はじめに
斜面災害が多い日本の斜面対策技術は世界の中でも優れていると自負する技術者も多いと思われる。
しかし、日本の斜面対策技術は独自進化した部分も多く、海外にそのまま適用出来ない技術も多い。
その概要については榎田(2017)で説明したが、今回はその中から重要な項目を取り上げて詳述する。
今回取り上げたのは抑止工の抑止力算定手法に関する国際化の課題である。
日本独特のせん断強度パラメータの設定方法の課題については榎田(2023b)で取り上げている。
アンカー工や鉄筋挿入工は急傾斜地の崩壊対策などの日本の斜面対策において主要な抑止工となっているが、抑止力の算出方法は1980年以前の古典的な手法が継続的に利用され、かつ、力学的に正しい方法と力学的な厳密性に欠ける方法が混在している。
このことは榎田(2012)の「斜面防災分野の学術論文に蔓延する不思議な数学」の中で少し触れている。
現在、日本では“安全側の設計”という観点から力学的な厳密性を欠く方法が主流となっている。
これは実務の世界では周知の事実である。
日本が40年以上前の設計手法を利用し続けている間に、海外での設計手法は日本とは異なる方向に進んでいる。
ここでは日本における2つの抑止工の設計方法を整理した上で、近年の海外の学術文献や海外の設計ソフトの中で採用されている抑止力算定方法を紹介し、海外で主流となっている設計手法と本邦技術との違いや国際標準について考察する。
特に、カナダやアンカー工発祥の地である欧州での先進的な設計手法は本邦技術の国際化を考える上で参考となる技術である。
また、海外の学術論文等の傾向を見ると、日本で主流となっている設計方法は近隣国に少なくない影響を与えている。
この事にも少し触れる。
なお、本稿は日本地すべり学会誌に掲載された榎田(2023a)の原稿を元に加筆・修正したものである。
1. 日本での抑止力算定方法の現状と課題
1.1 力学的な問題点の整理
抑止工の必要抑止力は極限平衡法の斜面安定解析式により算定する。
その最も基本的な定義はすべり面のせん断強さS(shear strength、スカラー)を安全率Fで割った値が、すべり面に作用しているせん断力T(Shear force、ベクトル)と一致する(S/F=T)という考えである。
これの応力表現の定義もある。
力学法則に従って式を誘導すると、抑止力などの力(ベクトル)は必ず安定解析式の分母項となり、鋼材のせん断強度などの強度(スカラー)に関係する項目は全て分子項となる。
強度と力は異なる物理量であるから、力学的には両者を直接的に加算または減算することができない。
すべり面のせん断強度と抑止力を直接的に加算することは力学法則に違反する。
日本には安全率の基本定義やFellenius式の分子項を抵抗力などの「力」と表現する専門書や文献が複数存在する(赤井、1966、地盤工学会、1989、河野ほか、1990、近藤、1996、地盤工学会、2006など)。
つまり、これらの専門書等では「shear strength」を「抵抗力」などの「力」と表現している。
一方、海外の文献を見ると、米国のTRB(1996)は安全率Fの定義として「F=shear strength/shear stress required for equilibrium」と明記しており、J.Michael at.el(2014)は「F=shear strength/equilibrium shear stress」と定義し、イタリアのGeo Stru(2021)では「F=available resistance/shear stresses」と定義するなど、応力表現の文献はあるものの、分子項を「force」や「stress」とは定義してない。
このように、この問題には日本の土質力学分野において強度と力の違いを明確化していないという本質的な課題が含まれている。
このことの弊害については5.1節で詳述する。
1.2 日本の技術基準書等での記述の違いと課題
1.2.1 アンカー工の設計に関する記述
日本で採用されているアンカー工の締め付け効果と引き止め効果の考え方は3.1節に後述する海外での古典的な手法と同じである。
その上で、日本治山治水協会(2013)は3.1節で説明するHobst and Zajic(1983)の方法と同じく、引き止め効果を分母項から減算する方法を採用している。
他方、土木研究所(2008)や全国治水砂防協会(2019)、建設省河川局(1997)では引き止め効果を分子項に加算する方法が採用されている。
ここで注目すべきは、建設省河川局(1997)の基準改訂時の説明書には“抑止工の効果は力学的には分母から引く方法が正しいが、安全側をみて分子に加算する方法を採用した”という主旨の説明がなされていたことである。
一方、日本道路協会(2009)は引き止め効果を分子項に加算する方法と分母項から減算する方法の両方を記載している。
これは厳密的には正しいといえない分子項に加算する方法では、アンカー工の必要抑止力が算定出来ない事例が発生したため、力学的に正しい方法も併記したものである。
しかし、このことの説明は同指針の中には無い。
このようにアンカー工の設計では日本道路協会(2009)や日本治山治水協会(2013)で引き止め効果を分母項から減算する力学的に正しい方法が採用されているものの、これまでの主流は引き止め効果を分子項に加算する方法といえる。
1.2.2 鉄筋挿入工の設計に関する記述
斜面崩壊対策としての鉄筋挿入工の設計方法が最初に提案されたのは土木研究所(1988)である。
ここでは補強材引張力をアンカー力と同様に法線力と接線力に分けて、締め付け効果は分子項に加算し、引き止め効果は分母項から減算する方法が採用されている。
現在、鉄筋挿入工は地山補強土工に分類されているが、地盤工学会(2013)は土木研究所(1988)と同じように引き止め効果を分母項から減算する方法が正しい方法であると最初に説明している。
ただし、この方法では安定解析式の分母が負の値となることがあるなどの説明を加え、実務においては引き止め効果を分子項に加算する方法を採用する場合が多いと説明されている。
ところが、急傾斜地でのすべり面傾斜は急勾配となり移動土塊の滑動力が大きくなる傾向がある反面、補強材とすべり面のなす角は90度に近くなることが多いため、引き止め効果は小さくなる傾向にある。
急傾斜地に施工するアンカー工で引き止め効果を無視することもあるのは同じ理由による。
よって、急傾斜地での土塊の滑動力の総和∑ Tから補強材の引き止め効果を引いた値が負となる事例が多いとは考えにくい。
NEXCO(2007)は鉄筋挿入工の引き止め効果を分子項に加算する方法を採用しており、式(1)で鉄筋挿入工の引き止め効果を算出している。
Tm・cosβ+Tm・sinβ・tanφ・・・(1)
ここに、Tm:補強材の設計引張力(kN/m)、
β :補強材とすべり面のなす角(゚)
φ :土の内部摩擦角(゚)
この式の第1項目は力と表現されており、第2項目はせん断強度である。
一見すると力と強度を加算する力学法則違反があるように見えるが、この式の本質的な問題点は別にある。
それについては5.1節で詳述する。
全国治水砂防協会(2019)はNEXCO(2007)に準拠した式を採用している。
2. 海外での抑止力算定方法の事例
2.1 アンカー工の古典的な設計方法
斜面対策としてのアンカー工に関する技術書として有名なHobst and Zajic(1983、米国)はアンカー工によるすべりの抑止効果を図-1で説明している。
日本と同様にアンカー力を法線力と接線力の2つに分け、式(2)のように法線力の項目を分子項に加算し、接線力を分母項から減算する方法が説明されている(式中の主な変数は図-1に準拠)。

図-1 Effect of the dead weight of the soil and that of a prestressed anchor on the shear surface beneath a slope(Hobst and Zajic, 1983)
2.2 アンカー工の設計に関する近年の事例
Hossain(2011MS)はオーストラリアの大学の修士論文の中で岩盤斜面でのアンカー工の安定解析を取り上げており、Hoek(2007)やShukla et al.(2009)などの既往の研究内容を紹介した上でそれらに改良を加えた安定解析式を提案している。
図- 2はHoek(2007、カナダ)が岩盤斜面破壊メカニズムとアンカー力の関係を示した図である。
Hoek(2007)はこの岩盤斜面の安定解析式を式(3)で表しており、アンカー効果はHobst and Zajic(1983)と同じである(式中の主な変数は図-2に準拠)。
Shukla et al.(2009、オーストラリア)は図- 2の解析モデルの地表面に分布荷重qが作用する場合を想定した岩盤斜面破壊メカニズムとアンカー力の関係を示した。
Shukla et al.(2009)が示した安定解析式は、Hoek(2007)の式(3)に分布荷重の合力q Bに関する項目を追加しただけで、アンカー力の取り扱いは全く同じである。
Hossain(2011MS)はこれらの既往研究を元に色々な条件での岩盤斜面の安定解析式を提案しているが、どの条件においてもアンカー力の引き止め効果は分母項から減算し、締め付け効果は分子項に加算するというHoek(2007)やShukla et al.(2009)などの考え方と同じ方法を採用している。
Hossain(2011MS)は図- 2と同じすべり形状に対して強度定数や荷重条件等の違いで複数の安定解析式を示しているものの、アンカー力Tの取扱はどの条件でも同じである。
式(4)はHossain(2011MS)が示した安定解析式の例である。
このようにHoek(2007、カナダ)、Shukl a et al.(2009、オーストラリア)、Hossain(2011MS、オーストラリア)は日本と同じアンカー分力の考えで、かつ、力学的に正しい方法を採用している。
一方、Zhao and Wu(2014、中国)は国際ジャーナルの論文でアンカー工の設計ソフトの開発結果を紹介している。
安定解析式の対象となる円弧すべりを図- 3に示す。
この図のタイトルではbolt supportと表現されているが、この後に掲載された設計ソフトの画面ではアンカー工の模式図が表示されている。
Zhao and Wu(2014)はBishop式による安定解析式を式(5)のように表現している。
この式の変数の説明で原文の英語のままにしているものは明らかに間違っている変数である。
Wiの定義が間違っていることから、この式では正常な安定解析はできない。
総和記号∑の重複という数式表現自体の間違いもある。
また、アンカー力の鉛直成分と水平成分をBishop式に直接代入する独特な方法で、安定解析式の分子項に日本での式(1)と同様の数式構成があり、引き止め効果を分子項に加算する方法が採用されている。


・・・(5)ここに、n:スライス番号、m:アンカー番号、
αi:すべり面傾斜角(゚)、c: 粘着力(kPa)、φ:内部摩擦角(゚)、Wi:soil density(kN/m3)、βj:水平からのアンカー打設角(゚)、Tj:アンカー力(kN)、Sh: アンカー間隔(m)
Zhang et al.(2016、中国)は国際ジャーナルにおいてアンカー工による斜面安定化効果について極限平衡法と有限要素法を用いた解析結果を比較している。
図- 4はアンカー工を配置した解析断面である。
アンカー力を考慮した安定解析式を式(6)のように示している。
ここにも日本での式(1)と同様の数式構成があり、引き止め効果を分子項に加算する方法を採用していることがわかる。
2.3 鉄筋挿入工の設計に関する近年の事例
日本における鉄筋挿入工は海外でのsoil nailingに相当する。
補強材の長さの適用範囲が日本より広いものの、引張補強と圧縮補強の考え方があり、日本の地山補強土工としての鉄筋挿入工と工法は同じである。
近年の海外の文献を見るとRawant and Gupta(2016、インド)は国際ジャーナルの中で極限平衡法と有限要素法によるsoil nailingの設計結果を比較した論文を発表している。
極限平衡法の解析には4.1節で詳述するSLOPE/Wが利用されている。
Bong(2014MS)はマレーシアの大学の卒業論文の中でsoil nailingの最適化の研究成果を示しており、ここでも設計ソフトはSLOPE/Wを利用している。
Gunawan et al.(2017、インドネシア)も国際ジャーナルで斜面安定のためのsoil nailingの設計法に関する研究成果を示しているが、安定解析式はビショップ式を利用し、引き止め効果を式(7)のように分母項から減算する方法を採用している。
補強材の引張力の接線分力の算出方法は日本と同じである。
一方、Wu and Fang(2019、中国)は国際会議の論文集でsoil nailingによる長大法面の安定計算法に関する研究成果を示している。
図- 5は解析断面で、式(8)が安定解析式である。
分子項に日本の式(1)と同じ数式構成が確認できる。
Mohamed(2010MS、エジプト)はエジプトの大学の修士論文の中で、soil nailingの設計方法を取り上げている。
図- 6は解析断面で、式(9)が安定解析式の表現である。
式(9)では補強材の引張力を打設角度で補正することなく最大引張力として分子項に直接加算している。
2.4 海外での抑止力算定方法の傾向
ここで紹介した事例ではアンカー力等の接線成分と法線成分の算出方法は日本と同じである。
その中で、カナダ、オーストラリア、インドネシアなど多くの事例では締め付け効果を分子項に加算し、引き止め効果を分母項から減算する方法が採用されていた。
インドとマレーシアの事例は明確ではないがSLOPE/ Wを利用していることから引き止め効果については同様の方法を採用していると推察される。
一方、日本で主流となっている式(1)と同じ数式構成で締め付け効果と引き止め効果を分子項に加算している事例が複数確認された。
それらはいずれも中国の研究成果である。
抑止工の設計・施工で先行している日本の技術基準書等の影響が疑われる。
エジプトの事例はそれらとは異なる方法で引き止め効果を分子項に加算していた。
3. 欧米におけるanchorの設計手法
欧米ではアンカー工やボルト、Nailを総称してanchorと表現し、それを抑止機構で区分してactive anchorとpassive anchorに分類している。
active anchorはプレストレスを与えるアンカーで日本のグラウンドアンカー工はこれに相当する。
passive anchorはプレストレスを与えないアンカーでロックボルト工や鉄筋挿入工がこれに該当する。
Eurocode7の第8章「アンカー」でもこの区分が採用されている。
3.1 カナダにおけるanchorの設計手法の例
カナダの著名な設計ソフトであるSLOPE/ Wはアンカー工と鉄筋挿入工(soil nailing)の設計にも対応しており、そのソフトの解説(GEO- SLOPE, 2021)の中で「最も一般的には、アンカー力は滑動力を減少させると見なされる。」と説明している。
アンカー力を分子項に加算する方法を採用する場合は極限平衡法の基本定義によりアンカー力を安全率で除算する必要があると説明されており、そのための計算オプションが設けられている。
締め付け効果の説明は無いがスライス間力を考慮する高度な安定解析式を導入することで、法線力Nの中にアンカー効果が反映される。
打設方向のアンカー力Dを考慮した安定解析式を式(10)に示す。
この手法はHobst and Zajic(1983)の古典的な方法をgeneral limit equilibrium(GLE)に適用して高度化したものである。
技術マニュアル(GEO- SLOPE, 2015)の中では、アンカー工とsoil nailingで集中荷重Dの取り扱いを変えるような説明は無い。

・・・(10)ここに、Fm, Ff:モーメントと水平力の釣り合いによる安全率、F:Fm又はFf、β:すべり面長、 u:間隙水圧、W:スライス重量、N:スライスの法線力、R, x, f, d:対応する力のアーム長、D:打設方向の集中荷重、ω:打設角、X:スライス側面のせん断力、E:ライス側面の法線力、λ:パラメータ、(fx):関数
一方、米国や中米などの斜面対策事業で多く利用されているカナダのRocscience社のslide2ではアンカー工の設計において古典的な設計手法である式(2)を採用しているが、鉄筋挿入工(s oil nailing)の設計においてはNEXC O(2007)と同様の式を採用している。
これは鉄筋挿入工がpassive anchorであり、その設計で利用する抑止効果がbond strength(周面結合抵抗)や鋼材の引張強度などの「強度」による効果であるという考え方である。
N EXC O(2007)のように設計引張力などの「力」の作用としての考え方とは異なる。
3.2 欧州におけるanchorの設計手法の例
イタリアで地盤関連ソフトや斜面対策工の設計ソフトを開発しているGeoStru(2021)は自社のHPに公開しているSlope stability analysisでactive anchorとpassive anchorの設計方法の違いを説明している。
図- 7は解析断面である。
Tdはanchorの設計強度(design strength)と表現されており、力とは表現されていない。
その単位幅あたりの水平成分をanchor strength Rjとして式(11)で求める。
その上でactive anchorの効果は式(12)のように、すべり面の接線方向にRjを方向補正して分母項から減算している。
この方法による方向補正であれば、anchorの打設方向とすべり面が直交する場合でも接線力が発生する。
図- 7のすべり面は繰り返し円弧計算などによって求める仮想のすべり面であり、その仮想のすべり面がanchor体と交差している状況が想定されている。
有効なanchor体長(Le)はすべり面以深のanchor体長である。
GeoStru(2021)が採用しているanchor効果の方向補正の考え方を説明する。
図- 8は傾斜角αの斜面上に滑動力Pを持つ物体を水平力Qで支えている図である。
この場合、滑動力Pの水平成分を水平力Qで支えれば斜面上の物体は安定するので、PとQの関係は式(13)の通りとなる。
つまり、Qという水平力があれば、Q/ cosαの滑動力に対応できる。
これが式(12)の方向補正の考え方である。
これは日本の地すべり鋼管杭の設計手法でも利用されている抑止力の一般的な考え方である。
passive anchorの効果は式(14)のように、分子項に加算している。
この方向補正も式(12)と同様で、anchorの打設方向とすべり面が直交する場合でも接線力が発生する。
プレストレスを与えるactive anchorは設計強度Tdが力(ベクトル)であることから安定解析式の分母項から減算し、プレストレスを与えないpassive anchorの設計強度Tdは、補強材の引張強度や補強材の周面摩擦抵抗であることから、これは強度(スカラー)として、分子項に加算するという考え方である。
また、式(13)の説明と同様にanchorの抑止機能はanchor設計強度(design strength)の水平成分(Rj)がより強く(×1/co sαi)寄与しているという考え方に立っている(Rjの接線成分であれば、通常はRj・cosαiとなる)。
また、日本で採用されているアンカー力の成分分割とは異なる分割方法が採用されていることから、日本方式では引き止め効果が小さくなる急傾斜地に適用した場合でも十分な引き止め効果が期待できる設計手法となっている。
GeoStru(2021)はanchorの設計強度Tdの鉛直成分TdsinΨを利用していない。
細片内の力の釣り合いを考慮しないFelleinus式を除いて、 Bishop式やJunbu式などの一般的な安定解析式やSpencer法等を汎用化したGLE(GEO-SLOPE, 2015)では細片重量W(鉛直力)によるすべり面のせん断強度をWtanφ’で表現できる。
よってactive anchorのアンカー力の鉛直分力はすべり面でのせん断強度の増加に直接的に寄与する(締め付け効果)。
GeoStru(2021)ではこの鉛直成分による締め付け効果が考慮されていない。
正確に把握できないすべり面の内部摩擦角の大きさに左右される不確実な締め付け効果を考慮していないという点ではanchor効果を過大評価しない安全側の設計となっている。
なお、active anchorの設計ではアンカー力はすべり面の接線分力と法線分力として斜面を安定化させるという古典的で基本的な考え方があり、アンカー力の鉛直成分がすべりの滑動力を増加させるという考え方は日本においても海外においても無い。
このように、active anchorとpassive anchorに共通するのは、不確実なanchor効果である締め付け効果の項目が無いということである。
GeoStru(2021)の方向補正の方法に日本方式の締め付け効果を考慮するとアンカー力の成分を重複して加算することになり、力学的に許されない。
また、Tdが強度(スカラー)である場合は締め付け効果そのものが発生しない。
この欧州の方法は力と強度を明確に区分したうえで、不確実なanchor効果である締め付け効果は評価せず、かつ、急傾斜地であっても十分な引き止め効果を確保できる合理的な設計方法として評価できる。
4. 抑止工の設計技術の海外展開における課題と対応
4.1 passive anchorの設計手法の課題と対応
日本で主流となっている鉄筋挿入工の設計手法 で式(1)のように「補強材の許容引張力」などと表現している物理量は力(ベクトル)ではなく強度(スカラー)である。
例えば、周面摩擦係数に表面積を掛けた値は強度であり、補強材の許容引張り力と表現しているものも引張強度である。
「補強材全長の周面摩擦強度(スカラー)の法線成分にtanφを掛けると土のせん断強さになる」という式(1)の考え方を土質力学の理論で説明するのは難しい。
移動土塊の変位がゼロの時は式(1)のTmは強度である。
移動土塊の変位の増加に伴って部分的に引張力に変化するが、移動土塊の移動量がどの大きさになれば、補強材全長の周面摩擦強度(スカラー)の全てが力(ベクトル)に変化するのか、その物理的機構が説明されていない。
仮に大きな変位が生じて強度の法線成分の全てが力に変化するとしても、その時は接線成分も力に変化するので、式(1)は「力+強度」の式となる。
さらに、式(1)での接線分力の考え方で引き止め効果のみに限定すると急傾斜地での抑止力不足を招く恐れがある。
このようなことから海外事業においてはイタリアのpassive anchorの設計手法が適していると考える。
4.2 active anchorの設計手法の課題と対応
アンカー力の接線分力と法線分力を日本と同じ方法で算出する古典的な方法を採用した事例は米国やオーストラリア、カナダなどの多くの国で確認されている。
SLOPE/Wの方法はこの古典的な方法を進化させた手法である。
この引き止め効果を分母項から減算する方法は力学的にも正しい方法であり、海外事業においても十分に実用的である。
ただし、今後の国際標準を考える上では、海外事業においては先進的なイタリアのactive anchorの設計手法を採用するという選択肢が推奨されるべきである。
一方、引き止め効果を分子項に加算する方法は、力学的厳密さを欠く方法であることに加え、多くの国で採用されている方法や欧州の先進的なactive anchorの設計手法とも異なる。
国際的な主流と異なり、かつ、力学的厳密さに欠ける設計方法を“安全側の設計(Overdesign)”という理由で海外事業において採用し、開発途上国に技術移転することを筆者は危惧する。
必要抑止力が不足するのであれば安定解析式を円弧すべり対応のFellenius式から非円弧すべり対応の簡易Janbu式に変更するだけでも十分に改善される。
斜面崩壊等の円弧すべりであっても簡易Janbu式は適用範囲であり、力学上の問題は何もない。
日本では非円弧すべりの地すべりに対しても円弧すべり対応のFellenius式や修正Fellenius式が利用されるが、これは力学的な厳密性に欠く適用である。
おわりに
本稿では、設計手法の国際標準を考える上で、力学的な欠点を有する日本の設計手法が国際標準になるために解決すべき課題を明確化した。
日本では公的な技術基準書や技術指針等が重視され、斜面対策工の設計方法も具体的に指定されているため、力学的な問題を認識しつつも40年前の設計手法が現在も利用されている。
欧米ではエンジニアの判断が重視され、この40年間に設計手法も進化してきた。
榎田(2025)が示すように、例えば、カリフォルニア州道路局の設計マニュアル(Caltrans, 2020)には、SLOPE/ WやSLIDEなどの使用可能な市販の設計ソフト名が列記され、利用可能な安定解析式についてもBishop, Janbu, Spencer, Sarma, Morgenstern- Price, and General limit-equilibrium(GLE)と明記されているが、斜面対策工の具体的な設計方法は指定されていない。
本稿で示したようにカナダのSLOPE/ WやSlide2とイタリアのSLOPEでは異なる方向に進化しているが、どちらも力学法則に沿った上で高度化している。
榎田(2025)が述べているようにSLOPE/WやRocscience社のslide2などの欧米の設計ソフトは全てEurocode7(限界状態設計法に準拠)に対応しており、安定解析の入力パラメータの確率評価や斜面の破壊確率の算出などの性能設計手法にも対応している。
Bentley社のPlaxis 2D/3Dは有限要素法を用いた斜面対策工の設計も可能となっている(榎田、2022)。
力学的な厳密性に欠く昭和時代の古い設計方法を継続的に使い続けている日本に比べ、欧米の設計技術はますます進化している。
これらの欧米の設計ソフトはアジア各国やアフリカ、中米などさまざまな国でも斜面対策の実務で利用されている(榎田、2022, 2025)。
有限要素法に対応した設計ソフトPlaxis 2D/3Dもマレーシアやインドネシアの道路斜面対策事業などで利用されている(榎田、2022)。
欧米の設計ソフトを使い慣れた国では本稿で説明した日本の古い設計手法に違和感を抱くであろう。
なお、冒頭でも述べたように本稿は日本地すべり学会誌に掲載された榎田(2023a)の原稿を元に加筆・修正したものである。
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【出典】
積算資料公表価格版2025年6月号

最終更新日:2025-05-20
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