美しさがある】




 
普通,こうした鉄橋は橋桁の両端は直角に納めるのに,なぜかアールを描いて曲っている。こうすることで鉄骨の武骨さが和(やわ)らげられて嫋(たお)やかさが生まれるが,わざわざそんな手間のかかるデザインを土木技術者がするわけがない。
 
橋を渡ると発電所が現れる。横長の建物に窓の開くだけの簡素な姿だから,どこにでもあるように思えるが,ちゃんと目を凝らして眺めると,縦横のプロポーションはキュッと締まっているし,水平に伸びるガラス窓と四角なガラス窓からなるファサードの構成もいい。教科書的といえるような出来映え。
 
現在の目で見るとどこにでもあるような作りにもかかわらず,新鮮さが漂うのは設計者が新鮮な思いを込めて線を引いたからだ。この発電所が完成した今から82年前の昭和11(1936)年の段階では,白い四角な箱にただガラス窓を開けたよう
な簡素な姿は若い前衛的建築家だけがよくする革新的なデザインだった。
 
近づくと,建物の表面には白いタイルが貼られていることが分かる。
 
 

建築に科学技術が交差

このタイル,普通の人はありふれた使い方と思われるだろう。なぜなら,現在,ビルにもマンションにもごく普通に使われて見慣れているからだ。でも,建築探偵は違い,このタイルに驚き,再会を喜ぶ。
 
そもそも欧米では今も昔も薄いタイルを外壁に貼ることは珍しい。薄いタイルは室内の水回りが専らだし,外壁に焼き物を使うときにはもっと厚い煉瓦のような形状のものを貼る。
 
もちろん欧米の初期モダニズムも同じで,グロピウスの〈バウハウス校舎〉(1925)にせよル・コルビュジエの〈サヴォア邸〉(1931)にせよ,白く見える外壁の仕上げはタイルではなく白モルタルだった。
 
ところが,日本の初期モダニズムは,土浦邸のような木造を別にして鉄筋コンクリート造の場合は白タイルを貼っている。たとえば,山田守の〈東京逓信病院〉(1937),堀口捨己の〈大島測候所〉(1938)のように。
 
堀口も山田もヨーロッパの初期モダニズムの事情を現地を訪れて熟知していたのになぜモルタルをタイルに変えたのかを語っていないが,白モルタル塗りの汚れを恐れたのであろうか。あるいは,特に山田守の場合,表面がツルツルピカピカするのを好んだのかもしれない。東京逓信病院の当時の見聞記に当たると,ツルツルピカピカを超えて,磁器タイルの表面が乱反射により虹色に輝いていたという。
 
さいわい解体時に立ち会っているが,普通の外壁は普通の白タイルと化していたが,入り口のキャノピー(玄関庇)の裏は竣工時の状態に近く,虹色こそなかったが建築の仕上げとは思えぬようなヌルヌルしたテカりを放っていた。
 
しかし,堀口や山田のそうした白タイル貼りの初期モダニズムはすべて取り壊され,今は見ることはできない。
 
建築探偵が黒部の山中で「このタイルに驚き,再会を喜ぶ」のはこうした事情による。
 
中を見せていただく。
 
中に入って初めて対岸から眺めた時の疑問が解ける。初期モダニズムを“白い箱”とコンビで特徴づける“大ガラス”がどう扱われているかの視点で見た時,左手にル・コルビュジエ流の水平連続窓が,右手にバウハウス流(?)の正方形の大ガラス窓が使われているのは認められたが,なぜ使い分けたかが分からない。
 

【水平連続窓を室内側から見る】




 
中に入って案内していただき,左手の水平連続はオフィス部分に充てられていると知った。とすると右手は何に…。
 
対岸から眺めると,右の水平連続窓部分は左の正方形窓部分の3分の1程度しか占めていない。オフィス部分よりはるかに大きな面積を占める正方形大ガラス窓の室内は何に使われてるのだろう。
 
もし水力発電所の機能について基礎的理解があれば分かったことだが,ダムで水を貯め,その加圧された水流でタービンを回して発電する程度しか知らない。
 
オフィスを出てまず最下層のタービン室に入り,当然のことのようにグルグル回るタービンの軸を見て,あまりの分かりやすさに感動し,その後,少し階を上がって,正方形大ガラス室の室内を斜め上方のテラスから見た。
 

【“配電機”のダイナミックな光景】




 

【四角い大ガラスには鉄製のらせん階段がよく似合う】




 

永遠(とわ)に続け…モダニズム遺産

「モダニズムここにあり!」そう叫びたいような光景が詰まっていた。
 
外からは分からなかった用途は,正しい呼称は知らないが,“発電機”と“配電機”が据えられている。タービンを回して電気を生み,それを外に向けて送り出す要の場所。
 
巨大なカタマリのような発電機がいくつか並び,その隣には搭状の配電機が何基も立ち上がり,頂部には円環状凸凹が付いた白い碍子(がいし)製の角(つの)が斜めに二本突き出し,その先から高圧線が外に向って走ってゆく。
 
モダニズムの思想的背景には産業革命によって開放された科学技術があり,さらにその奥には数学(幾何学)が潜んでいるとするなら,四角な箱に大ガラスの建築は数学を,白い碍子の突起は科学技術のしるしにちがいなく,その二つのしるしが一つになってここには詰まっている。
 
このような光景が世界を含めて戦前の段階でここ以外にあったとは思われない。
 
土浦邸については,昨日(9月28日),ついに長年待ち焦がれた保存が決まり,引き続き重要文化財指定に向けての動きが始まるだろう。堀口や山田の分離派に続いて日本の初期モダニズムを牽引してきた山口文象の設計になる白い黒部川第二発電所と赤い橋も,それに続いてほしい。
 

【“起電機”の置かれた部屋。ここが発電所の心臓部に当たる】




 

【“起電機”とモダニズムが織りなす室内空間】




 

藤森 照信(ふじもり てるのぶ)

1946年長野県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。専攻は,近代建築,都市計画史。東京大学生産技術研究所教授・工学院大学教授を経て,現在,工学院大学特任教授,東京大学名誉教授。全国各地で近代建築の調査,研究にあたる。2016年7月に東京都江戸東京博物館の館長に就任。建築家の作品として,〈神長官守矢史料館〉〈タンポポ・ハウス〉〈ニラ・ハウス〉〈秋野不矩美術館〉〈多治見市モザイクタイルミュージアム〉など。著書として,『藤森照信の建築探偵放浪記〜風の向くまま気の向くまま』(経済調査会),『アール・デコの館』『建築探偵の冒険・東京篇』(以上ちくま文庫),『近代日本の洋風建築 開化篇』『同 栄華篇』(以上筑摩書房),『銀座建築探訪』(白揚社)など多数。
 
 
 

工学院大学特任教授 東京大学名誉教授       
東京都江戸東京博物館 館長
 藤森 照信

 
 
 
 
【出典】


積算資料2018年11月号



 

最終更新日:2019-01-07

 

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